4.寒がって?



 僕達は、近くの公園まで逃げてきた。兎を抱えたまま、煙の上がる方向を眺める。



「どうやら、秘密倶楽部『女王の宴』の集会所が出火元らしいですよ」

「『女王の宴』というと、確か、被加虐趣味愛好家の集まりの?」

「えぇ。なんでも、遊戯で使う蠟燭を倒したのだとか。あちらにいらっしゃる『白百合を愛でる会』のご婦人方がおっしゃっていました。集会所が近かったらしく、真っ先に騒ぎに気付いたそうですよ。一部始終も、目撃したとかしないとか」

「災難ですねぇ、どちらの倶楽部の皆様も」

「えぇ、全く。幸い、見られて都合の悪いものは隠せたそうなので、その点は安心だとおっしゃっていましたが」

「それは本当に良かった。我々も、他人事ではありませんからね。イレぴょ、オホン、イレール君が指摘してくれなかったら、今頃どうなっていたか」

「いや、全く」



 そんな兎愛好倶楽部の会員達の話を聞きながら、僕は辺りを見回した。

 ぱっと確認しただけでも、様々な職種や階級の方々が入り交ざっていると分かる。ある程度のグループに分かれているみたいだが、一見では共通点が見いだせないというか、どういった集まりなのか見当も付かない。



 恐らく皆さん、この近くに集会所を構える倶楽部会員なのだろう。ミケランジェロ侯爵のように、人影に隠れつつこっそり着替えている方の姿が、ちらほらと窺えた。

 他にも、明らかに着衣の乱れている方、着ているコートとその下から覗く服が合っていない方、不思議な化粧を落とそうとしている方など。あー、こりゃあお愉しみだったんだなー、という感じの紳士淑女も、ちょいちょい見受けられる。

 しかもそういう方に限って、上流階級の空気を垂れ流していたりするんだ、これが。



 いやー、大人って分かんないなぁ。なんて思いながら、抱えたスノウホワイトとサンドリヨンを撫でていたら。




「旦那様」



 ミケランジェロ侯爵の執事が、そっと近寄ってきた。



「ラファエロ侯爵家の使用人が、旦那様を訪ねてきております。どうも、ラファエロ侯爵より、言伝を預かっているそうです」

「ラファエロ侯爵から?」

「えぇ。いかがなされますか?」

「ふむ……それは、今でなければいけないのかい?」

「恐らくは」



 ミケランジェロ侯爵は、もう一つ唸る。

 やがて、


「いいだろう。連れてきてくれ」


 と頷いてみせた。




 執事に促されて、使用人用の御仕着せを着た男性が、そそくさとやってくる。その表情は、どこか必死さが滲んでいた。



「それで、ラファエロ侯爵の言伝とは、一体なんだい?」

「は、はい。それが、その……『もし良ければ、私の客であるご婦人達を、君の倶楽部会員と共にいさせてあげてくれないか』、とのことでございます」



 はて、と侯爵は目を瞬かせる。使用人は、一層身を小さくした。



「『彼女達は、この騒ぎにとても怯えている。どうか受け入れ、安心させてやって欲しい。本当ならば私が助けたいのだが、諸事情により出来ない。よって信頼足る君に、彼女達を託したい。どうか引き受けてはくれないか?』……主人は、こうおっしゃっておりました。

 私からも、お願いでございます。どうか主人の大切な客人達を、匿って差し上げて下さい。どうか、どうか……っ」



 深々と頭を下げる使用人に、ミケランジェロ侯爵は


「あぁ」


 と手を叩く。




「成程、そういうことか。ならば、私は構わないよ。皆はどうだい?」



 他の皆さんも、すぐさま頷いてみせる。どことなく訳知り顔だった。



「あ、ありがとうございますっ。本当に、ありがとうございますっ。このご恩は、必ずやお返し致しますっ」

「いや、困った時はお互い様だよ。ところで、そのご婦人達は、寒がっていないかい? いきなり外へ放り出されたようなものだからね。もし必要ならば、上着なりなんなりを貸そうか?」

「大変ありがたい申し出でございますっ。ご婦人方もさぞお喜びになられるでしょうっ」



 もう一度体を折り曲げると、使用人はすぐさまどこぞへ駆けていった。

 その背中を見送り、僕はつと、首を傾げる。




「寒がって……?」



 僕自身は勿論、近くにいる方々を見ても、寒がる様子は特にない。寧ろ、慌てて出てきたから、少し暑いくらいだ。なのにミケランジェロ侯爵は、寒がっていないか、なんて聞いて。しかも相手の使用人は、本当に嬉しそうに感謝して。なんでだろう。



 もしかして、今からこちらへいらっしゃるご婦人達は、なにかしらの倶楽部の会員なのだろうか。着替えもままならない状態で逃げてきたのなら、寒がって、という表現も分からなくはない。けれど、じゃあ何故それをミケランジェロ侯爵が知っているんだ、っていう話にもなってくるしなぁ……。



 うーん、と考え込む僕の元へ、エドゥアール叔父さんがやってきた。




「イレちゃんイレちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」

「ん? 何?」

「悪いんだけどさ、買い物を頼んでもいいかな? 今からくるご婦人達の為に、ショールとかストールとか、首回りに巻くようなものを買ってきて欲しいんだ。出来るだけ早く」

「ショールとかストールね。分かった。どんな色のを、何枚くらい?」

「綺麗めな色のものを、五・六枚ってところかな? もしないようなら、ショールにこだわらず、扇子とか帽子とかでもいいから」



 叔父さんの言葉に、眉を顰める。

 なんでショールの代わりが、扇子や帽子なんだ。帽子はまだ分からなくもないが、扇子はどちらかというと暑い時に使うものだろう。寒がるご婦人に渡すものではないと思うんですけど。



 そう問おうとする僕をさえぎるように、


「はいこれ、お金ね」


 と財布を持たせ、代わりに兎二匹を、叔父さんが引き取った。

 その際、さり気なくウィンクを送られる。



 ……よく分からないが、兎に角何も言わずに買ってこい、ということらしい。




「……急いで行ってくる」



 僕はきびすを返し、女性ものの小物を取り扱っている店へと向かった。



 つと前方から、先程ミケランジェロ侯爵に言伝を持ってきた使用人がやってくる。その後ろを、ドレスを纏ったご婦人が五名、顔を俯かせて歩いていた。

 どこぞのパーティにでも行くのかってくらい洒落込んでいる。髪も綺麗に編み込んでいて、装飾品も極めて豪華。大方上流階級か、それに準ずる家の女性なのだろう。



 こんないかにも金持ちという人達が、それも女性だけが無防備に固まっているなんて、平民の僕からしても危ないと思う。言い方はあれだが、格好の的だ。使用人だけでは守り切れないだろうから、兎愛好倶楽部に合流させたいという判断は、間違っていない。



 それでも、頼まれた買い物の意味は、やはりよく分からないけど。



 後で叔父さんに聞いてみよう。横目でご婦人達を観察しながら、僕はすぐ脇を通りすぎた。




 瞬間。

 すれ違い様に、俯くご婦人達の顔が、見えた。




 え? と零れそうな声を、慌てて飲み込む。




 思わず立ち止まり、後ろを振り返った。僕と同じか、それ以上に背の高いご婦人達の背中を、呆然と見つめる。



 ふと、ご婦人越しに、エドゥアール叔父さんと目が合う。早く行っておいで、とばかりに笑い掛けられ、僕は咄嗟に頷いた。小走りよりもう少し早く足を動かし、公園を後にする。




 火事の野次馬の間をすり抜けながら、僕は大きく息を吐き出した。そして、ようやく理解した状況に、内心首を上下させる。



 ご婦人達の顔は、明らかに女性のものではなかった。



 骨格も全体的に四角く、なにより、胸は間違いなく偽物だ。例え横目で一瞬見ただけだったとしても、僕が見間違える筈はない。




 恐らくあのご婦人達は、秘密倶楽部で女装を楽しんでいた男性会員なのだろう。



 この近くには、色々な倶楽部の集会所がある。動物や絵画、園芸などの極々普通な愛好倶楽部から、性的な趣味趣向に関する秘密倶楽部や、艶絵や好色文学といった人様には言い辛い内容の創作倶楽部など、多岐に渡った。

 その中には、女装愛好倶楽部なるものも、存在しているらしい。前に叔父さんが言っていた。



 きっと同志と楽しんでいる最中に、火事と聞いて慌てて飛び出したのだろう。でもこの状態で人目に付くのは不味いから、兎愛好倶楽部の面々に匿って欲しいと、そういうわけだ。




 成程なぁ。だから使用人があれだけ必死だったり、場違いなほど着飾っていたりしたのか。

 ミケランジェロ侯爵の


「寒がっているか」


 という問いも、本当に寒いわけじゃなくて、少しでも顔を隠したいよね、と遠回しに提案していたに違いない。叔父さんが指示した扇子なんかも、同じ意味なんだろう。



 もしかしたら、言伝を頼んだラファエロ侯爵自身も、女装を嗜んでいらっしゃったのかも。けれど、女装姿で身分を明かせないから、使用人を介して助けを求めた、という可能性も、無きにしも非ず。



 そうと分かれば、急がなくては。

 僕は足を速め、取り敢えず目に付いた店へと、飛び込んだ。



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