【突発企画】完全匿名三題噺スペシャル
若葉エコ(エコー)
1作目「悲恋は雪だるまの思考」
路地に路地を重ねると、もはや表通りとは明度が異なっていた。
薄暗闇の中にぼんやり光るのは自販機のみ。
――普段なら、こんな裏通りを一人で歩きなんてしないのに。
内側から自嘲じみた声が湧き上がる。夜の裏通りは危ないのだから、ひとりで出かけなければならない都合は基本的に作らない。
作ったとて、そこには恋人が、隆二がいた。
「……はぁ」
隆二というワードを自分で思い浮かべてはため息を一つつくことに、不毛なやるせなさがあった。傷口に触れるような気持ち悪さだ。
傷の処置すらままならないままに駆けてきたのだから、この傷はまだじゅくじゅくと痛みを発している。
先ほど破局を迎えた隆二との関係性は、痛みとしてまだ心にうずいていた。
「だめだ、落ち着かなきゃ」
ゆきだるまのように増えていく悪い思考を断ち切りたくて、一歩、自販機へ近づく。
よくみれば自販機には落書きがいくつかあった。遠目で見れば綺麗に見えたのに、目をそらさず近くで見れば傷と汚れにまみれていた。
ただ、自販機なら一時使えればいい。ちゃりん、と自販機にお金を流し込んだ。
よく見ずに選んだボタンを押すと、ほどなくガコンという商品の落ちる音。
落ちてきたのは、ホットコーヒーの缶だった。
「あっつ……」
拾い上げては手を往復させる。少し暖かくなり始めたとはいえ春はまだ遠そうな空気には、ちょうどよかったかもしれない。
一口飲むつもりが、思いのほか喉が渇いていたのか、かなり飲んでしまった。
「春、春か……」
連想ゲームのように、自身には遠くなった「春」という単語が、また抉る。
思い出すのはさきほどのこと。「なんかもう、お互いにさ、愛情、ないよね。無理して恋人ごっこをしてるみたいだ」という隆二の声。
隆二が真剣な顔をして踏み込んだのは、その言葉だった。そして、それはびっくりするくらいに的を射ていた。
年も年だし、結婚を考えるならそろそろ。ここが恋愛の終着地点で、最終便。妥協という言葉がすこし踊りそうなころあい。
「だから、距離おこうか。友達の頃の方が、良かったよ。たぶん。これならきっと、他の人のがいい。お互いに」
それだけの言葉で、それでいて私たちのここからを感じさせないはっきりとした拒絶の意がそこにはあった。
だから、同棲していたマンションから、飛び出してきたのだった。今宵の宿もないまま。
コーヒーを飲み歩いていれば、ふと、防災用の名目を背負ったこじんまりとした公園が目に留まった。
歩き疲れてベンチに腰を下ろせば、思考もさらに下を向く。
――ここで横になるのもありかもしれない。
凍死するほど寒くはない。犯罪に巻き込まれるのは嫌だけど、先は真っ暗だから、まあいいか。
横になって目を閉じれば、しかたのないものばかりがゆきだるまのように膨れ上がっていた。
隆二は大した男じゃなかった。結構簡単に約束は破るし、あんまりセンスもよくない。
ちょっとだけ笑顔は許せるところがある気がするけれど、それに心が動かされなくなったのはいつだっただろうか?
私はいつからこれを恋でないと悟っていながら、執着に成り下がっていると悟りながら、故意に目をそらしていたのだろうか?
ぶるり、とスマホが震えた。
開けば、通知がひとつ。差出人は隆二。
――もしや、何かがどうにかなるのだろうか。
そんなことも思考によぎり、開く手にためらいがすこしあったらよかったけど、
「危ないし、泊るところないなら家使って。
オレ、今日ホテルで泊まるからさ」
お互いに、この連絡に心はあまりなかった。
ああ、やっぱり、もう、冷めきってしまっていたのだ。お互いに。
それから目をそらしていただけで。そらせば何とかなると迂闊にも信じていただけで。
迂闊なことに私は最後まで気づかなかったのだ。だなんて、言えてしまえたらよかった。
そんなことは全然なくて、気づきそうな自分がいるからこそ、気付くまいとしていたのだ。気付かないことで目をそらしていたのだ。それこそが最も迂闊な行為なのに。
気付いて、愛じゃなくてほかの何かで埋め合わせるなりするべきだったのに。愛じゃなくたって、信用とか信頼とかだってきっと何かになっただろうに。
あくまで愛に縋り付いて、形ばかりの儀礼でつなぎとめようとして、現在地への執着みたいに成り下がって。
現在地を見失って、そのうえ誤った地図で歩ばかり進めていたのだから、終着点がボロボロになっても仕方ないのに。
そのことに、うかつな私は目をそらしていたのだ。
臆病な心が、縋り付く誰かを失うまいと、恋に酔いしれる自分自身という居場所を築いていたのだ。きずくまいとさえしていたのだ。臆病な私はどうかしてしまうから。
ひとりきりでずっと生きていける強さも、今後また誰かを探して関係を構築する根気も、きっとないから。でも、だからこそ、私はちゃんとわかっておくべきだった。
「ねぇ、さめたら、まずいのに」
缶に残った最後の一口。
冷めた苦味だけが、広がっていた。
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