宙を、見上げて
クィンティッルスもどき
第1話
――宇宙はな、一番近くにあって遠いんや。やから私は、宇宙が好きなんよ。
今日も一人、ぼんやり空を眺める。
「あっ、おおぐま座」
星座には、それぞれもとになった話がある。もともと、おおぐま座はカリストという美しい妖精だった。神様であるゼウスが、カリストに惚れてしまって、妃がいるにも関わらずカリストに近づいた。その妃に嫉妬され、カリストは熊に変えられてしまったのだ。
普段何気なく見ている星空にも、こんなドラマが秘められていると思うと、胸がときめく。私は、そんな星たちが、好きだ。
「月乃、おはよー」
教室に入ると後ろから聞きなれた声がした。私は寝ぐせを手ぐしで直しながら振り向く。
「おはよう、夕陽ちゃん」
夕陽ちゃんは、私が住んでいるアパートの隣の部屋に住んでいる。中学二年の四月、私が三重県に越してきてからの付き合いだ。
「あっ、美香やん。おはよー。数学の課題終わった? あれ意味わからんよなー」
明るい性格で、友達も多い夕陽ちゃんは、すぐに別の友達のところへ行ってしまう。いつも、そんな夕陽ちゃんを、私は自分の席から眺めている。それに飽きたら本を読む。私の毎日はそれの繰り返しだ。
部活が終わって、一人家路につく。帰り道というのはつまらないものだ。星も出ていないし、背中に背負った荷物がずしりと重い。一緒に帰るような友達もいないから、ただ俯いて歩くだけだ。
家に着き、スマートフォンを取り眺める。何の通知も来ていないことを確かめ、それをテーブルに置く。そして、手慣れたようにテレビをいつものチャンネルに合わせる。
[今日は、全国的に暑い日となりました。埼玉県では三十五度を超える猛暑日となり――]
リモコンを再び手に取り、電源ボタンを押してから、自分の部屋へと向かった。
部屋にしまってあるアルバムには、星空の写真や私と叔母さんの写真が並んでいる。叔母さんはお父さんの妹で、天文学者だ。といっても、そんなに大層な人でもない。ただ、毎日地道に研究をしている。私は、叔母さんに多くのことを教えてもらった。彼女が話す三重弁には、どこかぬくもりを感じた。
アルバムが目を凝らしても見えづらくなったころ、ベランダに出る。そして、夕焼け空に混じる、白くて小さい光たちを眺めた。
ふと右を見ると、見覚えのある顔を見つけた。
「夕陽ちゃん……?」
彼女は遠くを見ていて、いつもの明るい感じはなかった。どこか哀しさを感じさせる表情。ショートボブの髪は、そよ風にたなびいていた。
私の声に気づいたのか、ゆっくりとこちらを向く。
「……あっ、月乃。ごめん、邪魔した?」
「いや、違うよ。でも、どうしたのかなって」
「あはは。ごめん、ごめん!」
私の言葉を無視し、無理に笑顔を作った夕陽ちゃんは部屋の中へ戻っていった。
――夕陽ちゃん、どうしたんだろう。
夕陽ちゃんと初めて出会ったのは、引っ越し翌日に挨拶に行った時。「高本月乃です」と言うと、「私、川中夕陽。月と太陽やね」。そう言ってくれた。叔母さんがつけてくれたこの名前について言ってもらえて、私は少し嬉しいような照れくさいような気がした。夕陽ちゃんは、やにわに私の手を握ると「同じ中学校やな。よろしくー」と、白い歯を見せてにかっと笑った。
今まで、夕陽ちゃんのあんな顔は見たことがなかった。引っ越してきた身だから、他の人たちよりはつきあいは短いけど、心配なものは心配だ。
スマートフォンで、彼女にメッセージを送る。
[どうしたの?]
[え、何が?]
[さっきの]
[ああ、邪魔してごめん]
[そうじゃなくて。何かあったら言ってね]
[何かって……]
[夕陽ちゃん、哀しそうな顔してた]
その文章を送った後、既読はついたものの、夕陽ちゃんからの返信が途切れた。もしかして、嫌われてしまったのだろうか。不安に思っていたら、通知が来た。
[私、怖くて]
「え?」
いつも元気な彼女からは想像もつかない発言だった。
[嫌われとるんやないかって。陰口叩かれとるんやないかって。目立ちたがりな性格やからさ、うざい、って思われとっても、不思議やないよな、って思ったんや]
[そんな]
[でも、私にそんなこと言う資格、ないよな]
確かに、夕陽ちゃんは率先して目立つ仕事をしている。例えば、学級委員とか――。笑顔でみんなと話しているから、勝手に羨ましい、なんて思ってしまっていた。でも、彼女なりに辛いことや苦しいこと、葛藤があったのだ。私は、それを知りもせず――。自分が直接何か悪いことをしたわけでもないのに、申し訳ない気持ちになってしまった。
[夕陽ちゃん]
[ん?]
[空を、見て]
気づけば、私はベランダに飛び出していた。途中で、同じくベランダに出る夕陽ちゃんと目が合い、少し気まずくなる。
ふう、とため息をつき、ベランダのフェンスにもたれる。しばらく無言の時間が流れたあと、私は夕陽ちゃんに話しかけた。
「……ねえ、夕陽ちゃん。あのね」
「何?」
「私は、辛くなったときとか、哀しくてどうしようもないとき、星を見ているの」
小さいとき、親に叱られたら窓から星を眺めた。星たちは私を責めることもせず、ただ光っているだけだった。地球から見ると、いろんな星が集まっているように見えるけど、実は星どうしはとても遠い。星は、孤独を感じながらも、一生懸命光っているんだな……そう、思った。
「星は、孤独で、優しくて、熱くて、冷たくて、眩しい。沢山の個性があるの。星を見ているとね、そんな星の一つ一つが私に寄り添ってくれているような気がするんだ」
「……そっか」
「ごめん。ちゃんと、夕陽ちゃんの期待に応えることができなかったかもしれない。……でも、私は、夕陽ちゃんのこと、嫌いじゃないから。みんなもきっと、そうだよ」
「……ありがとう。そう言ってくれただけで、嬉しい。……また、星の話、してな」
「えっ、いいの?」
「うん。ちょっと、興味わいた」
「……夕陽ちゃんがいいなら、本当にいっぱい話しちゃうけど」
「あはは、話しすぎは嫌やでー」
夕陽ちゃんが、笑った。さっきみたいなわざとらしい笑い方じゃなくて、心の底から「楽しい」って言っているような。私は、素直に嬉しかった。
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