8‐2.何故服を着ているのか



「……こうやって見ますと、本当にモデルの面影はありませんわね」



 しみじみと、呟かれる。



「あぁ、それ、ペーターさんにもよく言われます。『お姉様はもっと素敵ですので、もっと素敵に描いて下さい』って」

「い、いえ。そういう意味ではありません。寧ろ、反対ですわ。わたくしがモデルを務めたとはとても思えないくらい、素敵な女神だ、という意味ですの」

「そうですか?」

「えぇ。わたくし、毎日鏡で自分の姿を見ておりますから、これほどの美しさは持ち合わせていないと知っております。なので、なんと申しますか、少々気恥ずかしいと申しますか」

「いや、そんなことはないと思いますよ。ペーターさんだけじゃなく、子爵夫人にも言われますもの。リザさんはもっと素敵なのだから、もっと素敵に描いて欲しいと」

「それは、家族の贔屓目というものでしょう」

「でも、リザさん、綺麗ですよ?」

「え、あ、そ、そう、ですか。それは、あ、ありがとう、ございます?」



 何故疑問形。




「まぁ、多少は誇張したり、デフォルメしたりしている部分もありますからね。毎日鏡で見ているのなら、余計にその些細な違いが気になって、結果自分とは程遠い人間に思えるのかもしれませんよ」

「な、成程。確かに、そうかもしれませんわね。言われてみれば、髪の色や肌の色も、少々違いますし、顔の形や目の大きさも、少々違いますわ。体型も、そうですわね」



 と、リザさんは、自分の胸元へ手を当てながら、春の女神の胸元を見た。実物よりも控えめに描かれている、と言いたいのだろう。



 僕も、色々悩んだんですけどね。でも、リザさんの素晴らしいお胸をそのまま描くと、色気がありすぎて春の女神に見えないかなー、どちらかというと、夜の女神になってしまうかなー、と思い、一回り小さくさせて頂きました。

 それでも十分大きいけれども。




「……あの、イレールさん」



 つと、カンヴァスを見つめたまま、リザさんが口を開く。



「突然なのですが、質問をしてもよろしいでしょうか?」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。質問と申しますのは、正確には、わたくしではなく、母からなのですが」



 リザさんのお母様から? 一体なんだろうか。



「わたくし、先日母に聞かれたのです。モデルの調子はどうかと。どのような様子でイレールさんは作業を進めているのかと。なので、わたくしが感じたままをお話したのですが、そうしましたら、母が、その……不思議そうに、言ったのです」



 リザさんは、もじりと体を揺らす。




「……『あら。あなた、服は着たままなの? 何故?』、と……」




 そんなとんでもない言葉が、部屋に大きく響いた。




「そ、それから、こうも、言っておりました。『可笑しいわねぇ。イレールさんには、半裸までなら許すと言っておいたのに』、と……」



 この場に、沈黙が流れる。



 僕の両脇から、何故か汗が噴き出した。



「わ、わたくし、その言葉が、とても気になっておりまして……一体、どういう意味、なのでしょうか……?」



 ……どういう意味、なんでしょうねぇ。と、しらばっくれたい。

 けれど、リザさんの視線が、僕の答えを待っていた。言い逃れは出来ない雰囲気である。




「……えーとぉ……以前、子爵夫人にお会いした際、確かに、半裸までならば、というような趣旨の話は、されました。それは、事実です」



 リザさんからさり気なく顔を背けて、口を動かす。



「ですが、それはそれとして、僕は服を脱ぐ必要はないと判断したので、着たままモデルをして頂きました。この辺りは、以前お話したので、ご存じかとは思いますが」

「は、はい。それは、そうなのですが、その、母が、『女神とは、裸であるべきでしょう?』、と強く主張するものですので……」

「……子爵夫人のおっしゃりたいことは、分かります。確かに絵画において、女神は服を着ていない、または布を巻いているだけな場合が多いです。しかし、服を着ている女神がいないわけではありません。女神が服を着ていてはいけないという規則も、ありません。僕の考える春の女神は、白いワンピースを靡かせて、春風と優雅に戯れているイメージだったので、そのようにしました」

「で、では、裸の女神を描く予定は、なかったと?」



 なかったというか、許されるならやりたかったけど、いやいや、やったらいかんだろうと思い止まったというか。




「……全くない、とは、言いません。しかし、色々と考えた結果が、今の選択です」

「な、成程……あの、因みに、一体何が問題で、選ばなかったのでしょうか……?」



 何がって、ナニがですよ。とは、流石に言えなかった。



「…………僕が考えていた構図ですと、草木に囲まれた緑豊かな場所で、女神が春の喜びに微笑んでいる、という風になります。そんな中で、女神が裸だったとしましょう」



 神妙な僕の態度に、リザさんも、真面目な顔で耳を傾ける。




「……どう考えても、素肌に草がチクチク刺さって、痛いじゃないですか」




 きょとん、とリザさんの目が、丸くなった。



「あ、もしかしてリザさん、芝生の上で寝転がった経験ってありませんか? 僕、小さい頃に兄とやったんです。叔父の絵のモデルでなんですけど、そりゃあもうチクチクチクチク刺さるんですよ。二人で痛い痛いって笑っていましたけど、あれを四六時中体感するのはちょっとな、というのが正直な感想です。

 女神も、いくら人間ではないからと言って、やっぱりそういう不快感は避けたいと思うんですよね。なので、絶対服を着ているだろうという予想の元、今回はリザさんにもそうして頂きました」



 大きく頷くと、リザさんもつられるように首を上下に動かした。



 からの、静寂ですよ。



 いやー、居た堪れない。なんだこの静けさ。あまりの居心地の悪さに、もう紅茶が進む進む。

 無駄に味わいながら、平然とした顔をどうにか保っていると。




「……ふ……ふふ」



 不意に、小さな笑い声が、僕の耳を擽った。



 リザさんが、口元を押さえて、喉を鳴らしている。




「そ、そうですか。そのような理由が……ふふ。それは、成程。そうですわね。チクチクと草が刺さってしまうくらいならば、服を着ている方がよろしいかもしれませんわね」



 頻りに肩と胸を震わせ、リザさんは笑い続ける。

 そんなに面白かっただろうか。少々赤くなってきた彼女の顔を、何とも言えぬ気持ちで眺めた。



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