4.女同士のあれこれ



「――聞いたわよ、イレールさん」



 カンヴァスへ下絵を描いていたら、いきなり耳元で色っぽく囁かれた。



 驚いて振り返れば、そこには破壊力抜群の爆乳――の、持ち主である、リザさんのお母様が、楽しげに微笑んでいらっしゃった。




「あ、こ、こんにちは、子爵夫人。えっと、聞いた、というのは……」

「あなた、あのドミニク男爵の息子さんと、勝負をするんでしょう? あの子を賭けて」



 お母様の視線が、僕からパウル子爵邸の庭へと流される。つられて後を追い掛ければ、そこには、リードを付けたサンドリヨンと戯れる、リザさんとペーターさんがいた。



「いいわねぇ、女の子を巡って争うだなんて。若いわぁ。わたくしも昔は、今の主人を巡って女同士の戦いを繰り広げたものよ」

「……えっと……なにか、勘違いされていませんか? 僕は別に、フェルディナンさんと勝負なんてしませんけど」

「あら、そうなの? でもこの前のお茶会で、シャルル子爵の奥様がそうおっしゃっていたわよ? なんでも、娘さんから聞いたんですって。先日、学校の昇降口の前で、あなたと男爵の息子さんが睨み合っていたって」




 ……は?





「しかも、今度の絵画コンクールで勝負もするらしく、リザを巡って、遂に直接対決が行われるのだそうよ。わたくし、そんな話は初めて聞いたから、もう本当に驚いてしまってね」



 それは、僕も同じ気持ちです。



「奥様は『お宅の娘さんも隅に置けませんわね』って、そりゃあもう目を輝かせていたわ。他の方も、リザとイレールさんの関係や、本命はどちらなのかと、わたくしを質問責めにして。ふふ、やはり女は、いくつになっても恋愛話が好きなのね。結局最後までこの話題で持ち切りだったわ」



 ころころと喉を鳴らして、リザさんのお母様は、軽く手を上下させた。呆然と固まる僕などお構いなしに。




「でもね。一番面白かったのは、ドミニク男爵の奥様の反応なの。どうやらあの方は、この話を知っていたようなのよ。平然とした顔で、『うちの息子は、リザさんに心底惚れていますからね。いい加減、あの方の周りをうろちょろする小蠅が目障りになったのでしょう』なんて言うのよ? 失礼しちゃうわよね……私の可愛い義理の妹を、小蠅などと馬鹿にするなんてな」



 ぽつりと呟かれた低い声に、思わずオーランドお義兄様と呼びそうになる。



「だからね、わたくし、言っておいたから」

「……え? い、言っておいた、とは……」



「『あら。ではこの勝負で、一体誰が真の小蠅なのか、ようやくはっきりしますのね。楽しみですわ』って」




 ちょっと待ってくれ。




「ふふ。本当、面白かったわ、ドミニク男爵の奥様の顔。頬を引き攣らせながら、『そうですわね。わたくしも、とても楽しみですわ』って笑うの。でもその後、『ですが、可哀そうですわね、その平民も。貴族との勝負だなんて、勝ち目があるわけありませんのに』って対抗してくるから、『あら。奥様ご存じありませんの? イレールさんは、あのエドゥアール先生の甥にして、弟子なのですわよ? その実力は、うちの主人も一目置いていますの。普段から交遊を深めておりますし、先日など、彼にわたくし達夫婦の肖像画も依頼しまして』って、軽くあしらっておいたわ。

 更にうちの家族とイレールさんの仲の良さを畳み掛けてやれば、流石に分が悪いと思ったのでしょうね。不格好な笑顔を浮かべて、用事があると帰っていったわ」



 ゆったりと唇へ弧を描き、そりゃあもう楽しそうに笑うお母様。内容もさることながら、女同士の陰湿な戦いに、言葉が出てこない。



「そういうわけだから、頑張ってね、イレールさん」

「えっと……な、何が、ですか?」

「だから、はっきりさせるのよ。一体誰が真の小蠅かを、ね」



 うふふ、と深まる笑みが、怖い。怖すぎて、爆乳が全然視界に入ってこない。



「別にね? 娘が誰を好きになろうが、お付き合いをしようが、わたくしとしては構わないの。けれど、そこに下心があるのならば、話は別よね?

 例えば、相手の爵位を利用したかったり、資金面での援助を狙っていたり、そういう理由で目を付けてくる姑がいるところへ、娘をやりたい親がいると思って? いるわけがないのよ。しかもわたくしのことを、影で豚だの乳牛だのと馬鹿にしているのよ? そんな相手と親戚になるなんて、絶対にごめんだわ。そうでしょう?」



 そうでしょう、と言われましても。今の僕には、曖昧に目を泳がせる以外何も出来ません。




「だからね、わたくし、これは良い機会だと思うの。真の小蠅を払う絶好のチャンスだわ。コテンパンに伸して、二度とわたくし達の前に現れぬようにしてやってちょうだい」

「……あー……えーっと……あの、お気持ちは、分かりました。しかし、大変恐縮なのですが、そもそも僕は、そんな勝負、受けた覚えはないんですけど」

「事実なんてどうでもいいのよ。大切なのは、世間の皆様がそうだと認識しているという点なの。そしてわたくしにとって大切なのは、イレールさんがコンクールで上位入賞を果たし、真の小蠅やその母蠅に格の違いを見せ付ける。この一点よ。あなたの意志は関係ないの」



 関係ないのは、流石に酷いんじゃないですかね。



「その為ならば、わたくしはどんなことでもお手伝いするわ。我がパウル子爵家は、あなたを徹底的にバックアップ致します」

「いや、でも、子爵夫人が、そういう話を独断で決めてしまうのは、些か不味いのではないかと」

「大丈夫。パウルもわたくしと同じ気持ちよ。ペーターだってそう。大好きな姉を嫌いな家に盗られるくらいならば、イレールさんのお家へお嫁に出すと言っているわ」



 あぁ。だから今日、玄関で会った途端、


「イレールさん頑張って下さいっ。僕、応援していますからっ」


 って握り拳を作っていたんだ。

 コンクールの応援にしては、随分と力が入っているなぁと思っていたけど、単にお母様に焚き付けられただけだったのか。



 というか、嫁に出すって。

 簡単に言われましてもって話だし、この消去法で選ばれた感がなんとも言えない。




「そういうわけだから、あなたは心置きなく創作に励んでちょうだい。必要なものはこちらで揃えておくから。作業場も用意したし、なんなら泊まり掛けで描けるよう、ベッドも運び込んでおいたわ。後で案内するわね」

「え、あ、あの……」

「パウルは、あなたの絵にアドバイスをする係になっているから。美術アカデミーの会員なだけあって、審美眼は確かよ。ペーターも、幼いながら肥えた目を持っているわ。遠慮なく使ってやってちょうだい」

「いや、使ってやってちょうだい、って」

「他に要望があれば、随時言ってね。あなたには、最高の環境でコンクールに臨んで貰いたいから。子爵の名に掛けて、最高のものをご用意してみせるわ。あ、でもあれよ。リザにヌードモデルをさせるのは駄目よ。一応嫁入り前だから、節度は守らないとね。だから申し訳ないけれど、半裸で我慢してちょうだい」



 え、半裸はオッケーなんですか?



「いいわね、イレールさん?」



 笑顔で威圧感を放つお母様。ずいっと近付いた顔は、破壊力抜群の爆乳よりも、僕の心を打ち抜いた。主に恐怖で。



 僕は逆らうことも出来ず、ただただ首を上下させるだけの人形に成り下がった。



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