彼女が不機嫌でつらい
翌朝、会社のデスクでスマホを開く。
昨夜の真希からのLINEを見返して、私はなんとなく落ち着かなかった。
普段の彼女なら、VTuberの話題が出ればノリノリで語り出すはずなのに、今回に限ってそっけない。
たまたま機嫌が悪かったのかもしれないし、単に私のテンションについてこられなかっただけかもしれない。
でも、モヤモヤした気持ちは消えないまま、私は一日を過ごした。
仕事帰り、駅の改札を出ると、ちょうどスマホに通知が届いた。
『今日ウチ寄る?』
真希だった。
……ちょうどいいかも。
何気なく聞くふりをして、真希の本音を探れるかもしれない。
そう思いながら、私は「行く」と返信した。
◇
部屋に入ると、真希はソファに座り込んで、スマホをいじっていた。
ルミナの配信でも見ているのかと思ったけど、無音だからどうやら違うようだ。
「来たよ」
「いらっしゃい」
普段と変わらない口調。
だけど、どこかぎこちない。
「なんか、珍しいね。自分から家に誘うなんて」
「たまにはね」
会話は続かない。
真希はちらりと私の方を見た後、何か言いたげに視線をそらした。
私は意を決して、さりげなく切り出すことにした。
「そういえば、恋ちゃんの歌よかったよね」
その瞬間、真希の指がピタリと止まった。
「……そう?」
「うん。意外と可愛い声してるなーって。なんか、ギャップあるよね」
「……ふーん」
明らかにテンションが低い。
「真希、なんか変じゃない?」
「別に」
言葉が短い。
こういうときの真希は、明らかに何かを隠している。
「ねえ、もしかしてさ」
「ん?」
「……嫉妬してる?」
その言葉を聞いた瞬間、真希の肩がピクッと揺れた。
「は?」
「いや、だって、なんか反応おかしくない? ルミナの話するときと全然違うし」
「別に。私はルミナが一番だから」
「でも、恋ちゃんの話になった途端、なんか冷たくなった」
「気のせいじゃない?」
真希はそう言いながら、そっぽを向いた。
絶対気のせいじゃない。
私はソファに座り直し、じっと真希の横顔を見つめた。
「ねえ、ホントに何もない?」
「……」
「もしかして、私が恋ちゃんを推し始めたの、嫌だった?」
真希はしばらく黙っていた。
けれど、やがて小さく息を吐いて、ぽつりと言った。
「……別に、嫌とかじゃない」
「じゃあ何?」
「……」
「ねえ、言ってよ」
しばらく沈黙が続いた後、真希はぽつりとつぶやいた。
「……なんか、悔しい」
その言葉に私は意表を突かれた。
「悔しい?」
「うん」
真希はスマホをいじる手を止めて、ゆっくりと私の方を向いた。
「だってさ、今までずっと、私がVTuberの話しても興味なさそうだったのに」
「……」
「なのに、桐崎恋のことは、なんか楽しそうに話すし」
「……うん」
「私がずっと布教してきたのに、結局、別のVTuberにハマるんだ、って思ったら、なんかモヤモヤして……」
――ああ、なるほど。
私はようやく、真希の気持ちを理解した。
ずっと真希は、私にVTuberの面白さを伝えようとしていた。
なのに、私はずっと「よくわからない」と言い続けていた。
でも、いざ私が興味を持ったのは、真希の推しではなく、桐崎恋だった。
「……ごめん」
私は素直に謝った。
「真希がずっとルミナの話してたのに、真剣に聞いてなかったのは悪かった」
「……別に」
「でもさ、恋ちゃんのことも好きになったけど、だからって、真希の推しが嫌いなわけじゃないよ?」
「……ほんと?」
「ほんと」
真希は少し考えて、それからふっと笑った。
「……なんか、バカみたいだな、私」
「うん、ちょっとだけね」
「そこは否定しろよ」
ようやく、いつもの調子が戻ってきた。
私は心の中でほっと息をついた。
◇
その後、二人で久しぶりにルミナの配信動画を見た。
真希は少し機嫌を取り戻したように見える。
真希の横で、ルミナの配信を見ながら、私はぼんやりと思った。
……あれ、なんか違う?
これまで何度か真希に付き合ってルミナの配信を見たことはあったけど、そのときは「なんかよく喋る人だな」「リスナーのコメント拾うのがうまいな」くらいにしか思っていなかった。
でも、今の私は少し違う視点を持っている。
――恋ちゃんの動画をたくさん見た影響かもしれない。
恋ちゃんの配信スタイルは、どちらかというと「黙々と実験をする研究者タイプ」だった。
淡々と企画を進め、ちょっとしたボケを挟みながら、視聴者に「えっ、それやるの?」と思わせるスタイル。
一方のルミナは――。
(……めちゃくちゃリスナーとの距離が近いな)
ルミナはまるで"その場にいる友達"のように、軽快に話している。
リスナーのコメントをテンポよく拾いながら、話を膨らませたり、たまにわざと意地悪なツッコミをしたりする。
コメント欄が流れるたびに、ちゃんと反応して、冗談を返す。
そのレスポンスの速さが、見ていて心地よい。
(あれ、私、これまで全然ちゃんと見れてなかったんじゃ……)
そんなことを考えながら、ついポロッと言ってしまった。
「……ルミナって、話すのめっちゃうまいんだね」
――その瞬間だった。
「は?」
真希の手が止まり、私の肩をガッとつかんだ。
「今、なんて言った?」
「え? いや、だから、ルミナって話がうまいなーって」
次の瞬間、真希の顔がぱあっと輝いた。
「待って、それってつまり、ルミナの魅力に気づいちゃったってこと!?」
「えっ」
「えっ」
いや、違う、そういうつもりじゃ――。
止める間もなく、真希はスマホを手に取り、ルミナの過去配信を探し始めた。
「やっぱりね、ルミナは配信力がすごいんだよ! ただ雑談するだけなのに、何時間もずっと聞いていられるのは本当に天才だから!」
「あっ、ちょっ」
「まずね、これを見てほしい。この"耐久雑談"配信ね。8時間ずっとリスナーと喋り続けてるの。しかも、話題が尽きないの。ヤバくない?」
「8時間!? そんな長いの見るの無理だって!」
「いやいや、これはまだウォーミングアップだから! もっとすごいのがある!」
「もっとすごいのあるの!?」
あっという間に再生リストが開かれ、次々と過去の配信が流れ始める。
真希は完全にスイッチが入っていた。
「ほら、この"歌枠"見て! ルミナの選曲がまた絶妙なんだよ。流行の曲も歌うんだけど、たまに懐メロとか入れてくるのが最高なの!」
「あ、うん……」
「で、このコラボ配信ね! ルミナは相手の個性を引き出すのがうまくて、普通なら緊張しそうな相手でもめちゃくちゃ和ませちゃうの!」
「へ、へぇ……」
「あと、これは絶対見てほしい。"寝落ち耐久"配信! ルミナが寝るまでの配信なんだけど、これがもう尊くて、リスナーみんなで"おやすみ"って言い合って、すごい幸せな空間ができるの!」
「寝落ちを……配信するの?」
「そう!!」
真希の目は輝き、話は止まらない。
気がつけば私はソファの上で、「VTuberの推し語りを延々と聞かされる」という状況に陥っていた。
それから約三時間後――。
「……でね、結局ルミナって、配信者としてもエンターテイナーとしても完璧なんだよね!」
「う、うん……」
私は頷きながら、そっとスマホを取り出した。
そろそろ帰らないと、本当に朝までコースになってしまう。
「えっ、もう帰るの?」
「うん……めっちゃ楽しかったよ? でも明日仕事だし……」
「そっか……じゃあ、最後にこれだけ見て!」
「まだあるの!? もう四本くらい見たよ!?」
「でも、これを見なきゃルミナの本質はわからないから!」
「本質……!?」
私の抗議も虚しく、スマホの画面にはまた別の配信が映し出される。
失敗した。
あのとき、私が「失言」をしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
完全にやってしまった。
それからさらに一時間後、私はようやく解放され、真希の家を後にした。
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