幸せが幸せ
クロノヒョウ
第1話
俺には付き合って三年になる彼女がいる。
俺は四十を越えた。
彼女、美織は今日で三十歳になる。
わかってる。
両親やまわりから『早く結婚しろ』と言われるのも無理はない。
美織のことを愛しているし、早く結婚して安心させたいとも思っている。
だけど俺にはどうしても前に進めない理由があった。
「風間さん? どうしたの?」
美織の誕生日ディナーで予約したレストラン。
今がプロポーズの絶好のチャンスだ。
だから俺は美織に話さなければならないことがある。
「いや、何でもない」
俺が見つめていると恥ずかしそうな顔をする美織。
美織と出会ったのは婚活パーティーだった。
長い間ひとりだった俺をみかねて同僚に無理矢理連れて行かれた。
一目見た時から気になっていて、話してみて美織のその柔らかな感じに絆された。
「おいしい?」
「うん、おいしい」
本当に美味しそうに幸せそうに食事をする美織。
俺だって美織のこの笑顔を毎日見ていたい。
「美織、話がある」
デザートも終わってひと息ついた時、俺は美織の手を握った。
あれは三十歳の頃だ。
当時付き合っていたひとみと俺は結婚するつもりだった。
付き合ってまだ一年だったけれど、俺たちは同棲し始めた。
それくらい二人は愛し合っていた。
ひとみはひどく心配症なところがあった。
俺の帰りが遅くなると心配していつも駅まで迎えに来てくれていた。
あの日も、急な残業を終えて帰ろうとした時だった。
ひとみからの心配するメールがたくさん来ていたが仕事に夢中でスマホを見ていなかった。
俺が仕事が終わったから帰ると連絡を入れた時だった。
ひとみからすぐに着信があり、出ると相手はひとみではなかった。
病院からの電話だった。
ひとみは俺を迎えにいく途中で事故に巻き込まれたのだ。
「全部、俺のせいなんだ」
俺は美織に話しながら必死で涙をこらえていた。
もしかしたら、こうやって人に話すのは初めてかもしれない。
「俺はひとみを幸せにすることができなかった。だから、俺ひとりが幸せになっちゃいけないんだ」
美織は俺の手を強く握ったまま、ただ静かに聞いてくれていた。
「美織の誕生日にこんな話してごめん。俺は美織を愛しているし、できることなら結婚もしたいと思ってる。でも、俺は」
「風間さん」
美織に呼ばれて顔を上げた。
見ると美織はいつもの優しい笑顔を向けながら涙を流していた。
「そんなつらいことがあったなんて。気づいてあげれなくてごめんなさい」
なぜか謝っている美織。
「いや、俺がずっと言えなくて、俺のほうこそ本当にごめん」
美織は何度も首を振った。
「話してくれてありがとう」
美織を見ていると俺も泣きそうになる。
こんなにいい子なのに、俺はなんてひどい男なのだろうと自分のことが情けなくなっていた。
「私は、そのひとみさんは幸せだったと思う」
「え?」
ひとみが幸せだった?
「ねえ風間さん。風間さんはひとみさんといて幸せだった?」
そう聞かれてよみがえるのは、ひとみと過ごした幸せな毎日。
家に帰るといつも夕食を作って待っていてくれて、あたたかくて笑顔で溢れていた日々。
「もちろん、俺は幸せだった」
「じゃあきっと、ひとみさんも同じだったと思う」
俺が幸せだったから、ひとみも幸せだった?
「風間さん、今は幸せ?」
俺は美織の目を見つめた。
いつも優しい美織。
明るくて素直で、俺のことを一番に考えてくれる美織。
「幸せ過ぎて、恐いよ」
「あはは。私も同じ。幸せ過ぎて恐いくらい」
美織が笑っていた。
そうか。
俺が幸せなら相手も幸せで、相手が幸せなら俺も幸せということなのか。
俺の中で、何かが弾けたような気がした。
ひとみ、ごめん。
俺は幸せだから、ひとみもむこうで幸せになってくれ。
そして、今までありがとうな。
俺は深く息を吸い込んだ。
「美織、こんな俺でよかったら、結婚してください」
俺は美織の手を両手で掴みながら頭を下げた。
「はい」
顔を上げると大好きな美織の笑顔があった。
「あと、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
俺たちはただ見つめあって笑っていた。
ひとみ、きみは幸せでしたか?
俺は幸せだったよ
完
幸せが幸せ クロノヒョウ @kurono-hyo
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