3‐2.兎愛好倶楽部の女王様



「おや、どうしたんだい、イレぴょん?」

「よろしければ、ミケぴょんの天使と、お話させて頂きたいのですが」

「ほぅ、うちの天使とねぇ」



 ミケぴょんは、すっと口角を持ち上げると、己の傍らへ視線を落とす。



「イレぴょんがこう願っているが、どうする、スノウホワイト?」



 そう言って、一際デカい白兎の背中を、優しく撫でた。



 スノウホワイト。名前に恥じぬ白い毛並みと、少々名前負けしている体格と風格を併せ持つ、兎愛好倶楽部の女王様だ。

 どっしりとした佇まいに、何事にも動じない性格。例え飼い主だろうと気に入らなかったら容赦なく蹴り飛ばすところなんか、違う意味での女王様を彷彿とさせた。



 ……そういえばこの辺りに、違う意味での女王様と戯れる秘密倶楽部の集会所があるって、いつぞやに叔父さんから聞いたなー、なんて思っていたら。

 ミケぴょんが、おもむろに頷いた。




「うん。今日は、ご機嫌麗しいようだ。いいだろう。だが、分かっているね?」

「勿論です。天使を不愉快にさせないよう、精一杯務めさせて頂きます」



 胸に手を当て、出来るだけ丁寧に頭を下げると、僕はスノウホワイトの前に座り込んだ。彼女の赤い瞳が、僕を捉える。



「こんにちは、スノウホワイト。久しぶりだね。元気だった?」



 笑い掛けつつ、貢物の人参を差し出す。

 スノウホワイトは、鼻をひくひく動かし、かと思えば、勢い良く齧り付いた。



「うん、相変わらず元気そうだね。良かったよ。君がいないと、僕がこの場所にきた意味が、一つなくなってしまうもの」



 一心不乱に人参をむさぼるスノウホワイトの体を、そっと撫でる。背中から、腹、尻、と両手で優しく擦った。心地良さそうに目を細めたところで、おでこを撫で上げる。長い耳ごと首裏へ手を滑らせれば、つと、ぷぅ、と鳴き声が聞こえた。座り方も、腹ばいとなる。




「ちょっとごめんね」



 スノウホワイトを抱え、膝の上へ乗せる。そのまま背中や腹を撫でて、ゆっくりと仰向けにした。



 途端、立派な肉垂にくすいが、眼前に広がる。



 僕の口から、自ずと溜息が零れた。うっとりと見つめながら、吸い込まれるように両手を肉垂へ伸ばす。そして、優しく優しく、揉み上げた。



「あぁ……」



 なんて素晴らしい触り心地なんだろう。



 柔らかさは勿論、大きさ、形、張り、どれをとっても一級品。日々揉ませて頂いているサンドリヨンの肉垂だって極上だけれど、しかし、スノウホワイトのものには勝てない。このマシュマロの如き弾力を一度味わったが最後、もう他の肉垂では満足出来ない体にさせられてしまう。そんな中毒性を帯びているんだ。

 正に魔性の女というのは、スノウホワイトのような子を言うのだろう。




「ふふふ。イレぴょんは、本当にスノウホワイトが好きだねぇ」

「えぇ……彼女と仲良くなりたいが為に、マッサージを学んだくらいですから」

「彼女も、君のことは気に入っているらしい。こんなにリラックスした顔をして……気持ち良いでちゅかぁ~、スノウホワイトちゅわ~ん。イレぴょんに撫で撫でして貰えて良かったでちゅねぇ~」



 ミケぴょんは表情を崩すと、スノウホワイトの前足を掴んで揺らした。直後、後ろ足キックをお見舞いされる。結構いい音がしたけど、当人は嬉しそうに赤ちゃん言葉を使っているので、問題はないのだろう。



 そうして、スノウホワイトの人間で言うところのおっぱいをしばし堪能していると。




「ミケぴょんミケぴょん」



 エドゥアール叔父さんが近付いてきた。



「この前言っていた、我が兎愛好倶楽部への見学を希望している子についてなんですが」

「あぁ。確か、ペーぴょんだったかな?」

「えぇ、そうです。どうやら、無事保護者の方から許可を頂けたようですよ。ただ、ペーぴょんは子兎でしょう? 出来ればお父さん兎も同行させて貰いたいと、先方から申し出がありまして」

「お父さん兎、というと……パウぴょんかな?」

「えぇ。いかがでしょう?」



 ミケぴょんは、少し眉を顰めた。



「こちらとしては構わないが、君は良いのかい? パウぴょんとは、少々相性が悪いようだけれど」

「問題ありませんよ。向こうも、この倶楽部の趣旨を理解して下さっています。人間界での立場は勿論、それに伴うあれこれを持ち込んでくる筈はありません」

「そうかい。ならば、次の集まりには是非おいでと、ペーぴょんに伝えておいてくれたまえ」

「かしこまりました。ありがとうございます、ミケぴょん」

「なに。兎の魅力を広められるのであれば、これほど嬉しいことはないさ。新しい仲間が増える日を、今から楽しみにしているよ」




 ミケぴょんの微笑みに、ほっと胸を撫で下ろす。大丈夫だとは思っていたけれど、保護者同伴というところで、もしかしたら断られるかもしれないと、内心ドキドキしていたのだ。



 なんせ、ペーターさんのお父様は、エドゥアール叔父さんの作品をいつも酷評してくる美術アカデミー会員・パウル子爵なのだから。



 主催者としては、トラブルの種になりかねない人物を受け入れるのは、やはり抵抗があっただろう。加えて、酷評されているのは叔父さんだ。仲間を貶されて気分のいい人間はいない。だから僕もペーターさんも、もしかしたら駄目かもしれない、と思っていたのだが。そんな不安を他所に、見学は思いの外あっさりと叶う。

 本当に良かった。不安がるペーターさんを見ていただけに、余計そう思う。



 安堵の意味も込めて、殊更丁寧にスノウホワイトの肉垂を揉んでいると。




「……ん?」



 なんか、焦げ臭い……?




 なんだろう、と辺りを見回すと、窓の隙間から、黒い煙が入り込んでいる。



「えっ!?」



 僕の声に、この場にいた全員が、窓を振り返った。



 途端、悲鳴が上がる。




「な、なんだっ? 火事かっ?」

「わ、分かりませんっ。ですが、もし火事ならば、早く逃げなければっ」

「フローラッ! フローラおいでっ! ケージに戻りなさいっ!」

「誰の子でもいいから、兎に角天使を捕まえるんだっ!」

「そうだっ! そのまましっかり抱えて、一刻も早くこの場から離れようっ!」



 飛び交う声に急かされ、僕も、慌ててスノウホワイトと、近くにいたサンドリヨンを抱き抱える。

 胸元からブゥブゥという不満げな声と、二匹の暴れる音が頻りに上がった。蹴りも何発か貰う。でも、離すわけにはいかない。どうにか宥めつつ、皆さんが殺到する出入口へつま先を向けた。




 瞬間、重大な事実に気付く。




「皆さんっ! 外に出る前にうさ耳を外して下さいっ! 着ぐるみの方は着替えを持ってっ!」



 頭のアクセサリーをむしりながら、叫ぶ。



 皆さん、はっと目を見開き、慌てて兎から人間へと戻っていった。



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