幸福な楽園
洞貝 渉
幸福な楽園
Nが笑うと、まるで香りのいい花が顔をのぞかせたかのような華やかで心地の良い雰囲気が辺り一面に広がった。
Nが動けばどれほど淀んでいた空気も清浄になるし、Nが口を開けばこの世に不条理など何一つ無く全ての物事が理路整然と柔らかに解きほぐされ、Nがただそこにいるというだけで世界は光に包まれているということが明らかになった。
Nは神童だった。ただ才能が有ったり頭が良かったりするのではなく、NがNというだけで周囲の人間が自然と惹きつけられる、そんな何かがNにはあった。
きっとNのような人が世の中を動かしていくのだろう。向かうところ敵なし、天下無双していることにすら気が付かずに周囲を巻き込み、Nを中心とした世界が創り上げられていく……。
それはNと関わった全ての人々が思い、望み、渇望すらすることだ。
きっと、きっとそんな世界は、幸福な楽園に違いなかった。
しかしいつのころからか、Nの様子がおかしくなっていった。
ため息が増え、憂鬱な眼差しをすることが多い。
はじめは気にしていなかった周囲も、だんだんと焦り始めた。なにかNの機嫌を損ねるようなことをしただろうか。Nに嫌われたか。もしくは体調でも悪いのだろうか。Nに限ってないだろうが、なにか悩み事でもあるのか。
Nの気鬱は日に日に強くなり、口数が減り、笑顔が消え、動くことさえ億劫そうに見えた。
周囲は焦り、あの明解で心地よいNの声を聞こうと話題を振り、花開くような眩い笑顔を見ようと笑わせようとし、清らかな空気を拡散してもらいたくてあちらこちらへ引っ張った。
しかしどれもが逆効果で、Nは加速的に心を閉ざしていった。
そんなNがDと出会うことで変化を起こす。
Dはとても平凡だけど、ダンスが好きな子で、よく楽しそうに難しい振付に挑戦していた。
NはDの真剣にダンスと向き合うところに魅かれたようで、Dと積極的に関りを持とうとするようになる。周囲はDに嫉妬しながらも、Nに明るさが戻ったことを喜んだ。
ところが、今度はDの方がどんどん暗くなっていってしまう。
NはDのダンスを見ると、すぐに同じ振付を覚えてしまった。それどころか、Dがなかなかうまくできない振付でさえ、あっさりとできるようになってしまう。
Nには様々な才能があったが、ダンスもその一つだったらしい。
NはDがやろうとする踊りを、Dよりも早く覚え、Dよりもずっと上手くこなした。
なのにNは、自分では新しいダンスを覚えようとはしなかった。ひたすらDの後を追い、真似て、一瞬で追い越す、というのを繰り返す。
Dは日に日に自信を無くしてゆき、しまいには思い詰めて首を括って死んでしまった。
Nは再び心を閉ざした。
Dは、Dだけは他の人とは違うと思っていたのに、とNは言った。
Dは他人になど影響されず、自身が心から好きなものを純粋に見つめ続ける子なのだとばかり思っていたのに、結局Dもみんなと同じ、他人と比較して自分が一番じゃないと嫌になってしまう子だったのだ、と。
やがてNは、布団から起き上がることすら億劫になり、一日の大半を夢の中で過ごすようになった。
Nは、夢も現実も何も変わらないと言う。
どちらも等しく、思ったことがそのまま出来るのだから、と。
Nが夢の中で退屈している間、周囲の人間はNの布団を囲み、Nの寝顔を眺めている。
穏やかでミステリアスなNの寝顔を眺め、どんな夢を見ているのか夢想し、我こそがNの一番の理解者だと内心ほくそ笑み、いつまでもいつまでも動き出さずにいる。
眠り続ける今のNと同じように現実から切り離されて、みんなはすし詰めの四畳半という幸福な楽園にいるに違いなかった。
幸福な楽園 洞貝 渉 @horagai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます