1‐2.画家を志した理由



「なんだよ、叔父貴。お袋に怒られるのが怖いのかよ」



 つと、ギュスターヴ兄さんが振り返る。



「そりゃあ怖いよ。だってお姉ちゃんだよ? 君達に変な知識を植え付けたら、絶対に殴られるもの」

「でも叔父貴。変な知識植え付けなくても、いつも怒られてんじゃん」

「まぁ、そうなんだけど」

「そもそも、ここに俺達連れてくるのも、本当は不味いんだろ? 俺達がうちの店継がないで画家なんかになったら困るって、お袋よく言ってるし」

「う、ま、まぁ」

「なら、今更怒られるの怖がったところで、無駄じゃね? どっちにしろ、怒られんのはもう確定してんだからさ」



 叔父さんは、しょぼしょぼと肩を丸め、唸り声を上げる。




「で、叔父貴。どうなんだよ」

「……どうって、何が」

「宗教画や神話画ばっかが依頼されてる訳だよ。口籠ったってことは、何か言い辛い理由があるってことだろ?」



 エドゥアール叔父さんはしばし悩むと、僕とギュスターヴ兄さんを、会場の隅へ連れていった。口に手を当てて、囁く。



「これ、僕が言ったって内緒にしてくれる? お姉ちゃんには勿論、誰にも言わないって、約束出来る?」

「おう、するする。な、イレール?」



 僕は、咄嗟に首を上下に動かす。



「絶対だよ? 嘘吐いたら、僕泣くからね?」

「任せろって。男と男の約束だ」



 そう言って、兄さんは胸を叩いた。僕も真似をして、エドゥアール叔父さんと繋いでいない方の手を握り、胸元へ当ててみせる。



 叔父さんは、苦笑気味に息を吐いた。それから、おもむろに身を屈める。僕と兄さんも耳を寄せて、三人で顔を突き合わせた。




「あのね、実は、宗教画や神話画っていうのは、必ずしも神様を崇める為や、神話に出てくる英雄を尊敬する為に描かれるわけじゃないんだ。勿論、そういった理由で依頼する王侯貴族の方々もいるけどね。大半は、別の理由で絵を注文するんだよ」

「ふんふん。で、その別の理由っていうのは?」

「それはね……」



 エドゥアール叔父さんは、一層声を潜めた。




「……女性のヌード」




 ヌード? と僕は目を瞬かせる。




「女性のヌードを公然と見る為に、宗教画や神話画を依頼するのさ」



 神妙な顔をする叔父さんを、僕は見た。次いで、兄さんを振り返る。



 ギュスターヴ兄さんは、そりゃあもうにやけ下がった顔をしていた。




「叔父貴。それ、本当かよ。つまり、世の王侯貴族様は、澄ました顔で偉そうなこと言ってる癖に、その実女の裸を宗教画とか言い訳してまで見たがる、ただのむっつりスケベってことかよ」

「まぁ、端的に言えばね」



 うっひょい、と兄さんは、それはそれは楽しそうに喉を引き攣らせた。叔父さんと僕の背中を叩きながら、声を殺して笑い悶える。



 兄さんと叔父さんを見比べる僕に、エドゥアール叔父さんは、眉を垂らして微笑んだ。



「イレちゃんには、ちょっと難しかったかな」

「……ううん。分かるよ。つまり、あれだよね。偉い人が兄さんみたいに、図鑑と見せ掛けて、実はこっそりエッチな本を見ているのと一緒ってことだよね?」

「あはは、そうそう。ギュスちゃん、そんなことをしているのかぁー。大きくなったねぇ。お姉ちゃんにバレないよう、気を付けるんだよ」



 叔父さんは兄さんの頭を撫でる。




「でも、エドゥアール叔父さん。それなら、なんで入口のところの女神様は良くて、叔父さんが描いた女神様は駄目なの? 同じ裸だよ?」

「うーん、まぁ、そうなんだけどねぇ。大人ってちょっと面倒臭いというか、見栄っ張りだからさ。例え女性の裸だったとしても、全部が全部受け入れられるわけじゃないんだ。あくまで芸術性が必要なんだよね。特に今のアカデミーでは、人間らしい裸は芸術として認められていないからさ。女神様とか妖精とか、大義名分があるもの以外は下品である、みたいな評価を下されてしまうんだ。

 そういう線引きをきちんとした方が、なんていうか、こう、『俺達は、決して女性のヌードを見ているわけじゃない。芸術として表現された女神を見ているんだ。それがたまたま裸だっただけで、別にいやらしい気持ちはこれっぽっちもない』っていう、言い訳っていうのかな? それがより強調されて、結果自分のプライドを守ることになるんだよ。公然の秘密とも、暗黙の了解とも言えるかな」



 難しい言葉に、ポカンと口を開ける僕。

 叔父さんは小さく笑うと、僕の頭を撫でた。



「まぁ、要は、僕の絵だと言い訳し切れないから、駄目っていうことになっているんだね。本当は、モデルに娼婦を使おうが、プロのヌードモデルを使おうが、何も変わりはないんだ。女性の裸は、どんな職業だろうと美しく、神秘に満ち溢れた素晴らしいものだからね。ただ、僕の絵が生々しすぎて、これを評価したら、周りからスケベな奴って思われちゃうから、恥ずかしいなーって、それだけの話なんだよ」

「で、でもさ、叔父貴」



 目に浮かんだ涙を拭き、ギュスターヴ兄さんは、一つ深呼吸をする。



「叔父貴の絵、なんだかんだで人気あるのな」



 と、絵を振り返り、見物客を指差した。

 口々に文句を言いながら、明らかに足を止めている時間が長い。目線も、ベッドに横たわる女性の体から離れない。三等賞の中では、一番人だかりが出来ていた。




「あれだけガン見されてるんだから、やっぱ皆いいおっぱいだって思ってんだよ。人が集まってんのも、叔父貴の絵と、入口のとこに飾ってあった最優秀賞の絵だけじゃん。後のは裸が描いてあっても、さーって通りすぎてく。それってつまりさ、叔父貴の絵は、一番を取った絵と同じぐらいの出来ってことだろ? じゃなきゃ、皆おっぱい見ないで、さーって通りすぎてくよ」



 兄さんは、エドゥアール叔父さんの肩を叩く。



「俺、芸術とかよく分かんないけど、叔父貴の絵は見てて楽しいもん。もっと見てたいって思う。それくらい、いいおっぱいだよ、叔父貴」

「ふふ、ありがとう、ギュスちゃん。そう言ってくれて嬉しいよ。モデルをしてくれた子も、ヌードを見せた甲斐があるって、きっと喜んでくれるだろうね」



 微笑む叔父さんに、僕も口を開いた。




「僕も、叔父さんの絵、好きだよ」



 叔父さんと兄さんの視線が、こちらへ向く。



「叔父さんの絵、とってもいいと思う」



 拳を握る僕に、叔父さんは


「イレちゃんもありがとうね」


 と口角を緩めた。




 僕は頷き、もう一度叔父さんが描いた『夜の女神』を振り返る。



「エドゥアール叔父さん」

「なに、イレちゃん?」



「僕、大きくなったら、叔父さんみたいな画家になる」



 そう宣言すれば、エドゥアール叔父さんは


「……え?」


 と頬を引き攣らせた。



「い、いやぁ、それは、どうかな。止めておいた方が、いいんじゃないかな。ほら、お姉ちゃん、えーっと、イレちゃんのお母さんにも、怒られるだろうし」



 それでも、僕の決意は固かった。




 僕は、大きくなったら、叔父さんみたいな画家になる。




 そして、女の人の裸を、モデルと称して沢山見てやるんだ。




 そう心に強く誓い、僕は鼻息を荒く吐き出した。



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