第73話「鋼メンタルで精通ドラゴンを慰め抜く」

 チート自販機での買い物を終えた僕は、気分転換に庭へと繰り出した。

 いやね、ちょっと庭の改造計画を練りたくて。

 なんせほら、気が早いことだけど子供も生まれるでしょ? それに備えて今のうちから庭をどういう風に改修するか考えておこうと思ったんだよ。

 今の庭もデアボリカがこだわって設計しているから美観はすごくいいんだけど、子供が安全に遊べるスペースもほしいよね。

 あとドッグランなんかもあるといいかな。やっぱり小さい子供にとって犬は最高の遊び相手だし(くぅーん……)いや、やっぱ犬はペロだけでいいや。


 ……わかってる、現実逃避だよこれは。


 日本にいたときから考えてはいたんだ。

 WEB小説だと神様が死亡した人間の魂を拾い上げて、チート付きで異世界に転生させてくれるのってテンプレだよね。

 でも、神様って何の目的でそんなことするんだろうか。


 本来死ぬはずじゃなかった人間を殺しちゃったからお詫びで。うんうん、あるあるだね。

 でもそれってなんというか、神様を名乗る割には腰が低いと思わない? お詫びというのは対等な人間同士の間で迷惑を掛けた場合に成立するものでしょ。


 神様と人間はまったく対等じゃない。ギリシャ神話しかり、北欧神話しかり、そんなのわかりきったことだよね。日本神話は割と人間と神様が対等というか、ぶっちゃけ時の権力者を神様に祀り上げてるだけだよねこれってのが透けて見えるから別として。

 神様と人間の間には、人間とありんこどころじゃないほどの差があるわけだよ。


 仮に僕たちがありんこを実験用に飼育してたとして、間違ってそのうちの一匹の触角を折っちゃったから、お詫びに別のケースに入れて砂糖水たっぷり与えて特別待遇してあげようねってなる? 

 ならないでしょ。そもそも見分けすらつかない存在に、そこまで気を利かせたりしないよ。


 じゃあなんで神様は人間を異世界に送るのか。

 答えは“観察”なんじゃないかっていうのが僕の推論だ。

 現代日本で暮らしている人間の魂を別の世界に放り込めば、環境に変化が起きる。たとえばアクアリウムというひとつの水槽の中で完結した世界に、別の水槽から異なる生き物を加えれば生態系が変わるように。

 ナーロッパという異世界に現代日本人を投げ込むことで、世界に変化を起こすことを期待されているんじゃないだろうか。その目的が学術研究なのか娯楽なのかは知らないけどね。


 【インフルエンサー】が大幅に値上げされていたのは、僕を観察した結果、その影響が強すぎるから調整したってことなんじゃないかなあ。コイン4枚から400枚へ。100倍だぞ、100倍!

 あのスキル、多分病気を治すとかドラゴンを完封するのは想定外の挙動なんじゃないかって思うんだよね。だってカタログの元々の紹介文には、味方に強力なチートや鍛え上げた能力値を移して無双しましょうって書いてあったし。


 ちなみにだけど、その通りの使い方をした場合の【インフルエンサー】は大して強くないと思う。

 だって味方に与える価値があるほどの強力なチートを取得している転生者の仲間って、元からそいつに肩を並べるほど強いわけでしょ。だからチートや能力を移しても、大してパワーアップはしないんじゃないかな。それならコイン4枚も妥当だよ。


 多分このチートスキルを作った誰かさんは、神の視点であるが故に個人の力量差について疎い。だからあんな書き方をしたし、大して強くないだろうと思ったからコイン4枚に設定した。

 これは力量差が開いている者同士だからこそ強力なスキルなんだ。

 僕は自分をクソ雑魚のままにして、強者を引きずり下ろすのに使ったけども。

 こいつの考えうる最も極悪な使い方は、“一般人を強化する”だ。


 たとえば【サンキューイッチ】という“投げるボールが時速150キロの剛速球になる”チートを取得する。それをスラムにいる貧弱な一般人数百名に付与する。そして彼女たちを戦争に駆り出し、相手の軍に向かって投石させれば……どうなると思う?

 あっという間に敵軍をミンチにする、人間ガトリング砲の出来上がりだ。魔法という広範囲兵器が存在しているこの世界においてすら、侮れない戦力になるだろう。

 なにせ魔力に秀でた魔術士も、それを育てるコストも必要ない。そこらへんの一般人を集めるだけでいいんだから。軍人の視点からすれば、これほど経済的な戦術もないだろう。

 ただの一般人を転生者と同等の殺戮兵器に変えうる、それが【インフルエンサー】の恐ろしさだ。


 もちろん僕はやらないよ。僕は戦争なんか関わりたくもない。平和な日常をこよなく愛する、いたって平凡な日本人だからね。この先もずっと平穏に暮らしていきたいと思っているよ。

 だけど転生者がみんながみんなそうとも限らないよね? ひょっとしたらシリアルキラーが混じってるかもしれないし、この世界で軍人になってるかもしれない。

 そして僕程度が思いつくことは、他の誰かも当然考えつきうるんだよ。複数人がこの戦術を取り入れたら、この世界の戦場は大変なことになるだろうね。

 その影響のデカさを考えれば、コイン400枚なんていう僕程度の凡人転生者じゃ手の届かない価格への改定はまあ妥当だろう。


 問題は、僕がこの価格改定から上位存在に見られていることに気付いてしまったことだ。

 正直言って、今結構なストレスを感じているよ。


 何にイラついてるかって、お嫁さんとのイチャラブセックスを覗き見されたことだよ。セックスというのはね、何というか救われてなくちゃダメなんだ。水入らずで静かで豊かで……。

 人の情事を覗き見する奴は神であろうと馬に蹴られて地獄に落ちろと思うよ。

 まあともかく、種付けお兄さんを祖父から受け継いだ僕にとって、セックスは特別な行為なんだ。絶対に第三者に介入されたくない。自分でもびっくりするくらいイライラしている。

 次にチートを取るときは、セックスしているときに誰にも覗かれないスキルを買おう。そう決意したよ。そんなピンポイントなスキルあるかわかんないけど。

 ああ、イライラする……!


(くぅん……)


 そのとき、風が舞った。

 ふわりと鼻をくすぐる懐かしい香りと、濡れたものが頬を撫でるような感覚。

 もちろん気のせいだ。ただ、そよ風が頬を撫でただけ。


 ……なんだかちょっと落ち着いてきたな。

 さっきまでささくれ立っていた気分が嘘のような、安らいだ気分だ。

 まあ、そこまで怒ることもないか。


 神様が僕に何を期待していようが、知ったこっちゃないしね。

 誰かに見られてようが見られてまいが、僕はこれまで好きなように、自分が楽しいようにやってきた。これからもその生き方を変えるつもりはない。

 所詮凡人に過ぎない僕が何をしたところで、この世界に大きな影響を及ぼすとも思えないしね。好きにやらせてもらいましょうや。


 そんな結論に至って、なんだか気が楽になった。

 やっぱりこの庭は良いな、歩いていると心が落ち着いて気分転換になる。

 こんなセンスがいい庭を、あのデアボリカが設計したってマジ? あの腐れた精神のどこからこんな美しい造園が出てくるんだろうか。

 芸術家って奇人が多いっていうし、美術的センスと人間性って一致しないんだなあ……。


 そんなことを考えながら庭を散策していると、何やらじゃぶじゃぶという水音と一緒に、誰かがすすり泣くような声が微かに聞こえたような気がした。

 はて、なんじゃらほい。


 気になって裏庭へと回ると、井戸の近くで小さな人影がしゃがみながら、必死で手桶で何かを洗っているようだ。


「ひっく……ひっく……」


「何やってんのお前?」


「ぴゅいっ!」


 僕が声を掛けると、ドラコは大きく肩を震わせて飛び上がった。

 その顔色は悪く、目元がぐずぐずに腫れている。


「な、な、なんだよっ! あっちいけよっ!」


 そう言いながら、さっと手桶で洗っていたものを後ろ手に隠す。

 うーん?


「何だはこっちのセリフだよ。何やってたんだ?」


「うるさいっ! お前には関係ないだろっ!」


「あるだろ。僕はお前の親父さんに面倒を託された先生だぞ。なんか顔色悪いし、病気だったら一大事だろ。隠さずに見せてみろ」


 僕がそう言うと、ドラコは渋々と手にしたものを見せてきた。

 それはパンツだった。

 といっても女の子のじゃないよ。アイリーンとかウルスナの下着盗んでたら間違いなくしばいてた。

 こいつが履いてる、生地の小さな男性用パンツだ。


 なんだお漏らしでもしたのか……と思ったけど、股間部分には白くて粘っこい液体が絡みついている。あれ、これって……。

 じっとパンツに視線を向ける僕に、ドラコはぐすぐすと鼻をすする。


「あのね、さっき自動車の絵を見てたら、おちんちんが固くなってきて……。触ってみたら、白いのが出てきて……。ボク、病気なの? 死んじゃうのかな……」


「あー。これはごく普通のことだから心配しなくていいぞ」


 僕は咄嗟にそう返した。

 いや、待て。普通か? 自動車の絵を見て勃起するか普通?

 その困惑が顔に出てしまっていたのか、ドラコはますます混乱した様子でこちらを見ている。


「やっぱりボク、おかしいの? ボク、どうなっちゃうの……?」


「いや、おかしいというか……何というか」


≪取得条件は【何らかの手段で男の子を精通させる】です≫


 脳裏をよぎるアナウンス。

 いや……まさか。


「お前、僕のこと好きなのか?」


「はあっ!? いきなり何言ってんのお前!?」


 あ、よかった。違うみたいだな、

 顔を真っ赤にして怒ってきたので、的外れだったようだ。

 まあたまたま精通のタイミングが来ただけだろう。


 とはいえどう説明したもんかなあ。

 僕も口下手だし、変な先入観を植え付けたくもない。

 ……いや、待てよ。これこそさっき取得した【最高のプレゼン体験】の使いどころでは?

 一度どこかで試しておこうと思っていたし、絶好のチャンスじゃないか。


 僕は不安そうにこちらを見ているドラコの肩に手を置くと、腰を屈めて視線を合わせた。

 できるだけ受け入れやすいように笑顔を作って……いくぞっ!


『落ち着くんだ。これは精通といって、男なら誰でも迎える当たり前のことなんだ』


 その言葉と共に、僕は精通というメカニズムをいたってフラットに思い描く。

 キィィィィィィィン……!!


 え、これ何の音?

 なんか鈴を鳴らしたような音と同時に、渦巻き型のエフェクトがドラコの頭に向かって発射されたような錯覚が……。


「……」


 ドラコは硬直して、瞳孔を見開いた虚ろな表情を浮かべている。

 いや、これ大丈夫? なんか洗脳系の能力みたいな絵面になってるんだけど。


 だが僕が慌てたのも一瞬のこと。

 ドラコはすぐに元の瞳に戻ると、ほっと安堵の息を吐いて胸を撫で下ろしていた。


「そっか、これって普通のことなんだ。よかった~」


「……大丈夫か? どっか変なとこないか?」


 念のために訊いてみるが、ドラコはきょとんとした顔で首を傾げている。


「え? 別になんともないけど。だって男なら誰でもなることなんでしょ?」


「……そうだなっ!」


 僕は満足感たっぷりに頷いた。

 よーし、ばっちり伝わったぞ!

 ……なんか絵面がいかがわしかった気がするけど、別に後ろ暗いことはしてないしね。

 僕は抜群の説得力でドラコに精通を説明しただけ。ドラコもそれで納得しただけ。

 何もおかしいことはなかったな、よし!


「しかしそうか。ドラコも大人になりつつあるんだなあ」


「ふふん。これでボクが族長になる日も近づいたな。見てろよ、ボクが族長になったらお前なんてけちょんけちょんにしてやるからな!」


「はいはい、体だけ大人になっても仕方ないけどな。中身も大人になれるように精々励めよ」


 そう言って僕が踵を返そうとすると、ぐいっと服の裾をつままれる感覚があった。

 振り返ると、ドラコが上目遣いにじっと視線を向けてきている。

 まだ何かあるのか?

 そう思って言葉を待っていると、ドラコは赤らんだ頬を僅かに膨らませていた。


「……そう言うならさ、ボクにちょっと勉強教えろよ」


 おっ?

 僕が視線を向けると、ドラコはがーっと噛みつくように小さな牙を見せる。


「なんだよ、お前はボクの先生なんだろ。何も教えないくせに金貨360枚も持ってく気か? そういうの給料ドロボーって言うんだぞ! 金もらってるセキニンを果たせ、セキニン!」


 どういう風の吹き回しか知らないが、そう言ってくるなら断る理由もないな。


「いいだろう。僕から学びたいっていうのなら、ちょっと考えてやる」


「フン! ボクを失望させるなよ!」


 そう言って、ドラコは腕組みしながらぷいっとそっぽを向いている。

 まあ、勉強といっても何を教えたもんか何も考えてないんだけど。

 とりあえず算数あたりから教えてやればいいのかなあ。九九とか言えるだろうか?

 カリキュラムを考えてやらなきゃな。


 ……まあ何にしろ、こいつに友達を作ってやるのが最優先か。

 ドラゴンだってバレると怖がられるだろうから、友達と遊べるように角と尻尾を隠す変装も考えてやらなきゃいけないな。

 そう思いながら、僕はドラコの頭の角を撫でる。まだ枝分かれもしていない、子鹿のような小さな角だ。これがいずれドラパパみたいな立派な角になるかと思うと、異種族の不思議を感じるよね。


「……」


 ドラコはぷいっとそっぽを向きながら、しばらく黙って僕に角を触らせていたのだった。


 余談だけど、なんか物陰から様子を見ていたらしいメイドさんが、ほっこりした笑顔で「今日のディナーはお祝いにしましょうね」なんて言ってきた。

 いや、男の子が精通したくらいでお祝いなんてするか? この国の常識ってつくづく意味が分からないよ……。



≪説明しよう!

 我々の価値観における、初潮を迎えて泣きじゃくる少女を聖女のお姉さんが慰めて、それは病気じゃないのよと優しく諭してあげているシーンである! 別に同性同士ではどうってことない話をしてるだけなのだが、異性の目から見ると何故か母性愛を感じる微笑ましい光景に映るのだった!

 ちなみにこの世界は男子出生率が低いので、精通は一大イベントとしてお祝いごとの対象となる! 逆に初潮はふーん、パンツに布詰めとけば?で済まされてしまうのだった!≫

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