「うわ~パワハラだ」

 「そんな、包帯だらけで、誰だか分かるわけないでしょ!」

 栞は目を丸くした後、少し考え込む素振りを見せる。

 「それもそうですね………では、貴方の思い出に訴えかけてみましょう。百万円を渡した女の事を覚えていますか?」

 そう言って笑う栞の顔を見て、一気に記憶がよみがえる。

 「まさか、私と、取引をした………」

 「ええ。思い出していただけましたか?」

 目は笑っていないのに声だけ妙に明るい。愛想を良くする時に出るその声のトーンが耳に届くたびに夏とは思えない程の寒気が女に走る。

 「どうして、そんな、格好に………」

 「……………」

 栞がどう答えようか迷っていると、左目を覆う包帯が赤く滲み始めた。

 「ひっ」

 通常、普通に生活している最中は見ることのない血の色に短い悲鳴を上げる女。そんな女に対し、栞は覆われていない方の目でじろりとねめあげる。

 「まあ、そうなりますよね」

 すぐにへらりとした顔になりながら続ける。

 「実は私、最近呪われてしまいまして、」

 その顔のままま更に続ける。

 「先ほど見せたように体は呪詛にまみれ、おまけに左目は破裂してしまいました」

 左目の破裂。聞いたことがある。陰陽師の記者会見で公表された内容だ。

 「吐血もしていましてね。更に言うなら、救急車が中々近づけなかったせいで、病院への搬送も遅れてしまいました」

 事実だけを淡々と羅列していく。

 だが、それはあり得ない。

 あってはならないはずだ。

 「まあ、それでも一命は取り止めたおかげで、あなたとここでお話出来ているわけなんですけどね」

 夜に闇に響く栞の声はゆっくりと女の首を絞める。











 「気付きましたか?あなたが呪ったのは、私です」









 いつの間にやら距離を詰め耳元で囁くように告げる栞。夏の蒸し暑さをかき消す音色は、女の鼓膜を震わせた。

 女は、耳を押さえて慌てて距離を取る。





 「な、な、に、なになななによ」

 「なに?とは?」

 「しょ、しょう、証拠を出しなさいよ、私がお前を呪ったという証拠よ!!」

 「…………」

 「そんなものないわよね?だって、あの、呪いはそういうものだもの!証拠なんかでないのよ」

 「……………」

 「か、かり、仮に私が、あんたを呪った犯人だと言う証拠があったとして、!私を殺すの?呪うの?」

 「……………」

 「出来ないわよね??だって、それをしたら、お前は犯罪者だ!!」

 「………」

 なおも無言を貫く栞に気を良くした女は更に続ける。

 「あんたが、呪われたのは事故だったかもしれない!でも、あの女と関わっていたお前が悪い!!」

 実をいうと事故ではないのだが、その可能性には辿り着かないようだ。

 「残念だったわね!!あんたは、お前は、私に復讐することが出来ない!私が、お前を呪ったと分かったところで逮捕なんかできない!だって、お前は金を貰っている。となれば復讐しかない!でも出来ない!だって、!!お前は、結局陰陽師の仲間だ!!だから、結局、仲間の名誉を傷付けることは出来ないんだよ!」

 聞き苦しい日本語をまくし立ててる。いや、女にとっては勝利宣言なのだ。

 








 「呪い返しって知っていますか?」





 今までの罵詈雑言などどこ吹く風とでもいうように涼やかなトーンで告げる栞。





 「…………は?」





 「詠んで字のごとく、呼んで字のごとく、読んで字のごとく、かかった呪いを呪いをかけた術者本人にそっくりそのまま返すものです」

 女の方があるかに年上だが、栞は、まるで年下に説明するように丁寧な口調で話す。







 「ここで、大事なことを一つ。呪い返しは法律上『正当防衛』として扱われます」

 包帯で覆われた左側を触りながら続ける。

 「当然といえば当然ですよね。自分が被害を受けるのを避ける行動ですからね」

 そう言って懐から藁人形を取り出す。

 見覚えのある呪いのアイテムに女は小さく息を飲んだ。

 「さて、『もう一度』、『敢えて』、『繰り返し』、説明します。呪い返しとは、呪いをかけた本人に呪いを返すものです」

 藁人形の紐をつまむように持ちながら左右に振る。

 「つまり、ここで、呪い返しを発動して、貴方に呪いが返れば、それはあなたが私を呪った証拠になるんです」

 復讐と証拠の確保。

 その二つを同時に合法的に行うことが出来る。

 「忘れているようなので、もう一度。呪われた結果、私は左目が破裂し、皮膚には呪詛が残りました」

 息が上がる。

 手に力が入らず、先ほど買ったささやかなぜいたく品のスイーツが地面にエコバックごと落ちる。

 「わた、し、私を脅すの?」

 「どうしてそう思うのですか?」

 顔の左半分を覆う包帯をゆっくりと解きながら尋ねる。

 「私を呪っていないなら、堂々としていればいいじゃないですか?」 

 包帯が解かれると透き通るような碧いガラスのようなが現れた。

 「堂々と胸を張っておうちに帰って、そのコンビニスイーツを楽しんで、明日に希望を抱きながら眠りにつけばいいじゃないですか」

 そのを人差し指で軽く叩くと少し固い音が返ってきた。普通、そんな音がするわけがない。

 これは、今あるが義眼である証拠だ。

 「た、た、タ、す」

 左目が破裂するとはどう言うことか?それを今まざまざと見せつけられている。

 「誰に助けを求めるつもりですか?半妖差別とたたかう会の会長ですか?半妖差別とたたかう会の会員ですか?それとも警察?まさか陰陽師だなんて言いませんよね?」

 右側は目を細めて笑っているが、左目の義眼の方は笑みを作れていないため、意図せず、ぎろりと半妖差別とたたかう会の女を睨みつける形となった。

 「な、なんで、私がこんな目に………」

 呪詛まみれの手、血の涙を流し続ける左目。呪い返しが発動すればこれが全て自分に返ってくるのだ。

 「わたしは、ただしいことをしたのに、はんようさべつをとめようと、がんばったのに、はんようをさべつするおんみょうじをさらしたのに、はんようをころすおんみょうじとたたかったのに……」

 「あなたの正しい事は随分と空虚ですね。それは正しい事ではなく、正しい風な事ですよ」

 ゆっくりと呪詛にまみれた指を真っすぐ突き付ける。

 「正しい風なことをしている自分が好き。正しい風を着飾ることが好き。正しい風な仲間達が好き。あなた達は、正しい風を着飾ってファッションショーをして喜んでいるだけなんです」

 腰が抜け、立ち上がることが出来ない。

 「あっさい人間だなあ」

 心の底から呆れたような笑いが出てしまう。自分をこんな姿にした人間だ。もう少し、別の姿を見ることが出来るのではないかと思っていた。だが、実際はこんな人間だ。

 「さて、それはともかく話を戻しましょう。どうしますか?」

 栞は、明らかに一つの選択肢を与えている。

 呪い返しという証拠が発動する前にこれを行えば、助かる。その選択肢が、今、この女にはあるのだ。

 (をしても助かるとは限らないけれど、しなければ、絶対助からない!)

 だが、それを口にするのは、負けを意味する。正しい自分ではいられなくなる。

 では、言わなければいいのか?

 その結果どうなるのか?

 それは義眼から血を流し呪詛にまみれた栞の姿が答えた。





 (あんな醜い姿になりたくなんかない!!)





 「…………わた、わわたしが、のろいました……」

 女は、消え入るような声で自供した。

 



 「ですって、道好さん」

 その声を合図として、道好を筆頭に複数の陰陽師が女を拘束した。








 

 「────、お前を呪い売り事件の重要参考人として拘束、そして陰陽師呪殺未遂事件の容疑者として逮捕する」

 名前を栞は聞き取ることは出来なかった。

 まあ、聞かなくてもいい。今後の人生で関わる接点は少ない方がいいのだから。

 専用車両に押し込められてく後ろ姿を見送りながら、栞はふらりとしながら道路に座ろうとする。

 道好はそんな栞の腕を掴み、なんとか無理矢理立たせる。

 「あいつがまだいる。せめて視界から消えるまでは立ってろ」

 「うわ~パワハラだ」

 軽口を叩きながら、護送されていくのを最後まで見送ると操り人形の糸が切れるようにくしゃりと地面に尻もちをついた。

 呪いが浄化されたとはいえ、病み上がりの事務職に犯人との対峙は辛いものだ。

 「セクハラとかいうなよ」

 道好はそう言って栞を負ぶった。

 「言いませんよ。私を何だと思ってるんですか」

 「女装男子好きの変態」

 「ヴ………」

 今日一番ダメージを受けた声を上げる栞。

 「しかし、歩けるようになって一発目がこれかよ」

 犯人から自供を引き出す。

 それを提案したのは、呪いを浄化され、意識を取り戻した栞なのだ。

 「半妖差別とたたかう会の人間が、口を割らなかったらどうするつもりだったんだ?」

 道好は不思議そうに尋ねる。

 「だって、お前に掛けられた呪いは、浄化されている。返す呪いがない」

 呪いは浄化された。しかし、燃えた結果出来た炭や灰が残るように、呪いのせいで起きた結果はどうしても残るのだ。

 栞は、そのことを伏せて脅した、つまりハッタリをかましたということだ。

 「絶対に口を割ると思ってました。なにせあの人たちから入山さん達のような命を懸けたことのある重みを感じることが出来なかったですから」

 ゆっくりと歩みを進める道好の背中で栞は静かに続ける。

 「人を傷つけることが、どれほど嫌なことなのか、そして、傷付けられるということがどういうことなのか、全く分かっていなかった。何より人を傷つける感触を味わうことなく力を振るえる理由が手に入ったことの喜びをあの人は隠しきれていませんでしたから」

 「だから、現実を見せれば口を割ると確信していたのか?」

 「ええ」

 「………口を割らせる必要はあったのか?」

 「当然。だって、自分の罪を口にしないとああいう奴は心が折れないでしょう?」

 こともなげに答える栞に道好は感心しつつも大きく溜息を吐いた。

 「何ですか、そのため息は?」

 「いや、本当に大したものだなと思ったんだよ」

 そう言いながら歩みを進める。





 「すまなかった。お前のことを疑ったりして」

 





 「仕方ありませんよ。私が、入山さんの立場なら同じことをしましたよ」

 あの騒動の前、実は道好を監視していた。

 栞も何となく疑われてはいることは察してはいた。実際、半妖差別とたたかう会の会員が接触してきたのだから予想は当たっていたのだ。






 (黙って、なあなあにしていればいいのに………真面目な人ですね)




 誰に聞かせるまでもなく道好の大きな背中で小さく呟いた。

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魔女っていうな! 舳里 鶏 @hesatokei32

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