6‐2.エドゥアールという画家
「そもそも、叔父が艶絵を描くのは、単純に依頼されたからなんです。自分の意志ではまず描きません。自由に描いていいと言われたら、間違いなく兎か家族をモチーフに選びます。愛情深くて、少し子供っぽい、可愛らしい人なんです。
でも、そういう部分って、実際の叔父を知らない人には伝わらないじゃないですか? 裸婦ばかり描いているんだから、本人もスケベなんだろう、とか、変態なんでしょう、とか、思われちゃうんですよね」
学校でもいるんだよなぁ。
「お前、艶絵画家の甥なんだろ?」
ってバカにしてくる奴。
その癖、
「お前の叔父さんの裸婦画を見せろよ」
なんて言ってきたりして。おいおい、てめぇの方が変態じゃねぇかって話だろうが。
で、僕が断ると、
「変態の甥の癖に生意気だ」
とか突っ掛かってきてさ。理不尽にもほどがあるんですけど。
「どうも、そいつらの親が、僕の叔父を知っているみたいでして。なんか、色々酷評してくれているみたいですよ。それを聞いていたから、自分も馬鹿にしていいって思っているんでしょうね」
ふんと鼻を鳴らすと、視界の端で、男性が困ったように肩を竦めた。
「あ、すいません。愚痴を言ってしまって。でも、大丈夫です。そんな時は、すぐに叔父と親に報告して、そいつらの家とその関係者からの依頼は、絶対に受け付けないようにしてやっていますから。舐められたままじゃあ終われませんからね。復讐は完璧です」
拳を握って力強く宣言してやれば、切れ長の目が、パチパチと瞬く。
「まぁ、兎に角ですね。叔父は、艶絵以外も描きますよ、ということと、本来の叔父は、あなたのイメージとは少し違いますよ、ということを、是非とも知って頂きたいですね。勿論、無理にとは言いませんが」
男性は、おずおずと頷く。しばし目を伏せ、かと思えば、スケッチブックへ鉛筆を走らせた。
『私は、エドゥアール先生の作品が、好きでした。ですが、近年は女性のヌードを目的としたものばかりを描いていらしたので、とても悲しく思っていました。もう初期の頃のように、小さな女の子や、風景などは描かれないのかと落胆していましたが、そうではなかったのですね。
知らなかったが故に、勝手に失望し、怒りさえ感じていました。お門違いの感情をぶつけてしまい、先生には、大変申し訳なく思います』
「そう言って頂けるだけでありがたいです。叔父もきっと喜びます」
叔父さんの代わりに頭を下げる。男性も、小さく会釈をした。
「因みに、叔父の作品は、何が好きだったんですか?」
『美術アカデミーのコンクールで、
「というと、本当に最初の頃ですね」
『えぇ。初々しくも力強い
「え? 『ジュネヴィーヴとイレイン』?」
『ご存じですか? 小さな女の子が二人、楽しそうに遊んでいる姿が描かれたものなのですが』
いや、ご存じもなにも……。
「その女の子、僕です」
淀みなく動いていた鉛筆が、急停止した。
丸くなった切れ長の目が、ゆーっくりと、こちらを振り返る。
「えっと、その……女の子二人の、小さい方は、女の子の恰好をした、六歳の僕です」
沈黙が、この場に流れる。
男性は、微動だにない。
かと思えば、ガタンッ、と椅子ごと後ろへ仰け反る。ショールの中からも、珍妙な唸り声が聞こえた。しかし目だけは、僕から離れない。まるで真偽を確かめるかのように、凝視される。
「あはは。驚きました? でも、本当なんです。というか、あれ以降、女性が出てくる作品のモデルは、七割方僕が務めています。兄も、昔はやっていたんですが、今はたまーにしか女装しませんね。体格が良くて顔も男らしいので、大抵は僕の相手役をして貰っています。
あ、でもこれ、秘密にしておいて下さいね。依頼人に、艶絵のモデルが男だって知られたら、ちょっと不味いので。そういう目的で買っただろうに、実は男が相手だったー、なんて、萎えるというか、なんと言うか……ね? あれじゃないですか」
男性はぎこちなく頷くと、そっと目を反らした。ずれてもいないショールを何度も直しては、スケッチブックを凝視する。
……あ、しまった。女装している方を前に、男だったらあれじゃないですかーは、流石に失言だったな。
「あー、えーと……で、でも、女性のふりをするのって、結構大変ですよね。やっぱり、骨格が違うじゃないですか。肉の付き方も違うから、違和感が中々拭い切れないと言いますか、こう、どうしたらもっと女らしく見えるのかなーって、常々考えます。
叔父には、『そのなり切れていないところが、逆に思春期の女の子っぽくていい』って言って貰ってはいるんですけど、どうせやるなら、いっそ大人の女性を目指したいなー、なんて思っていまして、はい」
あはは、と僕の笑い声が、空しく響く。
「誰かいませんかねー。女装の極意を教えて下さる方、なぁーんて」
瞬間。男性が、勢い良く僕を見た。
凄まじい眼力に、思わず口を閉ざす。
静寂と、妙な緊張感が、辺りを包み込む。僕達は互いを見つめたまま、固まった。
つと、ヒールを履いた男性の足が、片方動く。
同時に、集会所の出入口から、ノック音が響いた。
盛大に肩を跳ねさせ、僕は出入口を振り返る。リズム良く叩かれる扉。迎えにきた旨を伝える辻馬車の御者の声も、聞こえた。
「あ、き、きたみたい、ですね。じゃあ、あの、行きましょうか」
男性は、数拍の間を置いてから、小さく首を上下させた。
『ありがとう。お世話になりました』
「い、いえ、とんでもないです」
『本当に助かりました。このお礼は、後日必ずさせて頂きます』
「い、いやっ。そんな、お気遣いなくっ」
しかし男性は、鉛筆で『このお礼は、後日必ずさせて頂きます』の下部分へ二本線を引き、強調してくる。
「あ、は、はい……分かり、ました」
笑顔をどうにか作り、さり気なく目を反らす。そうしてエスコートをすべく、男性へ手を差し出した。乗せられたレース越しの掌を引いて、出入口へと向かう。
気持ち速足になってしまったのは、きっと僕の気のせいに違いない。
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