第2話「黒魔女」

 落ち葉を踏みながら足取り悪く森を歩く。日の光は殆ど木々に遮られ、森の中は不気味な様相を呈している。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 森を歩くのは、1人の少年であった。まだ体が成長しきっておらず、顔にも幼さが宿っている。




 少年の耳に、ぎちぎちと何かが軋むような音が届く。

 足を止め、辺りを見回した少年の目に映ったのは…地面に、木の幹に、葉に…視界を覆うほどに広がった、夥しい数の蟻だった。


「ひっ」


 蟻の大群はその無機質な複眼で少年を凝視し続ける。軋むような音が断続的に起こり、少年の恐怖心をさらに掻き立てる。




「あ、あの」


 少年の発した声が、蟻の狂騒を打ち破る。


「あなたが、魔女様ですか…?」


 蟻の出す軋音が止まる。蟻の大群はどこか戸惑っているようだった。




〈〈いかにも。私が魔女だ〉〉


 どうやってか、蟻の大群はその翅を震わせて無機質な人語を紡いだ。


「お、お願いがあるんです。今村が大変で…!」


〈〈今すぐにこの森から立ち去りなさい〉〉


 冷たい一声。少年の頼みを一蹴する羽音に、感情は宿っていないように聞こえる。




「…なんでも差し出します。僕らの村を助けてくれるなら、なんでも!」


〈〈…なんでも?〉〉


「はい」


〈〈…魔女と契約するリスクは理解してる?〉〉


「…はい」


 蟻の大群が蠢き、少年の前に道を作り出す。


〈〈蟻の示す道に従って〉〉


 その言葉を最後に、再び蟻はぎちぎちと音を鳴らし始める。


 少年の歩みに合わせてじりじりと蟻の作る道が延びていく。木の間をぐねりながらどんどん進んでいく。

 少年は肌を冷やす汗を暑さのせいだと思い込み、生唾を飲み込んで蟻を追う。


 長い時間そうした後、終点は唐突に訪れた。頭上を覆っていた木々はいつの間にか消え、暖かい陽光が少年を照らす。

 まるで幻だったかのように蟻の大群は消えており、少年の目の前には椅子に深く腰掛けた魔女だけがいた。


 その魔女は黒い百合の装飾がある黒い帽子と黒くて少しよれた服を着ており、同じように黒い布を目を覆うようにして縛っている。対照的に肌は恐ろしい程白く、一つに束ねられた薄い灰色の髪を肩にかけていた。


 束の間の静寂が両者を包む。小川のせせらぎがうるさい。


「「あの…」」


 再び静寂が訪れる。魔女の目は見ることができないが、少し顔を逸らして気まずそうにしているのが感じられる。


「…要件を聞こうか」




⬛︎⬛︎⬛︎




 アーマイゼは震えていた。

 どんな感じでコミュニケーションをとったらいいのか全く分からなかったからだ。


 アーマイゼの大嫌いなものは2つ。虫と、他人…

 この2つとの接触を避けるために、森に張り巡らせた結界には虫と人と魔女に対して不安感や恐怖を増幅させる効果を付与していたというのに…この少年はそれでも入ってきた。

 蟻の大群による威嚇はアーマイゼが受けたら即嘔吐からの失神をキメると確信できるほどに怖くて気持ち悪いのだが、それすらも乗り越えてくるとは想定外だった。


 それに、アーマイゼら蟻どもを視認するのが嫌すぎてスカーフを取り忘れていた。絶対ヤバい奴だと思われている。


「みんなが、石になっていくんです」


 ついに少年が要件を話し出した。


「最初は農作物からでした。食べ物が石になりだしてみんな困ってて…空腹に苦しみ出したところで人も石になってしまった。1人から2人、3人…日々石化の恐怖に晒されて、みんなまいってきてる…だから僕、みんなを助けられるなら…!」


 石化。極めて珍しい効果だ。身の回りの人が次々と物言わぬ無機物の塊になっていくのはさぞ辛かろう。語り口が重すぎていたたまれない。


「…め…」


 面倒なのです。そう口にしようとしてやめた。さすがに少年に失礼だ。


「…!…それでもいいです。どうか、お願いします!」


 何も言ってないのに覚悟を決めたようなこと言ってる。恩を売っておけば後々楽になるかもしれないなどと考えながら、アーマイゼは意思を固めた。


「…私はどこに行けばいいの」


「っ!案内します!」


 アーマイゼは震撼した。森から、虫のいないこの快適な森の中から出なければならないということに。外には虫も、人も…アーマイゼの恐れるものがたくさんある。


 嫌で嫌でたまらない【蟻魔術】を再び使わなければならない状況と己の選択に歯噛みしつつ、仕方なく詠唱を始める。




「ふぅ…小さき軍勢よ、アーマイゼ・ラングトンの名の下に命ずる。その矮小なる身を寄せ集め、主の御姿を模倣せよ…『蟻人形アーマイゼ・シュトラール』」


 地面に潜っていた蟻の大群がわらわらと湧き出し、その身を寄せ集めて一つの大きな蟻の塊を作り上げる。


 一塊になった蟻はその形を歪ませ、徐々に人のような形に変化する。そして最終的には…アーマイゼのシルエットそっくりな真っ黒い人型に変貌を遂げた。


「…この子の名前は蟻人形。連れて行って。森を出るまではこの子が導いてくれる」


 蟻人形はゆらりと並行移動するように動き、少年に近づく。アレが見聞きしたものをアーマイゼも大体は共有できる。自分が接触しなくてもいいのはとても便利だ。便利なのだが………とてつもなく気持ち悪い。スカーフで目隠ししてるからセーフだが、視認したら発狂する自信がある。


 少年と蟻人形は一緒になって離れ、森の中に消えていった。




「……はぁぁぁぁ…疲れたのです…ちゃんと喋れてたかな…?」


 まあ当たり障りない接触だったと思う。少年が蟻が苦手だったらとても申し訳ないが…




 一般的な魔女は眷属を持つ。黒猫だったり鼠だったりと種類は様々だが、それら眷属を使役して雑事をこなさせる。とても便利なヤツらだ。

 しかしアーマイゼにはその眷属がいない。…作れない。これはアーマイゼだけでなく動物を召喚、使役できる固有魔術を持つ魔女全般に言えることなのだが、固有魔術で扱う動物が眷属と見做されるため、後から猫とかを使役することができなくなってしまうのだ。1人の魔女に使役できる動物は1種類のみ…

 アーマイゼは生まれた時から蟻との二人三脚を余儀なくされてしまっているのだ…


 だからアーマイゼは嫌で嫌でたまらないのだが、自分がやりたくないことがある度に蟻を召喚しないといけない。面倒事を極力避けるため、わざわざ大森林の奥深くに家を建てたのだが…


「まさかあんな子供が入ってくるとはね…度胸ありすぎて怖いのです」


 目隠しを外し、お皿に残った最後のクッキーを頬張る。


 最悪な1日になりそうな予感がする…

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