第19話 揺れ動く心

「私への恩は忘れない」と断言したアディスは、

日を追うごとに

私をまるで恋人のように扱った。


これまでの冷酷な傍若無人ぶりは嘘のよう。


毎日私の部屋を訪ね、

必ず贈り物を携えてくる。


侍女たちへの手土産も忘れない。


彼女たちは毎日アディスの来訪を心待ちにして、

私を着飾ることに勤しんだ。


こないだまであんた達は

あの男にぶたれてたんだよ?と言っても、

それが何か?とケロッとしている。


アディスはというと訪ねてきておきながら、

なにも話さない。


ただ私に「気分はどうだ?」とだけ聞く。


私がそれに答えると、

顎で合図して続けて喋るように促す。


私は延々とその時思いついたことを話すのだ。


塞ぎこんでいた時とは別人のように、

私はアディスの前で言葉を発する。


アディスが聞いていようがいまいが、

正直どうでもよかった。


シュメシュに来るまでの記憶をなくしていること。


自分の名前しか覚えていなかったこと。


メーレの街でミアとシャフィと暮らしていた頃のこと。


離れでライリカやナダと過ごした日々のこと。


いつか記憶が戻ってほしいと思っていること。


自分がどこから来て、

本当は何者なのか知りたい気持ちと

真実を知るのが怖い相反するような気持ちがあること。


アディスに同情してほしいなどとは、

全く思っていなかった。


ただ、私は自分がここにいるという事を

言葉に出しておかないと

次は私の存在そのものが消えてしまいそうで怖い。


アディスに話していると、

自分の心が整理されていくようにも思えた。


アディスは目をつぶり、

私が語る言葉をかみしめるようにただ黙って聞く。


私はアディスからの好意を

受け止める事も拒絶する事もできなかった。


自分が結局どうしたいのか分からなくなっている。


シャフィは罪人としてアディスに処刑された。


血のつながった弟と思えるぐらいに

愛したシャフィを私は目の前で殺されたのだ。

 

ルツとリャオも行方知れず。


ミアにももう会うことは叶わない。


私はこの世界で一人ぼっちになってしまった。


なのに、私は今メリト・ネスウトとして

仇のアディスに仕えている。


いずれ、アディスと結婚する立場にある。


そして、アディスが異性としてのアピールを始めてきた。


殺したいほど憎い男だ。


そのはずだった。


でも、襲撃事件のとき

弓矢がアディスを貫くと分かった瞬間、

体が勝手に動いて

アディスを助けた。


アディスの言う通り、

暗殺者に気づかない振りをして

その場をさっと離れていれば

彼は死んで私は自由の身になれたはず。


でも、そうはしなかった。


できなかった。


私は何がしたいんだろう。


来る日も来る日も考えて泣いた。


アディスの私への変貌ぶりはあからさますぎたため、

宮殿内ではアディスがついに伴侶を決めたという噂が

瞬く間に広まった。


例の襲撃事件で

私がアディスを身を挺して守ったという話題でもちきり。


「侍女にしておくのはもったいない!」


「異端のものを王のおそばにおいておくなど汚らわしい」


「あの者は魔女なのか?」


「でも王を救ったわ。女神の使いなのでは?」などと

外野は好き勝手な事を言っている。


ゴシップは王宮内にとどまらず

「王を救った異国の娘メリト・ネスウト マリナ」

と国民の耳にまで入るようになった。


周囲の盛り上がりとは真逆に、

私は思い悩む日々が続いていた。


自分がなぜここに存在するのか、


なぜここに来たのか、


そしてなぜ自分の身の上を思い出せないのか、


私の住むべき本来いるべき場所に帰りたい。


でも帰る方法が分からない。


そもそも帰る場所など、

私にあるのだろうか。


そんなことを永遠に考え続けた。


ハビエルは私の様子を見かねてこう言った。


「アディス様はマリナ様のお力になりたいとお思いです。

あのお方の知性、権力、もてる力すべてを以って。

マリナ様がお心を開かれるならば」

 

アディスに心を委ねる気はない。


甘えるつもりもない。


もし、アディスに全てを委ねてしまったら、

まるでシャフィとミアを裏切るみたいだ。


でも、私はアディスの好意に気づいている。


同時に私自身がアディスに惹かれ始めていることにも。


もうここにはいられない。

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