第2章

1‐1.合法的なチラ見



「こんにちは、イレールさん」



 つと、穏やかな声が聞こえてきた。

 野良猫に向いていた僕の意識は、音の方向へと移る。


 

 校舎の影から、美人がひょっこり顔を覗かせていた。長い金髪を結ぶリボンが、ふわりと風に靡く。

 これでもかと大きな胸も、ぷよんと揺れた。




「……こんにちは、リザさん」

「本日もお邪魔しますわ」



 リザさんは、僕の隣へやってくると、地面にハンカチを敷いた。その上へ腰を下ろし、持っていた紙袋を膝に置く。



 途端、好き勝手に寛いでいた野良猫達が、ぞろぞろ集まってきた。




「ふふ、こんにちは。ごめんなさいね。今日は、あなた達のおやつはないの」



 リザさんは微笑むと、おもむろに紙袋の中へ手を入れる。



「その代わりに……ほら、玩具を持ってきたわ」



 先端に羽根が付いた棒を、取り出した。興味深げに顔を寄せる野良猫へ、軽く揺らしてみせる。

 羽根の動きに合わせて、首を左右へ振る猫達。リザさんは、一層笑みを深めた。



 そんな美女と猫の戯れを、僕は無言で眺める。




「……リザさん。いいですか?」



 鉛筆とスケッチブックを構えてみせれば、リザさんは快く頷いてくれた。



 僕は、手に持つ鉛筆を、一気に走らせる。伸び上がったり、玩具へ飛び掛かったりする野良猫を、素早くスケッチしていく。




 リザさんは、校舎裏へくるようになってから、ほぼ毎回、何かしらのお菓子を持ってきてくれた。恐らく気を遣ってくれているのだろう。

 気持ちはありがたいが、いかんせんここは野良猫の集会場。食べ物を出そうものなら、あっという間に狩られてしまう。こいつらのガッツは凄まじく、どんなに警戒しても、気付けば手元からなくなっているのだ。



 リザさんもこれはいかんと思ったのか、一週間も経った頃には、猫用のおやつも持ってくるようになった。それを食べさせている間に、僕達もお菓子を素早く食べる。

 けれど、それでも油断すると奪われてしまうので、今度は玩具で気を引く作戦に出た、というわけだ。



 猫の方も学習したのか、リザさんは食べ物をくれるし遊んでもくれる人だと認識しているらしい。彼女がやってくると尻尾を立てて集まり、期待に目を輝かせるのだ。僕はそんな風に歓迎された覚えがないのですが。

 ちょっと寂しい気がしなくもないけれど、いいんだ。なんせ、野良猫と遊んでいる時のリザさんは、そりゃあもう凄い胸の動きを披露してくれるのだから。



 猫を遊びに誘う為、身を屈めた拍子に揺れる胸。

 大きく腕を振ったと同時に、ボールが如く跳ねる胸。

 無邪気に猫を翻弄しつつ、僕の目も釘付けにする胸。

 本当に素晴らしい。だが、そんな僕の煩悩を気付かれるわけにはいかない。あくまで見るのは視界の端で。それが紳士の振る舞いというものです。




 まぁ、遊ぶ野良猫のスケッチをしたい、とそれらしいことを言って、合法的にチラ見はさせて頂いているのですが。




 いや、言い訳をさせて貰うとね? 本っ当凄いのよ、胸の躍動感が。見るなって言われても見ちゃうんだよ。でも、だからと言って女性の胸を堂々と眺めるのは、あれじゃないですか。

 なので僕は、打開策はないか、真剣に考えました。

 その結果が、遊ぶ野良猫をスケッチする、だったのです。



 我ながら、いい口実を見つけたと思う。勿論、ここぞとばかりに凝視してやるとか、そんな真似はしないけどね? しないけど、それはそれとして、通常より大ばん振る舞いされる胸を、僕はありがたく、且つ不自然でない程度に拝ませて頂いているのです。

 お蔭で最近、猫を描く技術だけでなく、盗み見の技術も上がった気がする。



 ありがとうリザさん。これで僕は、一層紳士らしく生きていけます。




「はぁ、楽しかった」



 リザさんは玩具を仕舞うと、僕の隣へ座り直した。猫と遊んで、ほんのり色を帯びた頬を、こちらに向ける。



「どうですか、イレールさん? 猫ちゃん達は描けましたか?」

「はい。いい感じです」



 スケッチブックを見せれば、リザさんは


「まぁ」


 と目を輝かせた。



「可愛らしいですわ。それに、とても生き生きしています。特にこの子なんか、今にも画面から飛び出してきそうですわ」



 後ろ足二本で立つ猫の絵を、リザさんは指差す。その拍子に、豊満な胸が僕へ近付く。艶やかな金髪から立ち昇るいい匂いも、強くなる。

 さりげなく深呼吸しつつ、しかし表面上は、平然とした顔で会釈をした。




「ありがとうございます。これもリザさんのお蔭です。リザさんが猫達と遊んで下さるから、これだけ色々なポーズを描くことが出来ました」



 ついでに、色々な揺れ具合も見ることが出来ました。



「そんな、感謝をするのはこちらの方ですわ。イレールさんのお陰で、わたくしは毎日楽しく登校しているのですもの。寧ろ、お役に立ててとても嬉しいです。邪魔をしているのではないかと、常々不安に思っていましたので」

「邪魔なんかじゃないですよ。とても助かっています」

「そう言って頂けると、心が軽くなりますわ。ありがとうございます」



 肩を竦め、はにかむリザさん。たったそれだけなのに、まるで花でも咲いたかのように麗しさが増す。

 子爵令嬢って凄いなぁ、としみじみ思う。



 同時に、こんな絵に描いたような令嬢の前で、煩悩垂れ流しのスケッチなんぞ出来ないなぁ、とも思う。




 リザさんは、僕の邪魔をしているのではないか、と言ったが、実は半分当たっていた。

 正確には、邪魔ではなく、ちょっと窮屈、という感じだが。



 というのも、リザさんがくるようになってから、僕は女子テニス部のあれこれや野良猫のあれこれを、一切描いていない。

 正直、もどかしかったりする。でもだからと言って、可憐な女子の隣でパンチラや乳揺れを描き留めるほど、僕に被虐趣味はない。よって我慢するしかない。

 家に帰ってからこの気持ちをスケッチブックにぶつけるけど、やっぱり心がときめいた瞬間に描き取らないと、臨場感に欠けるんだよなぁ。



 まぁ、臨場感のあるパンチラって何なんだって話だけどさ。




「そうですわ、イレールさん」



 そんな僕の想いなど知ることもなく、リザさんは紙袋の口を開けた。



「今度美術アカデミーで、学生限定の絵画コンクールが開催されるのですが、ご存じですか?」



 紙袋から、一枚のポスターを取り出す。

 そこには、『第三十二回 美術アカデミー主催 学生絵画コンクール』と書かれていた。



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