第十二章 第五話

 夜のブルーノートは温かい光に包まれ、いつも以上に賑やかな雰囲気に満ちていた。奏太と水上が到着すると、中から歓声と拍手が起こる。


「おめでとう! 二人とも最高だったわ!」


 最初に抱きついてきたのは千鶴だ。彼女の目はうっすらと涙で潤んでいる。その表情には誇らしさと愛情が溢れていた。続けて佐伯や村瀬教授、それに鈴木が笑顔で迎えてくれた。


「今日は特別な日だからね。君たちのためのカクテルを用意したよ」


 鈴木が出してきたグラスには、青と琥珀色が美しく層をなしている。まるで夕陽と海のイメージを詰め込んだようだ。店内に漂うジャズの調べと柔らかな照明が、この日の特別感をさらに高めていた。


「『新たなアンサンブル』って名付けてみたよ。君たちの未来に乾杯だ」


 水上の両親も少し気後れしながらも、喜びを噛み締めている様子で、水上にそっと声をかける。今日のコンサートは、彼らにとっても大きな一歩だったのだろう。


「響……今日の演奏は、本当に見事だった。十年前も素晴らしかったけど、今の君の方がずっと自由で、ずっと輝いていると思う」


 その言葉を受け、水上の目は少し潤む。父親と深く分かち合える瞬間が、こんなにも嬉しいとは思わなかった。奏太の家族も、それをそっと見守っている。みなそれぞれの立場で、二人を支えようという気持ちを抱いているのだ。


 村瀬教授がグラスを掲げ、静かに口を開く。教授の厳格な表情には、珍しく柔らかな微笑みが浮かんでいる。


「音楽とは、不思議な力を持っている。誰かと誰かを繋いだり、心の奥にある思いを解き放ったり……君たちが今日の舞台で示してくれたものも、そういった音楽の一面だ。これからも、その音楽の力を信じて進んでいってほしい」


 教授の言葉に、奏太と水上は深く頷き合う。皆でグラスを合わせると、透明な音が店内に響く。その瞬間に満ちる祝福の空気は、まるで演奏が生むアンサンブルのように心地よかった。


 やがてパーティーは和やかに進み、日付が変わる頃には人々も少しずつ帰路につき始めた。佐伯は「明日こそゆっくり寝られるー」と笑い、水上の両親も「また近いうちに話をしよう」と言い残して家路へ向かう。奏太の家族も「次は地元でのコンサート、手伝えることがあったら声をかけてね」と微笑んで店を後にした。


 最後に鈴木がカウンターの奥からひょいと顔を出し、言ってウインクをしながら言った。


「お疲れ様。片付けは僕に任せて、君たちは先に帰っていいよ。ほんとにおめでとう」


 それに小さく手を振って答え、奏太と水上は店の裏口から夜の街に出た。


 外はしんと静まって、星がよく見える。街灯の灯りが通りを薄ぼんやりと照らし、時折吹き抜ける風が二人の熱をクールダウンさせるようだった。


「充実した一日だったね」


 奏太がしみじみと呟くと、水上はそっと頷く。


「ああ。いろんな意味で、俺たちの"はじまり"の一日だったと思う」


 コンサートの成功、家族や友人たちからの祝福、そして東京での新たな学びへの道。全てが新しいページをめくる予感に満ちている。


「これからも、ずっと一緒に演奏していきたい」


 奏太は夜空を見上げながら、水上の手を握る。星空の下で交わす言葉には、未来への誓いのような重みがあった。水上も同じように握り返し、深い呼吸をした。


「うん。俺たちの新しいアンサンブルは、まだ始まったばかりだから。きっと、これからいろんな曲を作り、いろんなステージに立つことになるんだろうな」


「そしていつかは地元の子供たちの前でも、東京でも、世界でも……とにかく、どこまでも音楽と一緒に進んでいければいいね」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑う。まるで星空が祝福してくれているような、静かな夜だった。そうして夜の街を並んで歩きながら、二人の中には演奏を終えた余韻と、これからの未来への期待感で満ち満ちている。


 遠くから聞こえる車のエンジン音や、街路樹を揺らす風の音さえも、まるで二人の背景音楽のように感じられるのは、音楽家としての性なのかもしれない。奏太は水上の肩に寄り添いながら、そっと目を閉じる。脳裏には、今日のステージでのアンサンブルや、家族の笑顔、教師や仲間の励ましが次々にフラッシュバックする。どれもが二人にとっての宝物だ。


「さあ、帰ろうか。明日からまた新しい練習が始まる」


 水上がそう声をかけると、奏太は力強く頷いた。彼らの行く道はまだまだ続いている。過去から未来へと受け継がれる旋律を、二人はこれからも紡ぎ続けるだろう。共に歩み、共に奏でる音が、きっと誰かの心を揺さぶり、励まし、そして新しい夢へと導いていくに違いない。


 そう信じながら、二人は夜の静かな路地を並んで歩いていく。星明かりに照らされて浮かぶ指輪と、そっと繋いだ手。どこか遠くから聞こえる海鳴りさえも、今の二人には優しい子守唄のように思えた。新たな扉はすでに開かれた。あとは自分たちの足で、一歩ずつ、音を重ねていくだけだ。

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光と影のアンサンブル 海野雫 @rosalvia

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