第三章 辺境伯の息子と海竜退治

第1話 店番を引き受けた

 俺は、特段人と話すことが苦手というわけではない。十六年というまだまだ短い人生ではあるが、人と関わらないで過ごしたこなかったことはなく、三つの世界を渡り歩きながら、魔王の情報などを集めながら旅をしてきた。


 ただ、一人で冒険してきた影響か、俺の生来の性質なのかはわからないが、俺にとって穏やかじゃない状況が訪れると、一人で突っ走ってしまい、一人で考えてしまって、一人で焦ってしまうことがこの世界に来て浮き彫りとなった。


 一人で突っ走ってしまった結果、友達を危険に晒してしまうことがあった。その友達のルーエンやフィオラ、ヘルナからは俺自身のことも大切にしろ、もっと人を頼れ、というようなことも言われた。


 だが、中々今までの自分の在り方を変えるのは難しいとも感じているところではある。


 人からお願いされれば、一つ返事で手伝うということができるのだが、人に頼むことは中々苦手な今日この頃である。


 それにしても、だ。


「……疲れた」


 カウンターに突っ伏して、俺は大きなため息を漏らしながら言った。体力的には疲れていないが、精神的にはひどく疲れた。


 店に買い物に行くことはあっても、買われる側を経験したことは今まで一度もなかった。


 俺は、フィオラのアトリエの店番をしている。いや、していたいたというのが正解か。今、フィオラが外に『close』の立て札をかけに行ったところだ。本日の営業は終了。流石に、客がいる前で疲れたなんて言えない。


 普段なら店番をヘルナがやっているのだが、予定があって数日間留守にするとのことで、代理でやってくれということで行っている。


 ヘルナからは「ウィルさんなら問題ありませんね」と、どことなく沈んだ声で言われたのは、店番が大変だということを案に示していたのかもしれない。


 店番の仕事がここまで疲れると思わなかった。主にやっていたのは、商品の受け取りと、会計、商品の受け渡しだ。それ自体は疲れないのだが、客との会話が中々に多く、色々と喋っているうちに行列ができたり、フィオラに急かされ慌てて商品を落として失敗してしまったりと、散々だった。


 幸い客は怒ってくるというよりかは、むしろ俺の頑張りを誉めてくれていたように感じる。年上の女性が客としては多かったためか、やや子供扱いされていたような気もするが、怒られずに済んだのはホッとした。


 元々いた世界でも、十六歳になったあの日、夢の中にイルディが出てくるまでは俺はのほほんと過ごしていた。育った村で一生を終えるものだと思っていた。魔物が攻め込んでくるまでは。


 それから、世界の勇者として魔王の討伐に行き、三回も繰り返すとは思っても見なかった。


 魔王討伐の旅を通して、色々と経験をした。魔物との戦い、剣術や魔法の修行、荒んだ世界の人々との交流……。


 それぞれの経験は非常に俺の糧となっていた。笑顔を向けられること、お礼を言われることもあったが、荒んだ世界では人々の気持ちも捻じ曲がってしまっている人もいて、罵詈雑言を浴びせられたこともあった。


 どうして俺がそんなことを言われないといけないのかと思うこともあったが、人を助けたいという気持ちは強かった。俺の故郷のような村を作りたくないと。勇者として手にした力で人のためになれるのならそれで良かった。


 だが、そのどれとも今回の疲れは違う。いつもの魔物を相手にしているような気楽な感じがしなかった。魔物を倒すことが気楽に感じてしまっているのもそれはそれでどうかと思うが、店番を毎日こなしているヘルナには敬礼だ。


 心の中でヘルナを崇めていると、外からフィオラが戻ってきた様子で「……ウィル、大丈夫? 相当疲れたみたいね」という声が聞こえた。


 顔を上げると、フィオラが眉をひそめて俺のことを見てきている。疲れたことは疲れたが、心配させるほどじゃない。


 でも、客に愛想笑いをして笑顔を向けていたことで、無理に笑顔を作ることが今の俺にはできない。


「あぁ、ちょっと疲れた」

「ちょっと、声もガサガサじゃない。……中々お客さんが引かなかったからね」


 そう、中々客が絶えなかったのだ。普段がどうなのかはわからないが、落ち着いている時間がほとんどなかった。


 たくさんの人がフィオラの魔道具を買い求めにきてくれることは俺としても嬉しく思う。


 フィオラはこの街——アルハイルブルグで一番の魔道具店になることを目指している。そのために、客がたくさん来てくれて、お店が繁盛してくれることや、噂を広めてくれるのは非常にありがたいことだ。


 そのための手伝いができることは冥利に尽きるのだが、俺にはどうやら店番の才能はないように思う。


 人との関わりは嫌いじゃないが、目まぐるしく変化する関わり方に俺はついていけなかった。この人にはこう言った対応、別の人には別の対応、ということを客に応じて対応を変えていくということが難しく感じた。


 フィオラから飲み物をもらい、一気に飲み干す。あぁ、美味しい。乾いた身体に活力が戻った感じを受ける。

 

「……いつもこんなに人が来るのか?」


 ヘルナは数十日間留守にするという。この状況が毎日続くとなると恐怖を覚える。そのことを確認しようと、俺はフィオラに恐る恐る尋ねた。


「ここまでじゃないわ。それなりには来るけど、休みが取れないほどの行列なんて今日が初めてよ——それも、女性客ばかり」


 確かに、女性客が多かったように感じる。ただ、それはフィオラが女子であり、女性客に受ける魔道具を取り揃えているのだろうと勝手に思っていた。


 今日はたまたまということなのだろう。だが、そのたまたまがどうして今日起こってしまったのか。その理由はわからない。


 フィオラは俺のことを見て「まぁ、十中八九ウィルのせいだと思うけれど」なんて言っているが、俺にはそんなことをできる力はない。


 魔法や剣術で魔物を倒すことはできても、客を引き寄せることなんてできない。ヘルナが戻ってくるまでまだ数十日もある。


 頼むから、明日以降は落ち着いて仕事がしたいものだ。手を合わせ、この世界の女神であるイルディにお願いをした。



「えー、ウィルさん店番今日でおしまいなんですね。残念です……。あっ、そうだ! ウィルさん、今度よかったら一緒にお茶でもしませんか?」

「あっ、ずるい! そういうことでしたら、私も一緒に同席させてください!」


 食い入るように見つめてくる女性たちに「あっ、いや……」と、客の圧力に俺は敵わず、うまく言い返すことが出来ず、目の前で繰り広げられている状況にあたふたしているばかりである。


 女性というのは魔王が支配するすさんだ世界でも逞しいと思うことはあった、だがそうじゃない世界でもその本質は変わらないのだと思う。どこの世界でも、女性は逞しい。


 今日で、店番は最終日となる。明日にはヘルナが戻って来る予定なのだが、結局客足が引くことはこの数日間一度もなかった。


 色々と話をしていく中で、打ち解けた人もいる。中には、こうやって一緒に出かけようなどと誘ってくれる人たちもいたが、店番のこともあり断ることが続いていた。


 夕食も誘われた。ただ夜は、なまり切った身体を動かそうと街の外で走ったり、魔物と戦うことに決めていた。


 冒険者ギルドでの依頼をここ数日受けることができず、身体を動かさないとどんどん体力が落ちてしまう。


 助けたい人を助けられるために、修行しても足りないことはない。そう言い聞かせて、夜は修行に明け暮れていた。


 張り切りすぎて、電撃で街の人を驚かせてしまったことは、まぁ内緒だ。


 とりあえず、店番は今日で終了だということを伝えると、女性客たちの目の色が変わったように感じる。別に、フィオラのアトリエでなくても俺は街の中にいていくらでも会えるのだが……。


 まぁ、冒険者ギルドの依頼で留守にすることが多いから、仕方がないのかもしれない。


 とはいえ、女性とお茶などのおでかけをした経験はほとんどない。依頼などで同席することはあったが、そう言う状況ではなく普通にただ出かけるという状況を経験したことはない。だから、女性達から言い寄られると困ってしまう。


「ははっ、魔物相手には無敵のウィルも、女性相手にはからっきしだな!」


 不意に爽やかな声がした。声の方を見ると、ルーエンが頭の後ろで手を組んでいるのが目に入った。同い年ではあるが幼い顔立ちをしていて、笑みを浮かべている。この世界で初めてできた俺の友達。


 おぉ、救世主が現れた。この状況をなんとかしてくれ、というように手を合わせて目配せをすると、ルーエンは頷きおもむろに女性たちに声をかけた。


「お茶なら、俺が一緒に行きましょうか?」


 普段よりも格好つけたのだろうか、ルーエンが声のトーンを下げて言った。


 すごい。その一言を言うことに、俺は中々勇気がいる。


 人と話すことは別に苦手ではないが、女性と二人きりで、頼まれごととか関係なく、ただ一緒にいるだけ状況だと、一緒に過ごしたくないとは決して思わないが、そんな経験をしたことない俺は緊張してしまう。


 そんな状況の中で、恥ずかしがらずに自分の気持ちを言えてしまうルーエンには頭が上がらない。


 なんとかこの場が和んでくれればいいのだが、と思って二人の女性の様子を見ていると、二人揃ってこう言ってのけた。


「「結構です」」

「……そうですか」


 ため息と共に、露骨に肩を落として落ち込むルーエンだったが、この場は幾分か落ち着いたように感じた。

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