16 鱗

 なんとなくおかしいと思っていた。本当にゼファ様が人嫌いなのであれば、僕に寝床を貸したり神力を教えたりしないだろう。確かに全然笑わないし、不愛想だけど――僕をわざわざ呼び止めて、こうして居間で話をして、僕の話に興味を持つことなどないはずだ。むしろ、お人好しの類なのではないか。


 ゼファ様は少し悩んで、言葉を選ぶようにして話した。


「……面倒臭い、からな」

「面倒臭い?」

「誰も彼も何を考えておるか分からぬ。我と仲良うしようという奴の気が知れぬ、いわんや、お主も。考えて、思いを巡らすだけ、どうせ――」


 最後のほうは、殆ど独り言のように漏らしていた。僕の目を見ず、その後ろの壁のもっと向こうを、もっと遠くを見るようにして。続く言葉を紡ぎかけて、ゼファ様はハッと口元を抑えた。


「……すまない、喋りすぎた」

「いえ……」


 なんとなく、立ち入ってはいけない気がした。きっと神として、長い時間を過ごすうちに様々な出来事を経験したのだろう。興味がない訳ではないが、深堀りする理由もなかった。

 話題を変えるべく、慌てて思いついたことを口に出す。


「ところで、ゼファ様は何故、神をお継ぎになったのですか」

「もうあまり覚えておらぬが……先代が頼み込んできて、断りきれなかった、位の理由の筈だ。確かな」


 やはりお人好しなのではないか? そう言いたくなるのをぐっと堪えて、代わりに抱えている疑問のひとつを投げかける。


「でも神って、永遠の命があるじゃないですか。何故どの神も代替わりを行うのですか」

「否、神は永遠でない。前に言うただろう、神は自らの魂の器を用いて、世界のマナ・バランスを調えておると。だがな、その過程で日々僅かずつ魂の器が穢れ、削れ、変質していくのよ」

「じゃあ、いつか魂がなくなってしまうということですか」


 ゼファ様は黙って首を横へ振り、ゆっくりと立ち上がる。机の脇を回り、僕の座っている場所の隣へ立つ。

 と、その時ゼファ様がゆっくりと腰のベルトを緩め始めた。


「何を――」


 そのまま、上半身の衣服を丁寧に脱いで、その肌をあらわにする。そして背中を見せるように少しだけ体をひねり、今まで丈長の羽織りで見えなかった馬の尾を揺らした。僕の表情が変わるのをよく見つめてから、また衣服に袖を通す。


 その浅黒い肌の表面には、透き通る固い魚の鱗のようなものが、びっしりと逆立っていた。腕は肘の下、背中は一面に、腹側は胸下あたりまで。あとは服で隠れて見えていないが、あの見た目だと脚まで広がっているような気がする。


「……魂がなくなることはないが、ゆっくりとかつての魂とは異なるものになる。――民話にも、竜が空を飛ぶ話があるだろう。あれは神の成れの果て。はぐれ、だ」

「じゃあ、ムウさんの額の角も?」

「恐らくそうであろうな」


 ゼファ様はベルトを締めなおし、襟を正す。また元の椅子に腰かけなおして、脚と指を組む。ふ、と細い溜息を吐いて、言葉を続ける。


「高位神は、成っておよそ500年を目安に、本能的に後継ぎを探す。700年ほど経てば、神は魂の変質に耐えられなくなり、はぐれる――竜化するのだ。自我がなくなるというのは、神であれ人であれ恐れるもの。代替わりからは逃れられない」

「ですが、ゼファ様は1000年も生きておられる。大丈夫、なのですか」


 再び目を逸らされて、世継ぎなど面倒臭いのだ、と言われた。



 ・ ・ ・



 神力を習い始めて2週間が経った。


 僕はもう自在に飛ぶことができるし、ペン立てに刺さったペン1本だけを手元まで取り寄せることもできる。身近な風のマナの制御ならば概ねできるようになった。勿論、もっと訓練すれば、より高度で緻密なマナの制御ができるのだろうが。


「今日まで、色々とありがとうございました」


 辺りはすでに薄暗い。少し肌寒い玄関先でお礼を言うと、相も変わらずゼファ様はにこりともしなかったが、満足そうな目をしていた。


「ふた月はかかるだろうと思っておったが。早いものだ」

「きっと教え方が上手いのですよ」

「どうやらそうらしいな。コフ村の小僧にも言われたことがある」


 そういえば、村長はゼファ様から読み書きを習っていたと言っていたっけ。ゼファ様に初めて会ったときのその不愛想さからは想像もつかなかったが、今では手に取るようにわかる。傍でそっと見守って、時々静かにやって見せたのだろう。村長の幼い頃を想像して、思わず笑みがこぼれる。


「一旦家に戻りますが、またちゃんとお礼をしに来ますので」

「もう来なくてよい。お主にもお主の時間があるだろう」


 僕を拒絶するような言葉にも慣れた。ゼファ様がそのようなことを言うたび、影が落ちたような顔をする。きっと本心ではないのだろうが、触れないでおいている。きっと、そう言うのにも理由があるのだろう。


「……空を飛ぶなら、この外套を羽織ってゆけ。鳥に見える」


 重みのある、毛皮のマントを受け取って、胸と肩のボタンを留め、フードを被った。確かに、これで上空を飛べば遠目では大きな鷹のようだ。お辞儀をし、鞄をマントの中で身に着ける。


「では次会うときは、ゼファ様のその御力を継ぐときですね」

「待て。どうしてそういう話になる。神となるなど――」

「駄目と仰るなら、もっと別の理由をつけて気軽に来ますよ。じゃあ、行ってきます」


 足元から上昇気流を生み出し、高く舞い上がる。マントの裾が広がらないように、また呼吸が苦しくならないように、マナで体を幾層にも包む。


 見える世界はまるで、流星の渦の中のようだった。

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