1‐2.ちょっとした騒ぎ



「ご依頼、誠にありがとうございます。ですが、申し訳ありません。現在叔父への依頼は、平民の方でしたら、フラゴナール商会からしか受け付けておりません。お手数ですが、そちらへ依頼したい旨を手紙で送るか、店頭で直接お申し付け下さい。

 今ご注文されますと、完成まで半年から一年ほどお待ち頂くこととなります。ご不便をお掛けしますが、ご理解たまわりますようお願い申し上げます」



 僕が頭を下げれば、先輩は慌てて口を開こうとする。



「いや、俺ら、別に――」

「また、料金に関してですが、基本的には、カンヴァスの大きさと依頼内容によって決まります。一例を挙げますと、一番小さなカンヴァスで、複雑ではない依頼だった場合、料金は最低価格の三十万ピタになる、といった具合ですね」

「い、いやっ、だから――」

「お客様のお気持ちは御もっともでございます。学生にとって、三十万ピタは大金ですよね? ですが、大変申し訳ございません。当方は、一切の値下げにも応じるつもりはありません。何故ならば、『決して応じるな』と、叔父のパトロンであるミケランジェロ侯爵より、きつく仰せつかっているからです」



 侯爵、という言葉に、先輩方はぎょっと肩を跳ねさせる。



「『己の技術を安売りすることは、つまり相手に安く見られるということだ。私は自分が支援している者を、そのように見られることも、見させることも、我慢ならない』。侯爵はそうおっしゃっておりました。あの方は、叔父の腕を大変評価して下さっているのです。

 また、描いた作品は全て売り払い、手元に一切残さない叔父の気風きっぷの良さも、大変好ましいとおっしゃっています。常に無であり、フラットな状態で創作に挑む叔父は、正に画家の鑑だと。僕も弟子として、そんな師匠のような素晴らしい人間となりたいものです」



 口角を持ち上げ、顔を強張らせる先輩を見やった。



「あぁ、申し訳ございません。余談がすぎましたね。まぁ要は、叔父への依頼でしたら、お手数ですがフラゴナール商会までお願い致します、というお話です。貴族の方でしたら、ミケランジェロ侯爵家までお問合せを。それ以外からは決して注文を受けるなと、こちらも侯爵よりきつく仰せつかっておりますので、どうかご了承のほどを」




 姿勢を正し、胸に手を当てる。



「それでは、先輩方からのご依頼を、心よりお待ちしております」

「あ……あぁ。まぁ、そうだな。一回、け、検討してみるか、なぁ?」



 緩慢に口を動かすや、先輩方はそそくさと去っていった。

 負け犬の如き背中が見えなくなった途端、僕は張り付けていた笑みを剥がす。




「けっ、下心が見え見えなんだよ」



 トマが小さな体をふんぞらせ、先輩が消えていった方向を睨む。アンソニーは、ふっくらした顔に苦笑を浮かべた。



「なんか、ああいうの久しぶりに見たねぇ」

「そうだね。入学してしばらくは、結構あったけど」



 疲れた頬を揉みながら、僕は溜息を吐く。



「でも、なんで皆、イレール君のところにくるんだろうね? イレール君に頼んだって、叔父さんの絵を見せて貰えるわけないのに」

「それが分かんねぇから、イレールのとこにわざわざくるんだろ?」

「もしくは、駄目元で僕に聞きにきたか、言うことを聞かせる自信でもあったんじゃない?」

「で、結局イレール君に言い負かされて、すごすご引き下がると」

「どっちにしろ、下らねぇな。そこまでして女の裸を見たいかね」



 けっ、と悪態を吐くトマ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、でも、入学して誰よりも早く叔父さんの絵について聞いてきたのがトマだってこと、僕は一生忘れないからね。




 講堂へ到着すると、僕達は窓際の隅の席に座る。各々持ってきた昼食を広げ、食べ始めた。



「そういや、知ってるか?」



 頬をパンパンに膨らませて、トマがにやりと笑う。



「貴族クラスで、今ちょっとした騒ぎが起こってるってよ」

「騒ぎ? 騒ぎって何?」

「あ、あれでしょ、トマ君。男爵子息が、子爵令嬢に言い寄ってるって奴でしょ」



 正解、とトマは、飲み込むついでに大きく頷いた。




「俺も、ちらっとしか見てねぇんだけどさ。なんか、明らかに令嬢の方は困ってんのよ。でも子息はお構いなしに話し掛けて、ちょっと面倒臭ぇ感じでさ。令嬢の友達が遮らなかったら、いつまでもいつまでも離れねぇの。

 あー、可哀そうだなーって、関係ねぇ俺でも思うくらいでよ。今じゃあ子息に絡まれねぇよう、クラスの奴らが結託して令嬢逃がしてやってるって話だぜ」

「へぇ、そんなことがあったんだ。知らなかった」

「ま、そもそも貴族クラスは、俺ら平民クラスとは棟が違うしな。俺もたまたま見掛けなけりゃ、多分知らなかったと思うぜ」



 ふぅん、と僕の口から、相槌が落ちる。



「つーか、アンソニーもよく知ってたな。絶対俺しか知らねぇと思ってたのに」

「僕もたまたまだよ。知り合いに、貴族の家で使用人見習いやってる子がいてさ。そこの家のお嬢さんから聞いたんだって。『あんなに追い回されて、リザさんが可哀そうだわ。フェルディナンさんも、もう少し考えて行動して下さらないかしら』って、そりゃあもう怒ってたって」



「……フェルディナンさん?」



 つと、僕は目を瞬かせた。



「え、子爵令嬢を追い掛け回している男爵子息って、フェルディナンさんなの? 本当に?」

「なに、イレール。知ってんの?」

「僕が想像している人で合っているなら、少しだけ」

「あぁ、そっか。絵画関係でね」



 アンソニーの言葉で、やっぱり僕が知っているフェルディナンさんだと確信した。




 フェルディナンさんとは、特に親しいわけではない。話をしたのも数える程度。



 だが、彼の描く絵は、よく知っている。



 学生の絵画コンクールでは、大抵何かしらの賞を受賞する天才。僕もそれなりに表彰されているが、数も質も、彼の足元にも及ばない。

 父親が美術アカデミーの会員であるからか、フェルディナンさん自身も素晴らしい観察眼を持っている。特に植物を描かせたら、右に出る者はいないとまで評価されていた。同年代の中では、一番の将来有望株だろう。




「でも……そんな噂をされるような人じゃなかったと思うんだけどなぁ……」



 フェルディナンさんの人となりはよく知らないが、男爵家嫡男なだけあって、中身はそれなりにきちんとしていた気がしなくもない。少なくとも、女性を追い掛け回した挙句困らせるような真似をする感じではなかった。



「それは、あれじゃない? 恋は人を狂わせるって言うし」

「あー、あるなぁそれ。俺の姉ちゃんも、惚れたら一直線って感じだぞ。もう、お前誰? って思うぐらい」

「それに、芸術家は情熱的なイメージもあるしねぇ」



 そんなもんだろうか。




「お、噂をすれば」



 窓の外を見るトマにつられ、僕達も覗き込む。




 貴族クラスがある棟の傍を、フェルディナンさんが通過していく。平民クラスの男子生徒を従えて、周囲を見渡した。男子生徒に何かを言いながら、グラウンドの方へと向かう。



 フェルディナンさんが見えなくなって、数拍後。辺りを伺うようにして、数名の女子生徒が現れる。グラウンド方面を一度確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。そうして、真ん中にいる髪の長い女子生徒の背中を押して、反対方向へ足早に歩き出す。



 ……あの子、なーんか見たことがあるなぁ。




「ねぇ、トマ。あの真ん中の、金髪の子が、リザさん? 例の子爵令嬢の」

「リザさんかは知らねぇけど、追い掛けられてたのはあの子だったぞ」

「うわぁー、凄い可愛い子だねぇ」

「だよなー、アンソニー。そりゃあ追い回されるのも分かるーって思うよなー」

「まぁ、当人としては、全く望んでないだろうけどねぇ」



 二人の会話を他所に、僕は髪の長い女子をじーっと見つめる。




 彼女は、滑らかな肌を若干青くさせていた。困ったように下がる眉と、強張った頬、そして固く結ばれた唇が、彼女の気持ちをよく表している。金色の髪をハーフアップにしている赤いリボンも、心なしか項垂れているように見えた。



 そして、歩く度に波打つ、大きな胸。



 制服のジャケットに隠されて尚、丸くつんと持ち上がり、柔らかそうに揺れている。




「……あ」



 思い出した。



 エドゥアール叔父さんの絵をいつも酷評する美術アカデミー会員・パウル子爵の、娘さんだ。



 話したことは全くないし、数回パウル子爵の隣にいたのを見掛けただけだから、顔は正直うろ覚えだった。




 けれど、あの巨乳には見覚えがある。



 胸フェチのギュスターヴ兄さんが


「いいおっぱいだ」


 って物凄く褒めていたから、僕も隙あらばさり気なく凝視させて頂いたものだ。




 そうか。あの巨胸の持ち主だったのか。だとしたら、これだけしつこくアプローチされるのも致し方ない。

 そう内心深く頷き、僕は遠ざかる巨乳――もとい、リザさんを見送った。



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