古本地獄

口十

笹船

 これでもない……嗚呼、これでもない。

 おゥや、こんなチンケな古本屋に貴方あなたのような御若い方が来るのは珍しい。嗚呼否、近くには大仰な大学があるものだからそうでもない……のでしょうか。

 マァ兎角、いらっしゃい。何かお探しで? ヘェ、賃労働と資本? カール・マルクス? 嗚呼、申し訳御座いません。神谷書店うちは先祖の代からのまじないで西洋人の諸本は取り扱わないことになっているのです。えぇ、この二万五千冊以上の諸本がすべて日本人の著書にて御座います。

 嗚呼!お帰りにならないで!代わりに素敵なものを御用意しますから。ね? ネ?

 嗚呼良かった良かった。その賃労働と資本とやらを御探しになっている辺り、邪推すると貴方は大学生でいらっしゃる。しかも卒業論文に苦労する年齢と見受けました。違う? したらば何を……

 ハァハァ、サラリィマンでしたか。その御年で……マァ何と、気苦労も御座いましょう。マッタク、世はもう少し遊びを持った方が良いのでは、と……。すいません。ジジイ臭くなってしまいました。

 して、そのサラリィマンが何故そのような本を御探しで?

 ……………

 お答えにならない。マァそうでしょうな。こんな胡散臭い古本屋の古臭い外套を羽織った男になぞ答えとうないでしょうな。

 エ? そういう訳でもない? 果て。でしたら何故……。嗚呼!判りましたぞ!差ては好きな女性にプレゼントするのですね? それでしたらもっと現代チックに致しましょう。恐らくですがその女性も貴方と同年代。でしたら漫画なんかお好きでは、と……。エ? これも違う?

 マァ積もる話もありましょうな。何せその御年で社会人となる決断をなさった御方だ。そう簡単には話せない事情もありましょう。

 ア。そうだ。でしたら私の本探しでも手伝いませんか? ソウソウ。この古本屋一番の値が張るものなのです。その額十五万。一冊の本にですよ? マッタク、御先祖様は何を御考えになったのやら。しかし、当主はわたくし。当主権限と致しまして、若し貴方が見つけて下さったのなら、五万までは負けましょう。

 その本何と大正のシガナイ宍原ししはら一世いっせいの手がけた生涯一冊の本!一五歳から三〇で窒扶斯チフスで死ぬ迄毎日書き続けた『天照アマテラス外郭がいかく』!

 ……マァそう呆れなさらないで。知らないのも仕方ありません。何せこの本は死後、生前唯一の友であった薬売りによって纏められ、増版もされなかった正真正銘『世界で一冊の本』なのですから。

 むかァしに当時のこの店の店主でした史郎から渡されたのですが、その本の何たる非道いこと……。あらましは単純シンプルなのですが、如何せん学がありすぎたのでしょうな。話が飛び火し飛び火し、忘れた頃に本元の話が殴り込みにやってくる。しかもその飛び火した先の話が亦興味深い。だから惹かれつ惹かれつしてたら「ア、そうだった」と帰ってくるものですから何度読み返さなければならなかったことか。

 その本の前編が何処にも無いのです。これは古本を扱うチンケな商売にとっては一大事なのですよ。何事も始まりが大事。貴方にも御覚えがあるでしょう? 話題の漫画やらを見ようとしたら一巻が何処にも売っていない。したらばその物語そのものを諦めてしまいかねない。そんな悲劇、私はもう充分なのです。

 ……オオ!探して下さる!なんとお優しい。でしたらば、早速探すと致しましょう! 中央コッチの棚はもう調べましたから、残るは此方こちらの棚と彼方あちらの棚……。少ない方が良いでしょう? でしたら此方をお願いします。此方は此処迄は探しましたので、残りの方を……ヘェ。宜しくお願い致します。

―――――――――――――――――――

 何か見つかりましたでしょうか? 何? 探し終えるのが早い、と。ヘェ、そりゃぁコチトラ本職で御座いますからな。御客人から『この本ないかしら』と云われりゃぁ血眼になって探すものです。

 それにィ……貴方がお抱えになっているその本達のように誘惑も少ないものですからね。

 アハハ。いのですよ。本だっていつまでもカビてちゃ仕様もない。誰かに読まれる為に生まれたんだから良い機会だったというだけ。それに、貴方だからお教えしますが、この古本屋の所蔵には同じぐらいの本がありますからな。曾孫の代まで品揃えに困ることはないでしょう。

 さてと。此処までは終わったのですね? でしたらば二人がかりで探しましょう。その方が幾分か早いでしょうしな。

 …………オォ!ありましたよ!

 ア、イエ。そのォ、前編ではなかったのですが、後編が此方に。したらば前編も近くに御座いましょう。そこは一旦打ち止めでこの辺りを重点的に探しましょうぞ。

 ホラ!ありましたありました!

――――――――――――――――――――――

 ………ア、何? そろそろお帰りになる? アァ、そうでしたか。そういえば貴方は御客人。大事な事を忘れておりました。

 して、その抱えた本はどうされる御心算おつもりで? マァり。買ってくださるのですね。イヤァ、こんな古臭い本屋に資金を投じるとは、御客人も判っていらっしゃる。

 計五点。五三〇〇円です。領収書は? 要らない。ハァ、左様で。でしたら、この店オリジナルの栞でも差し上げましょうか。ナニ、ウチの娘の手作りの押花ですよ。ですからそれも一点もの……。ハァ。御先祖様達に何と顔向けすれば良いか……。

 マッタク、中身だけスッカリ盗まれていたとは。古くからある遣り方なのだから、私も客を見抜く審美眼は持っていたと思っていたのですが……。古すぎるあまり、現代ではやらない、と決めつけていた私が悪かったですね。

 マァ、あの本の難解さに、盗人が諦めて返しに来てくれることを願いましょうか。

 マッタクマッタク。新しい御客人を御迎え出来た良い日だというのにこんな辛気臭い終わりで申し訳御座いません。幸い、後編は中身もシッカリ入っていましたからこれだけはしかと売ろうかと。

 嗚呼、そうだ。最後に邪推でもして宜しいですか? なァに。直ぐに終わります。

 貴方が最初に尋ねた本……モウ名前も忘れてしまいましたが。その本は私にも判る頭でっかちな本なのでしょう。それを探し求めた理由です。

 五〇年も生きていると判るのですよ。より己を美化したい。美しく言えば、自己研鑽のたぐいなのでしょう? エェ、エェ。私にもそういった時期は御座いましたから。何も恥ずべきことではないのですよ。

 ですが、敢えて言わせて頂きましょう。今日選んだ本で判りますよ。貴方は今の儘で十二分に美しい。

 ですから、安心して社会を歩いてください。私のように、踏み外してはなりませんよ? 社会とは、断崖の細い細い崖道なのですから。一度落っこちたら戻れませんので。

 サ、こんな小話も充分でしょう。ササ、お帰りの準備を……。またのお越しを―――

 オヤ。この県の方ではないのですか? 東北? ハァ。ですが、私の云うことは変わりませんよ。またのお越しをお待ちしています。

 ハハ、また来たい、と。その時迄は社会人でいましょうな。でないと賃金も貯めれないですから。

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古本地獄 口十 @nonbiri_tei

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