天正15年の大舞踏会
於田縫紀
北野大舞踏会顛末の記 ⑴ 開幕
茶の湯ではなく、ダンスが武士、いや
7月に九州平定を終えた秀吉は、京都の朝廷や民衆に自己の権威を示すため、天下無双とも言える大規模イベントを企画した。
それが後世に伝えられる『北野大舞踏会』である。
舞台は京都、北野天満宮とそこから続く松原。
秀吉の他、千利休・津田宗及・今井宗久という当代きっての
諸大名、公家、舞士にも朱印状を送付。
更には一般の参加も促すべく、京都五条の橋の上他各地に、誰でも参加できる旨を記載した高札を掲げた。
在野の舞士らもこぞって参加。
しかし10日の予定だった大舞踏会は、1日開催しただけで中止となってしまったのだ。
◇◇◇
大茶会開催から遡ること三ヶ月。
天正15年7月、九州平定を成し遂げた秀吉は、京都所司代である前田玄以を呼び出し、相談を持ちかけた。
「九州を平定したし、まもなく我が居城となる聚楽第も完成する。ここで京都の朝廷や民衆に我が権威を示す必要がある。
そこで御所からもほどよい程度に近い北野天満宮と付近の松原で、一般人すらも参加自由な天下無双のダンスイベントを開催することにした。京都に詳しいそちの意見を聞きたい」
相談を受けた前田玄以は、すぐに意見した。
「京都で参加自由のイベントなど、するものではありません。都に巣くうのは朝廷や本願寺など目に見えるものばかりではないのです。
特に御所より北は普段は目に見えぬ者、口に出せぬものが多く彷徨っております。化野や紫野に近い京都の北部で開催するのは控えた方がよいでしょう」
前田玄以はかつては僧であり、京都の公家・諸寺社との繋がりを持っている。
故に百鬼夜行の都でもあるこの地で『参加自由』と謳うことが、どのような存在を引き寄せてしまうかを知っていた。
だからこそ、そう反論したのだ。
しかし尾張の下層農民出身であり、都や朝廷についての知識に疎い秀吉には、そんな知識はなかった。
いけずな京都民が語らなかったというのもあるだろう。
故に秀吉は、折れなかった。
あろうことか玄以に、こう命じたのだ。
「ならば京都に詳しいそちが頭として、大茶会を成功させよ」
最初に意見を聞くといっておきながら、全然意見を聞いていないだろう!
そう思っても後に豊臣五奉行の一人となる前田玄以は、口には出せない。
平伏して受ける以外の道は残されていなかったのだ。
◇◇◇
そして当日。
前田玄以の予想通り、執行部には非常事態を知らせる報告であふれかえった。
「本願寺から一向宗が踊り念仏で押し寄せてきました!」
「粟田口方向から、山崎で死した筈の明智光秀が手勢を引き連れ、ゾンビーダンスで近づきつつあります!」
「信長様が敦盛を謡いつつファイアーダンスをしているとの目撃情報が!」
怪異に対しては、家で布団をかぶってやり過ごすのが、京都人としての正しい態度だ。
殿上であれば護摩を焚き加持祈祷を行うことも、よくある対処。
しかし元は僧であり、寺社や高僧がいかに腐っているかを知っていた玄以は、祈祷に頼ることの無意味さを知っていた。
イベントを仕切る身であれば、布団を下部ってやり過ごすことも許されない。
故に玄以は、既に対策を講じていた。
臨時指揮所としていた天満宮紅梅殿のふすまを開け放ち、次の間にて茶湯を交歓していた3名に告げる。
「今の報告は聞こえたであろう。貴殿らなら、千年の都に巣くい此処に出現した有形無形の怪異共も敵ではないだろう。それぞれ立場もあろうが、ここは京を守る為にも協力して頂きたい」
齢50を超えるも、未だその人有りとして知られる朝廷最強の
天下御免の傾奇者と囃される一方、高い文化的素養を備えた文人
後に風呂の戦いと呼ばれた
出身・身分いずれもそれぞれ異なるが、天下無双の
「一向宗は私が引き受けた。敵の人数が最も多い故、派手な
天下御免の傾奇者、前田慶次郎利益がまずそう申し出た。
「なら私は、信長殿で宜しいでしょうか。本能寺で死したりといえども
この頃から大物喰いの気があった丿貫が、そう告げた。
前久が頷く。
「なら咲庵殿(光秀)は旧知の私が参ろう」
3名は静かに出立する。
玄以はその後ろ姿を、祈るような目で見送った。
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