第6話 見た目は令嬢、中身はアラサー

 フレーデリックは俯き、無言で扉を閉める。

 パタンと扉が閉まる音が聞こえた。


 暫くしてからマイラはブランケットから顔を出し、部屋に誰もいないか確認する。


 仰向けになり、目を閉じてゆっくりと記憶を辿っていく。



 フォルクハルトは学園で人目も憚らず、エルネスティーネをそばに置き、まるで恋人同士のように振る舞っていた。


 マイラという婚約者がいると知っていながら、生徒たちはフォルクハルトとエルネスティーネを褒めそやす。


 あたかもマイラが二人の恋路を阻む邪魔者だと目の敵にし、悪しき令嬢を婚約者に持つ悲劇の王太子と、運命の人である可憐な伯爵令嬢の悲恋に、生徒たちは同情心を寄せている。


 マイラは何も言わなかったが、すでに多くの生徒たちから辛辣な言葉を浴びせられていた。


 その様子からマイラは卒業パーティーで、フォルクハルトが何らかの行動を起こすと予想をしていた。


 幼い頃から目の敵にされ、嫌われており、恥をかかせるために婚約破棄を言い出すつもりだと、マイラは読んでいる。


 フォルクハルトと破談になれば、がんじがらめだった日々から解放されて思うままに生きていけると、希望に満ちた。




 卒業パーティーを控えた前夜、就寝中に胸に激しい痛みが走る。

 息もできないほどの激痛で動けないマイラは死にたくないと強く願う。


 マイラの強い思いが茉依の記憶を呼び起こすきっかけになったのだろう。


 願いも虚しく、マイラの心臓は動きを止める。




 数秒、止まった心臓は鼓動を刻み始め、茉依がマイラの体で目を覚ました。




 才色兼備で人の感情に敏い、完璧令嬢のマイラに、人の感情も空気を読むことも出来ない茉依。


 マイラの記憶が残っていても、細やかな心遣いと、令嬢として凛とした気品は保てない。




(どうしよう? フレーデリック様に打ち明ける? その前にあの方は信用してもいいのかしら? 私を勝手に連れ出したのよ?)


 完璧令嬢のマイラはもういない。フレーデリックも完璧令嬢のマイラだと思っているだろう。


(中身が異世界のアラサー女に入れ替わっているなんて、誰も思いつかないでしょう。欠点だらけの私が、マイラちゃんの人生を歩んでいく。できる?)


 自問し、答えを出す。


(……無理だ。できる気が一ミリもしない。一ミリどころかマイナスだ。足を引っ張る未来しか見えない!)


 茉依は口下手で、思ったことを人に伝えるのが苦手だった。

 小学生の頃、誤解が生じてクラスメイトから距離を置かれて以来、話しかける勇気が持てず、ひとりぼっちで過ごしてきた。


 フレーデリックに打ち明けても、言いたいことが伝わるかが心配だったが。


(きちんと説明すれば、理解してもらえる……かなぁ? 私が理解出来ていないのに)


 すぐに弱気になり、迷いが生じる。


(大事な事だから頑張らなきゃ。頑張れ私!)


 自分を励まし、正直に話すと決意した途端、気が緩んだのか、お腹が鳴る。


(お腹すいたなぁ。口にしたのはケーキと紅茶だけだし……)


 窓に視線を向けると、外はすでに黒く染まっている。


(……私はどれだけの時間をかけて、状況を理解したのだろう。それでも、ほんの一部だ。全てを把握するには、かなり時間がかかりそうね)


 気がつけば部屋に明かりが灯っている。この世界も電気があるのだろうか。


 会場でフレーデリックが魅了魔法を解除していたと思い出し、魔法が存在する世界だと、改めて思い知る。


(まるでファンタジーの世界みたい。私も魔法が使えるのかな?)


 思わず手のひらを見つめてしまう。魔法が使えたら楽しそうだ。


 マイラはパジャマのまま、ベッドから抜け出し、誰かいないかと扉を開けた。




 薄暗い廊下に部屋の明かりが、扉の前に広がる廊下の壁に背を預け、うずくまるフレーデリックの姿を浮かび上がらせた。


 明かりに気づき、下を向いていたフレーデリックが顔を上げ、目を瞠る。


 フレーデリックと目が合ったと感じた瞬間、ギュッと抱きしめられた。


 驚いて身を固くしていると、フレーデリックの体が離れ、マイラの背に手を回し肩に顔をうずめた。


「茉依」


 甘く、切ない声で名前を呼ばれた。


(……え?)


 サラサラの髪が首筋に当たり、肩には温もりが伝わってくる。


「茉依、会いたかったよ。ずっと……ずっと探していたんだ。あなたに会えると信じて……やっと、会えたね」


 フレーデリックは顔を上げ、マイラの頬を撫でた。見上げるマイラは目を丸くしているが、ほぼ無表情のまま。


「茉依」


 フレーデリックに抱き寄せられたマイラの体は、フレーデリックの大きな体に包み込まれた。


 抱きしめる腕に力が入り、体が密着すると今にも心臓が飛び出しそうな勢いで鼓動を刻んでいる音が聞こえてくる。


(な、何コレ……フレーデリック様の心音?)


 何故か体が震えて足に力が入らなくなり、膝が笑う。マイラは体の反応に動揺し、何も考えられなくなってしまう。






「これ!! フレーデリック! マイラを絞め上げるつもりか?」


 スパーン!!


 小気味よい音が廊下に響く。音がして間もなく、抱きしめる腕が緩み、マイラはフレーデリックから解放された。


 先ほどの音は、国王が手にしていた書類を縦長に丸め、フレーデリックの背中を思いっきり叩いた音だった。


「まったく、世話のかかるやつじゃのぅ」


 国王は丸めた書類を左手の手のひらに打ちつけ、ため息を漏らす。


(陛下が手にしているということは、重要な書類では……)


 重要な書類を丸めて王子を叩く。国王もなかなか豪快だ。信じられない光景を目の当たりにしたマイラの目は大きく見開かれている。


「お前は何をしておる。危うくマイラに怪我をさせるところだったぞ」

「父上、何故ここに?」


 叩かれたダメージは微塵にもなく、心底不思議そうに言葉を放つ。

 国王はフレーデリックを睨みつけた。


「お前がマイラを宮殿に連れ込んだと報告されて、王宮から飛んできたんじゃ!」


 国王が声を荒げたのと同時に手に力が入り、グシャリと書類を握り潰す。


 潰れた書類に気づき、慌てて書類を伸ばそうと何度も撫でつけるが、しっかりとシワの寄った書類が元に戻るわけもなく、シワシワになった書類を見つめ、国王は肩を落とした。


 咳払いをし、気を取り直して侍女を呼び、マイラの着替えを指示する。


「マイラは着替えておいで。準備が整ったら、食堂へ来なさい」


 侍女に促されたマイラは部屋に戻る。侍女は緩やかなドレスを選んでくれた。

 パーティードレスはコルセットできつく絞められ、非常に辛かった。


 華やかな舞踏会も、美しいドレスを身に纏い、優雅な笑みをたたえている淑女も、裏では窮屈なコルセットと戦っているのだと、思い知る。

 ドレスを着せてもらい、髪形をセットしてもらった。


「きれいにしてくださり、ありがとうございます。食堂に案内してもらえますか?」

「かしこまりました。こちらでございます」


 侍女の案内で食堂へ向った。

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