7.本日の批評
「ふむ……」
「ふむーぅ」
パウル子爵邸の一室に、唸り声が小さく響く。一つは低く、もう一つは可愛らしい。
身長もでこぼこなお二人は、顎に手を添えたまま、描き途中の僕の絵を眺めた。
最近恒例となってきた、『本日の批評』のお時間である。
夕方になると、どこからともなくリザさんのお父様と、弟のペーターさんがやってきて、僕に絵の駄目出しをしてくれるのだ。
「……イレール君」
「はい、パウル子爵」
「この絵のテーマは、確か、春の女神だったな?」
「えぇ。その通りです」
「君は、春とは何だと考える?」
「春は、冬が明け、暖かさを増す季節です。空も晴れやかで美しく、草木も生き生きと成長します。イメージで言うならば、ピンクや黄色、オレンジなど、明るい色が配置されているかと」
「成程。ならば、君の考える春というものは、このカンヴァス上に表現し切れていると言えるか?」
僕は、答えに窮する。描き途中というのもあるが、それでも、自信を持って肯定出来るかと聞かれると、首を横に振らざるを得ない。
「……答えられないのならば、その点をもっと掘り下げてみなさい。春とは、一体何なのか。視覚のみで伝えられるよう、君は描き表わさなければならない。わざわざ『春』の女神と設定したんだ。誰もが納得する春の女神を、自分なりに考え、生み出したまえ」
「はい」
「方法は、なにも一つではない。試行錯誤しながらやってみなさい。その際、植物の描写は特に丁寧に。フェルディナン君と競うつもりなら、彼が得意とする植物の表現は、念を入れて注意したまえ」
それから、とパウル子爵は、軽く首を傾げた。
「前々から思っていたのだけれど。君は、服を描くのが少々苦手なようだね」
う、バ、バレている……。
「布の描写が苦手、というわけではないみたいだが、なんというか……気がない。他と比べて興味が薄い。そのような印象を受ける。因みに、自分ではこの点について、どのように思っている?」
「そう、ですね。自分でも、服だけは、どうも上手くいっていないと、感じています」
そして、その原因にも、実は心当たりがございます。
だって、こいつがいたら、女性の裸を拝めないじゃないですか。
こいつが女体を覆い隠すから、僕は見たいものが見られないわけで。つまりは敵。最大の脅威にして、鉄壁の要塞なのだ。だからなのか、昔からどうにも愛情を抱けないのです。
ただし、装飾品と小物は別。
何故なら、帽子だけを被った裸婦とか、手袋だけを付けた裸婦とか、ストッキングだけを履いた裸婦とか、それはもう素敵だからです。あいつらは、裸の女性を一層魅力的にしてくれるアイテムなので、僕も意気揚々と描ける。
でも、服。お前は駄目だ。
必要性は理解しているけれど、それとこれとは話が別なんだ。
「致命的とは言わない。現状が悪いわけでもない。だが、全体の完成度が高まれば高まるほど、服の描写がどうにも気になる。そこだけが浮いて見える、とでも言ったらいいだろうか。他が抜きん出ている分、非常に残念でならない。バランスを取る意味も込めて、もう少し服にも力を入れてみたまえ」
僕が返事をすると、パウル子爵も軽く頷いた。それから、ペーターさんを振り返る。
「僕は、春の女神様が、もっと注目されるようになると、良いと思います」
「注目、ですか?」
「はい。こちらの絵の主役は、春の女神様です。ならば、最初に目に飛び込んでくるのは、女神様であった方が良いと思います。なので、目を引くというか、目立つように、もう少し大きくしたり、色使いを工夫したりしたらどうでしょうか?」
眉間に小さく皺を寄せ、真剣な顔で僕を見上げるペーターさん。一生懸命考えてくれたと分かる眼差しへ、僕も真面目に頷き返してみせる。
「それと、お姉様はもっと素敵ですので、もっと素敵に描いて下さい」
「あ、はい」
それは、大変申し訳ありませんでした。
「でも、あまり人間の女性のように女神様を描くのも、駄目です。そうですよね、お父様?」
「あぁ。女神は天上に住まう崇高な存在。人間とはかけ離れた美。清浄な空気を纏い、俗世的な香りとは無縁の、永遠なる処女である、というのが、今のアカデミーで良しとされている女神の条件だ。コンクールで上位入賞を目指すのならば、意識しないわけにはいかない。
過去には、モデルに寄せてしまった結果、肉々しすぎるや、生々しすぎる、これでは女神ではなく、そこいらにいる女ではないか、などと評価された作品も、少なからず存在するからな……例えば、君の叔父上のように」
少々歯切れの悪い口調で、パウル子爵は目を反らす。
「なので、これはあくまで女神であり、人間ではない、という部分も、君は見事表現しなければならない。説得力のない作品は、一目見て分かる。気を付けたまえ」
「はい」
「人間を超越した、いっそ性別さえも飛び越えた美しさを、目指しなさい」
「超越、ですか……」
難しいなぁ、という気持ちが顔に出ていたのか。パウル子爵は僕を一瞥すると、
「ふむ……」
と顎へ手を当てた。
「……ならば、私の知人に会ってみるか? 丁度良さそうな人間を、二人知っているのだが」
「本当ですか?」
「うむ。人間を超越しているかはさておき、性別は、間違いなく飛び越えた存在だ。片方は私の親戚なのだが、もしかすれば君の参考になるかもしれない」
おっと。それはもしかして、パメラお姉様とオーランドお義兄様じゃありませんか?
「もし興味があるなら紹介しよう。どうする?」
切れ長の目が、じーっとこちらを見下ろしてくる。
僕は、今すぐにでも逃げ出したい気持ちをぐっと堪え、取り敢えず笑っておいた。
「では、機会があれば、ご挨拶させて頂きたいと思います」
まぁ、そんな機会、作るつもりはさらさらありませんがね。
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