6‐1.寡黙な人



「――ただいま戻りました」



 集会所に戻ると、部屋の隅に置かれたテーブルへ、ドレスを纏った男性が座っていた。巻かれたショールの上から覗く切れ長の目が、僕を捉える。




「今、馬車を一台お願いしてきました。もうしばらくしたら、こちらまでくると思います」



 男性は小さく頷くと、テーブルの上に置かれた僕のスケッチブックへ、鉛筆を走らせた。



『ありがとう。助かりました』

「いえ。ですが、本当にお送りしなくてよろしいんですか?」



 男性は、もう一つ頷く。先程よりも、はっきりと。



「そうですか。分かりました」



 僕は頭を下げてから、集会所の片付けを始めた。倒れた椅子やひっくり返った餌入れを、一つ一つ戻していく。




 女装した男性を連れ、兎愛好倶楽部『草原の天使』の集会所へ一度寄ると、僕は兎用のリードとケージを持てるだけ持って、公園へ急いだ。会員の皆さんが抱えていた兎の安全を確保し、買ってきた女性もののストールや帽子なんかも、使用人へお渡しする。



 一通り用事を済ませた後、僕はミケランジェロ侯爵に、裏路地で保護した方について報告した。



「――そういうわけで、もしかしたら、あちらのご婦人達のお友達かもしれないんです。けれど確証がなかったので、取り敢えずこちらへではなく、集会所へとご案内しました。無断で会員以外の方を招き入れてしまい、大変申し訳ありません」

「いや、構わないよ。寧ろ、勇敢にレディを助けた君へ敬意を表する。もし私が君の立場だったら、きっと同じ選択をしていただろう」



 ミケランジェロ侯爵は、スノウホワイトが入ったケージを撫でながら微笑んだ。



「では、そのレディには、そのまま集会所で休んで貰ってくれ。私達は、もう少しご婦人達と共にいる予定なので、一時間はそちらへ戻らないと思う。もし馬車が必要なら、これで手配してくれたまえ。レディをお送りする場合は、その旨を一筆したためてから出掛けるように」



 そう言って侯爵は、僕へ数枚のお札を渡した。



「レディが帰った後は、申し訳ないが集会所の片付けを先に進めていてくれるかい? 私達も戻り次第、手伝うよ」

「分かりました」




 それから急いで集会所へ戻り、男性にどうするかを相談した。すると、馬車を手配して欲しいとのことだったので、客待ちをしていた辻馬車の御者に、こちらまで回して貰えるよう先程頼んできたのだ。



 因みに、会話は全て筆談。どうも声を出したくないらしい。

 まぁ、気持ちは分からなくもない。ギュスターヴ兄さんも、たまーに女装しながらモデルをする時があるけど、一見したら迫力美人なのに、口を開けたらただの下品な野郎だから非常に残念だったりする。恐らくこの方も、そういう気持ちがあるから声を出したくないのだろう。



 でも、お蔭でちょっと居心地が悪かったりする。普通に喋ってくれるのなら、雑談とかしつつ馬車を待っているところなんだけど、今回はそういうわけにもいかない。かと言って、いちいち相手に文字を書いて貰うのも悪いし、書き終わるのを待つ時間も、ちょっともどかしいし。



 うーん、悩ましい。内心唸りながら、散らばった干し草を集めていると。




「……ん?」



 視界の端に映る男性が、何かを見つめていた。

 僕は、なんとなしに顔を上げ、男性の視線の先を振り返る。



 そこには、エドゥアール叔父さんが描いた兎の絵があった。



 それぞれの個性を遺憾なく発揮しつつ、十数匹の兎がカンヴァス上で自由に寛いでいる。




「それ、今日ここに飾られたばかりの絵なんですよ」



 はっと、男性は肩を揺らした。切れ長の視線だけが、僕へ向けられる。



「この子達は、兎愛好倶楽部の会員の皆さんが飼っていらっしゃる兎なんです。こうして見ると、兎って色んな柄や色があるんだーって、ちょっと驚きますよね。大きさも、個体によって全然違うんですよ。両手で掬える子もいれば、膝の上に乗せるのも大変なほど大きな子もいるんです。まぁ、どの子も結局は可愛いんですけど」



 はは、と喉を鳴らして笑う。



「因みにこの絵、僕の叔父が描いたんです。エドゥアールという画家なんですけど、ご存じですか?」



 切れ長の目が、僅かに見開かれる。数拍間を置いてから、ショールの巻かれた首は、ぎこちなく縦に揺れた。



「あ、そうですか。それはありがとうございます。知って頂けて光栄です」




 男性は、どこか落ち着かぬ様子で身じろいだ。何かを言いたげに、僕や絵を見ている。



「どうかされましたか?」



 男性からの返事はない。代わりに、鉛筆が音を立てる。



『この作品は、本当にエドゥアール先生が?』

「えぇ、そうです。制作には僕も携わりました」

『そうなんですか。少し、意外です』

「意外、ですか?」



 小さく頷くと、男性は一瞬戸惑いを見せてから、鉛筆を走らせた。




『エドゥアール先生が、こういった絵も描かれているとは、存じ上げなかったので』

「あぁ。もしかして、あれですか? 『あの人、艶絵以外も描くんだー』、という感じですか?」



 切れ長の目が、勢い良く泳ぐ。決して僕を見ずに、頭が縦に振られた。



「よく言われるんですよ、それ。なまじ艶絵で名前が売れたからか、エドゥアール=艶絵、というイメージが強いみたいで。実際、依頼の大半はそういう関係ですし。

 でも、それしか描けないわけではないんですよ? こういう動物の絵や、肖像画、風景画、静物画。依頼されたらなんでもやりました。今もそうです。依頼されたら、艶絵以外も描いてくれます」



 兎達の集合画を見上げる。



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