第6章

1.ない



 美術アカデミー主催学生絵画コンクールの締切前日。僕は授業が終わると、トマ達と共に美術室へ向かった。



「いやー、楽しみだなっ」

「本当にね。遂にって感じだよねぇ」

「どんな感じなんだろうなぁっ、アンソニーッ?」

「わくわくするねぇ、トマ君?」



「……あのさぁ」



 足取り軽い二人に、溜息が零れる。



「楽しみにしてくれるのは、嬉しいんだけどさ。でも、わざわざ見にくる必要はなくない?」

「なくないっ」



 トマに即答された。




「いや、でもさ。別に、なんか凄まじいものが描かれているとか、そういうわけではないんだよ? 極々普通の絵なんだよ? 何を期待しているのか知らないけど、少なくとも、そんなウキウキされるようなもんじゃないからね。ただの女神の絵だからね」

「そうだよねぇ、イレール君。今話題の、子爵令嬢がモデルを務めた、女神の絵だもんねぇ」

「しかもしかもっ、美術アカデミー会員である子爵様が、太鼓判を押した女神の絵、だもんなーっ」

「きっととんでもなく美人なんだろうねぇー」

「いやーっ、本当楽しみだわーっ」



 女子かってくらいきゃっきゃしている二人に、もう一つ溜息が零れた。



 こんなことになるなら、完成した絵を持ってきた、だなんて言うんじゃなかった。




 今朝。僕が登校して真っ先に向かったのは、教室ではなく、美術準備室だった。前日にパウル子爵邸から回収してきた絵を、絵画コンクール提出作品用の棚へ置きにきたのだ。

 カンヴァスへ巻き付けた布を取り、棚の上から二番目にそっと入れる。よし、と内心頷きつつ、僕は美術準備室を後にした。教室へ行き、自分の席に腰掛ける。



 瞬間。ようやく肩の荷が下りたと、ついつい盛大な溜息と共に脱力してしまった。



 そんな僕を見たアンソニーが、


「どうしたの、イレール君?」


 とぷにぷにした手で背中を撫でてくれたので、ことの次第を説明したところ。途中からやってきたトマが興味を示し、アンソニーも気になると言ったので、


「なら皆で見に行こうぜっ」


 と相成った。

 

 僕も、周りの目から守って貰っていた手前、深く考えずに了承したのだが。



 その結果が、これである。




 まぁ、決して嫌なわけではない。寧ろ応援してくれていたのだから、嬉しいっちゃー嬉しい。でもさ、ものには限度があるって言うのかな。そんなね、期待値をどんどん上げられると、僕も困るわけですよ。

 なんだよ、


「溜息が出るほど綺麗な女神」


 とか


「いや、いっそ目が潰れるかも」


 とか


「裸なのかな」


 とか


「裸だといいな」


 とか


「きっと裸だよ」


 とか


「なんたってイレールだもんなっ」


 とか。

 特に最後の、どういう意味だお前ら。




「お、着いた着いた」



 美術室に到着する。大勢でやってきたもんだから、先にきていた部長がちょっと驚いていた。頭を下げ、事情を説明する。

 すると、


「そういうことなら、どうぞ」


 と苦笑しながらも受け入れてくれた。皆でもう一度頭を下げ、二人を中へ案内する。



「じゃあ、ここに座って待っていて」



 適当なテーブルを叩き、僕は美術室の隣にある準備室へ入った。コンクールに提出する絵が置かれた棚へ近付き、並んでいるカンヴァスの中から、僕の名前が書かれているものを探す。




「……あれ?」




 つと、首を傾げた。もう一度、今度は端から端まで、一つずつ丁寧にカンヴァスを確かめていく。



「おーい、イレール。まだかー?」

「あー、うん。ちょっと待って」



 気もそぞろに返事をし、僕は部長の元へ向かう。



「部長、すいません。ちょっといいですか?」

「うん? どうした?」

「あの、あそこに、コンクールへ提出する絵を置く用の棚があるじゃないですか。あの棚の中身って、動かしました?」

「え? 棚の中身? ううん。動かしてないけど」

「じゃあ、誰かが触ったとかは、聞いていますか? 顧問の先生とか」

「俺はないけど……え、どうした?」

「その、ないんです」

「……ない?」



「今朝、僕が置いた筈の絵が、ないんです」



 部長は、ぎょっと目を見開いた。




「ないって、え、本当に? お前の見間違いではなく?」

「見間違いではないと、思うんですけど……」



 部長はすぐさま棚へ向かい、端から順にカンヴァスを出しては、作品と名前をチェックする。僕も隣で、一緒に見ていった。



「……これも、違うよな」

「……はい」



 最後のカンヴァスの確認を終え、僕達は黙り込んだ。



 こちらの様子を、テーブルで待っていたアンソニー達が気にしている。後からやってきた美術部員も、不思議そうに眺めていた。




「イレール。お前は隣の棚を確認してくれ。俺は、他の部員に心当たりがないか聞いてくる」



 と、部長が美術準備室を後にする。入れ替わるように、トマとアンソニーが近寄ってきた。



「おい、どうしたんだよイレール? なんか、妙に時間掛かってるみてぇだけど」

「もしかして、見つからないの?」

「あ、あぁ、うん。間違えて、別の棚に入れちゃったのかもしれない」

「なら、俺達も探すの手伝ってやるよっ。あ、でも、部外者が触っちゃ不味いか?」

「画面に触らなければ大丈夫。この、縁の部分を掴んで引っ張り出して、枠のどこかに僕の名前が入っていないか、もしくは、白いワンピースを着た女神が、草木に囲まれながら微笑んでいる絵がないか、見ていって貰える?」

「分かった。任せてよ」



 僕達は、手分けしてカンヴァスを再確認していく。他の部員も、僕の絵を探してくれた。部長は顧問の先生のところへ行き、棚の中身を動かしていないか聞いてくれた。更には、他のクラスの授業中に、誰かが準備室へ入っていないかなども調べる。



 そうして、美術室と美術準備室を、ひっくり返すように捜索したが。




「……ない、ですね」




 沈痛な空気が、辺りに流れる。



「……もう一度探してみよう。もしかしたら、見落としがあるかもしれないからな。イレール。お前は俺と一緒に職員室へ行くぞ。どんな絵だったのか説明して、心当たりがないか、他の先生にも聞いてみよう」

「はい」



 部長と連れ立って、僕は職員室へ足早に向かった。



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