4.静かなる戦い



 コレクションルームの作品を見終え、今度は庭へと案内される。

 そこには、咲き誇る花をゆっくり眺められるよう、テラスが設置されていた。テーブルとイスだけでなく、ティーカップやら三段スタンドやらも置かれている。お茶をする準備は、万端に整えられていた。



 破壊力抜群の胸も、既に待機している。




「あぁ、きたのね」



 そう言って、巨大な乳が凄い揺れ方をしながら立ち上がった。



「さぁ、どうぞお座りになって。今日の為に、うちの料理人が腕によりを掛けて用意したのよ。遠慮なく召し上がってちょうだい」



 うふふ、と上品に微笑む爆乳――




「はい、ありがとうございます、子爵夫人」




 ――もとい、リザさんのお母様。




 いや、分かってはいるんだ。素敵な胸が本体ではないということは。

 だが、しかしだな。これ見よがしに胸元のばっくり開いた服を着られたら、そりゃあ深く柔らかな谷間に目を奪われるってもんだろう。



 一体どうされたんですか、子爵夫人。さっき会った時は、もう少し控えめなお召し物だった筈ですが。

 これが貴族というものなのだろうか。たかだか娘の同級生と茶をしばく為だけに、己の魅力をこれでもかとまき散らす際どい服に着替えるものなのだろうか。



 全然分からないが、取り敢えず促されるまま椅子に座っておこう。




「どうかしら。お口に合うかしら?」

「はい、とても美味しいです。こちらの紅茶は、マンダル産のセカンドフラッシュですか?」

「えぇ、そうよ。よく分かったわね」

「実家が商いをしていますので。有名なものは、ある程度叩き込まれているんです」

「それでも、一口飲んだだけで言い当てるなんて、素晴らしいわ」



 口元へ手を添え、優雅に微笑むリザさんのお母様。僕も、出来るだけにこやかな顔を作り、軽く会釈してみせる。



 その間、決してお母様の首から下は見ない。



 普段ならば一瞬の隙をついて掠め見ているところだが、こういういかにもご覧なさいと言わんばかりの服を着ていらっしゃるご婦人には、決してそんな真似をしてはならない。




 何故なら、十中八九気付かれるからだ。




 胸を強調するタイプの服を着ている方は、言い方を変えれば、見られるのを楽しんでいらっしゃるというか、まんまとつられた男を笑うというか、そういう傾向がある。なので、通常よりも盗み見を察知する感度が高い。気付いていない顔を装いながら、その実こちらの行動を全て把握しているのだ。

 しかも厄介なことに、自分へのだけでなく、他人への眼差しもまた、目ざとく感知してしまう。僕がリザさんの胸を掠め見ようものなら、平然とした顔で


「あらまぁ」


 とほくそ笑むだろう。



 これは言わば、罠。ハニートラップの類である。よって一度でも視線を向けたら最後。リザさんのお母様から、むっつりスケベの烙印を押されてしまうのだ。それだけは絶対に避けたい。



 そんな見栄とプライドを守る為、現在僕は、子爵夫人と静かなる戦いを繰り広げている。

 お菓子を勧める流れで見せ付けられる胸。それを必死で無視する僕。

 僕を褒めるついでに揺らされる胸。それを懸命に受け流す僕。

 うっかり落とされた菓子くずが吸い込まれていく谷間。


「あら」


 と菓子くずを摘み取ろうと突っ込まれる指。

 それから血反吐を吐く想いで目を反らす僕。




 見たい。いや、駄目だ。ここで負けたら、兄さんに馬鹿にされる。


「お前、商人の子供の癖に、ポーカーフェイスも出来ないのか」


 って鼻で笑う顔が、手に取るように想像出来た。くっそ、負けるかこの野郎。

 僕は絶対に見ない。チラッとも見ない。物凄い気持ちが揺らぐけど、でも我慢だ。目先の利益に囚われるな。今ここで諦めたら、お前は一生むっつりスケベの称号を背負う羽目になるんだぞ? いいのか? 今まで必死に取り繕ってきたものが、たった一瞬で台無しになるんだ。そんなの許せるわけがないだろう。



 さぁ、立ち上がれ僕の理性。落ち着け煩悩。今こそ本気を見せる時だ。お前がこれまで鍛錬を積んできたのは、きっと今日の為にあったんだ。そうに決まっている。




 そうして、地獄のような苦しみを味わいながら耐え忍んでいると。




「お母様。少々よろしいですか?」



 不意に、リザさんが立ち上がった。



「わたくし、本日のお土産として、イレールさんに我が家で咲いたお花をプレゼントしようと思っているのです。なので、大変申し訳ございませんが、花選びを手伝っては頂けませんか?」

「あら、それはいいわね。丁度満開ですもの。プレゼントにはぴったりだわ」

「いえ、そんな、土産なんて結構ですよ。素晴らしいコレクションを見せて貰ったばかりか、こうして美味しいお茶とお菓子まで頂いているのですから」

「そうおっしゃらないで、イレールさん。これは、わたくし達がやりたくてやっているのよ」



 と、リザさんのお母様は、おもむろに前へ体を傾けた。




「それとも、お花はお嫌いかしら?」



 その拍子に、これでもかと視界に入ってくる、凶器めいた爆乳。




「いえ、大好きです」



 頭をガツーンと殴られたような衝撃が、駆け巡る。意識も一瞬遠のきそうになった。




「なら良かったわ。少し待っていてちょうだい。すぐに戻ってくるから」



 うふふ、と腰を上がると、お母様はリザさんと連れ立って、庭の奥へ行ってしまった。




 ……勝った。



 テーブルの下で、音もなく拳を握り締める。

 それから、この荒れ狂う心を少しでも宥めようと、若干温くなった紅茶を、ゆっくり喉に流し込んだ。



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