第2話 折れても繋げられる
折れても繋げられる-1
自画自賛していたのが悪かったのだろう。油断した。
期末テストの返却日、私は真田くんから成績を聞き、大満足した。これも1週間とはいえ、集中的に勉強した成果である――はずだ。普段、彼は勉強していないと言っていたから、少し勉強するだけで成績が上がった。真田くんも本心かどうかは私にはわからないが、感謝の言葉を私にくれた。
「委員長のお陰です。感謝」
そして彼は小さく頭を下げた。クラスの中では当たり前だが、委員長呼びだ。
「普段から勉強しようね」
「……はい」
そこまでして欲しいとは思わないのだが、真田くんは平身低頭であった。彼に恩を受けたのは私の方で、私は単に恩返しをしたに過ぎない。
そんな風に自分に言い聞かせながら彼と別れ、駅までの道を歩いていた。真田くんの成績が爆上がりとまではいわなくても、自分の力によって恥ずかしくないものになったことが嬉しくて、周りをよく見ずに歩いていた。それが悪かったのだ。神様はよく見ていらっしゃる。
もうすぐ駅に着くというところで、1台の原付スクーターが私のすぐそばに走ってきた。その直後に何か大きな衝撃を感じ、私は尻餅をついた。すぐには何が起きたのか分からず、私は呆然としてその原付スクーターを見送る。そしてすぐに気付く。持っていたカバンがない。カバンの中にはスマホに財布と私が持ち歩く貴重品が全て入っている。
どうしよう、ひったくられた! と焦ったその瞬間、既に遠くに行っていた原付スクーターが衝突音とともにひっくり返った。
その側にはうちの学校の制服を身にまとった、見覚えがある顔があった。一緒に体育をやる隣のクラスの女子で名前は確か、南さん。ショートカットのいかにも体育会系の雰囲気だ。
手にラクロスのラケットを持ち、フルスイングを終えた後らしい。勝ち誇った表情をして、立ち上がろうとするフルフェイスヘルメット姿のひったくり犯に対し、再びラクロスのラケットをフルスイング。ヘルメットを横薙ぎにした。これでは直接打撲なくても首を負傷すること間違いない。ひったくり犯は立ち上がることができず、這いつくばって逃げようとしたが、南さんは膝裏をラクロスのラケットでぶん殴り、男の動きを止めた。
「勝利!」
私がようやく立ち上がって、路上に転がっているカバンを確保したのを見て、南さんは笑った。
「大丈夫?」
「う、うん」
「逃げんなよ、てめえ! 掴まる覚悟なくてひったくりしてたとか冗談抜かすなよ!」
ドスのきいた声で南さんは這いつくばるひったくり犯を牽制するが、ひったくり犯はまだ逃げようとしていた。南さんは躊躇なくトドメの一撃をひったくり犯の足首に入れ、それでも立ち上がって逃げようとしたが、動くのは片足だけだ。自転車で駆けつけて来たおまわりさんに即座に確保された。誰かが110番通報してくれたらしい。
「ありがとう! 南さん!」
「逃げられなくてよかったよ。ん?」
そして南さんはラクロスのラケットに目を向けた。
「およ~~」
ラクロスのラケットはヘッドの下のところで曲がってポッキリ折れていた。最後の足首への一撃でアスファルトも強打してしまったのが悪かったらしい。
「やっちまった……」
「ご、ごめん……」
ひったくりが悪いとはいえ、私を助けるために彼女のラケットが犠牲になってしまった。ものすごく気まずい。
「うお……ヤバい……」
南さんは真っ青になって折れたラケットを見続けたのだった。
「という理由なの」
翌日の放課後、私は南さんを連れて美術準備室に赴き、真田くんに成り行きの説明を済ませると真田くんはぽかんと口を開けた後、言った。
「はあ。それで隣のクラスの女子がここにいると」
「南まつりです」
南さんは深々と頭を下げた。
「真田
真田君も頭を下げ、私はどうすればいいのか分からずオロオロしてしまう。これでは私は部外者だ。一応、当事者の1人なんだが。真田くんが南さんに聞く。
「警察の取り調べ、大変だったでしょう?」
「あんな風に調書を取られるとは思わなかったよ。時間がかかったし、待ち時間も長かったし、最悪」
「過剰防衛にならなくて本当によかったよ~~」
などと私は南さんを心配していたことを真田くんにも分かるように伝える。真田くんのところに来たのはほかでもない、折れたラクロスのラケットを直して貰うためだ。
「常習犯だったみたいだから、掴まって本当によかった」
南さんはうんうんと何度も頷いた。南さんは今度表彰されてもおかしくない。
「でもよく前を歩いていたのにひったくりに気付いたね?」
「変な音がして振り返ったら、ちょうどその瞬間が見えたんだ。そしたら私、手に武器持ってるじゃない? そんでもって私の方にスクーターくるじゃない?」
「自分で武器とか言う?」
「そだね。クロスは結果的に武器になることがある、だ」
どうやらラクロスのラケットのことクロスというらしい。私たちの会話を聞いているのかいないのか、ふーんと言いながら、真田くんはガスバーナーでお湯を作りつつ、聞いた。
「南さんはコーヒー飲める人?」
「うん。今ならアイスがいいな」
エアコンが効いているとはいえ暑い。もう7月なのだ。
「いいん……氷川さんは?」
「私もアイスコーヒー!」
「はいはい」
「南さん、今日、部活は?」
「遅れるって言ってある」
南さんは真田くんがペーパーフィルターを折ってドリッパーに入れるところを興味深そうに見ていた。
「コーヒーってそういう風に入れるんだね」
「今はペーパーフィルターは珍しいのかな。ポーションのコーヒーなんて面白くないと思うんだけどなあ」
真田くんはペーパーフィルターの中に豆をこれでもかとドバッと入れた。
「アイスにするならこんなもんかなあ」
南さんはこれまた興味深そうに聞いた。
「真田くんはいつもこんなことしてるの?」
「まあね」
南さんと真田くん、もしかしてワンチャンあるのか。なんか雰囲気が違う気がする。いやいや、私の恋愛偏差値が低いだけか。わからん。いや一目惚れとかこの世には存在するらしいしな。
ヤカンのお湯が沸いたら、お湯を紙コップの上にのせたドリッパーに注ぐ。紙コップ8分目くらい抽出したところで、別の紙コップ半分に入れて分ける。続けて冷蔵庫から製氷された氷を取り出し、氷を紙コップいっぱいに入れる。真田くんはガムシロップとミルクを私たちの前に置く。紙コップの氷はすぐに溶けて、いい感じになってきた。
「どうかな? 美味しいかどうかわからないけど」
「ありがとう」
「ごちそうになるね」
「どぞどぞ」
私と南さんは紙コップを受け取り、真田くん自身は残ったお湯で普通にコーヒーをドリップする。二番煎じになるわけだが、豆が多かったから良しとしたのだろう。
ガムシロップとミルクがあればだいたいのコーヒーは飲めると思うが、真田くんがいれてくれたそれは、それなりに美味しくいれられていた。
真田くんはホットコーヒーをすすりながら、折れたクロスを作業台の上に乗せ、じっくり見る。
「こりゃ見事に折れたねえ」
「すみません……」
私はアイスコーヒーをすすったあと、頭を下げる。
「直る?」
南さんが恐る恐る聞く。この前の私もこんな顔をしていたのだろう。
「形だけなら間違いなく直るよ。だけど、試合で使おうとか思うんだったらそれなりに強度が必要になる。ラケット同士で打ち合ったときに折れて飛んで怪我でもしたら大問題だ。十分な強度が確保できる修理方法を採用したい」
真田くんは真面目な顔を南さんに向けた。
「うん、試合で使いたい」
私は申し訳なくなって聞いた。
「今日の練習はどうするの? クロスなくて困らない?」
「うん。アルミフレームのクロスを別に持っているから、全然困らない。そっちが本来の試合用なんだ。今のクロスはカーボンとアルミが主流なんよ」
南さんは知らなかったでしょう、と言いたげな顔を私たちに見せた。
「そうなんだ。カーボンだったら僕の手には負えなかったな。アルミならある意味いけたかもしれないけど」
真田くんは1つ聞いただけでいろいろな可能性を考える人らしい……アルミならある意味ってダジャレだろうか。いや、そんなことはなさそうだ。南さんもスルーして解説した。
「普通、シャフトの部分は交換できるんだ。でもこれは一体型だからできない」
「そりゃそうか。消耗品だし交換できた方が便利だよね」
ラクロスは激しいスポーツだと聞いている。
「でもさ。他にも持ってるならこれを修理することないんじゃない?」
南さんは今度は、図星だ、とでも言いたげな顔をした。表情豊かだな。
「うん。そうなんだけどさ、これはちょっと私にとっては特別なんだ」
う……私は特別なものを壊す星にでも取り憑かれているのだろうか。いや、星は取り憑かないな。星の下に生まれたのか、だ。ちょっと逡巡している間に、真田くんはちょっとだけ目を見開いて南さんを見て、聞いた。
「どうして?」
「最初にばあちゃんが買ってくれたものなんだ」
「ベタだけどベタだけに説得力ある」
「真田くん、それはちょっと失礼では……」
私は呆れる。南さんは少し考えて反応した。
「っても、ばあちゃん、生きてるからね!」
「死んだなんて思ってないよ……」
真田くんはさすがに困った顔をした。
「中学からラクロス始めたんだけど、家族には反対されたんだよね。ラクロスの道具なんてお小遣いで買えないじゃない? そんな愚痴をたまたまうちに来てたばあちゃんが聞いていて、田舎に帰ってからこれを送ってくれたんだ。今どきもう木製クロスなんて使うヒトいないし、どうやってばあちゃんがこれを見つけたのか知らないけど、嬉しかったな。それでさ、そのばあちゃんが今度、こっちにまた来るんだけど、ついでに試合を見たいって言っててさ。せっかくならばあちゃんのクロスを使いたいわけさ」
南さんは申し訳なさそうに折れたクロスを見た。私も申し訳なく思い、項垂れる。私がひったくりのターゲットにならなければこうはならなかった。もちろん悪いのはひったくり犯だが。
「OK、十分。それならやる気が出る」
「そうだよね。やる気は大切だよね」
「直す意味が一番大切だから」
真田くんは頷く。自分に言い聞かせているかのようだ。それはそうだ。なんでもかんでも直させられていたら彼自身の時間がなくなってしまうだろう。
「今回も私が手伝うよ。私を助けてくれたクロスに恩返ししたいから」
「助かるよ」
「おお。もしかして私、お邪魔?」
南さんがいらぬ気を回す。私は大きく首を横に振る。
「いやぜんぜん?!」
「僕の方も氷川さんとそういう風に見られるなんて恐れ多いよ」
「なにさその『恐れ多い』って」
「『委員長』のファンは多いから。漏れ聞こえてくる分にはだけど」
「なにそれ知らない」
「南さんのファンもいるから念のため」
「わあ。そうなんだ!? 男子の情報、新鮮!」
南さんのファンがいるのは分かる。いかにも目立つオーラを持っている。運動神経抜群だし、なにをやらせてもそつが無いっぽい。
「氷川さんのお陰で成績もなんとかなったし、さっそく検討に入りますか。ただ、最初に言っておくけど、元の感覚で使えることは100パーセントないよ。見たところ1本の木からの削り出しだから、そのしなりや強度を再現することは僕にはできない」
南さんは少しがっかりしたように小さく俯いた。
「……そりゃそうか」
「でも、南さんが慣れてくれれば、使える強度にはなる。そもそも木材の接着技術ってのはとても発達しているんだ。いわゆるベニヤも接着でできているものだし、合板はいろいろなところで使われているから情報がいっぱいある。だけどさすがに試合の最中にトラブルを起こすような修理じゃ危ない。まあ、接着だけなら任せてよ。接着が終わったら見て貰って、また方向性を聞くことにする」
「わかった」
南さんは小さく頷いた。私は真田くんに聞く。
「今日できることはある? 私やるよ」
「ちょっとだけある。折れた部分を上手く接合できるように曲がったところを取り除くこと、くらいかな。あとは必要な物を揃えないと。肝心なことを聞いてなかった。見に来るっていう試合はいつなの?」
「2週間後」
「メッチャ暑そう」
そうなるともう7月下旬だ。私はやる方はもちろん、見る方も大変そうだと思う。
「だから早朝にやるんだ」
「時間はたっぷりある。安心したよ」
真田くんは安心してクロスの方を見た。
「すみませんでしたねえ……」
私の場合は猶予が数日しかなかった。時間があればもっと修理方法の選択肢があったのだろう。申し訳なく思う。しかし真田くんは私の方に目を向けても、不思議そうに首を傾げるだけだった。
南さんはコーヒーごちそうさまと言って部活に行き、私は美術準備室に残った。
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