14 訓練
半刻ほど一緒に訓練をしていると、ある程度マナに対する意識を制御できるようになった。普段よりちょっと集中して、周りの物体を意識することで、マナの帯は視界から容易に消え去った。逆に普段通りぼんやり眺めていれば、また視界にマナが現れる。そのうち自然に見え方をコントロールできるようになると言われたが、慣れない感覚に気疲れしてしまう。
やがて戸を叩く音がした。来客のようだ。ゼファ様は使用人風の少女へと姿を変え、応対のために玄関へ向かう。僕はこっそり聞き耳を立てた。
「……はい、確かに。いつもありがとうございます! こちらが今回の報酬です」
「まあ、こんなに。主人にお渡し致しますね。次の分はございますか?」
「ありますよ! 今回は三冊。次は三ヶ月後の訪問でいいですか?」
「うーん、多分二ヶ月もあればお渡しできるかも。聞いてみないと分かりませんが」
「じゃあ、とりあえず二ヶ月後来るんで、その時に出来てる分だけ貰いに来ますね! 急ぎではないので、とお伝え下さい」
玄関の戸が閉められると、大柄な男性に姿を変えて書斎へ戻って来る。腕の中には、辞書のように分厚い本が三冊抱えられていた。主人にお渡しする、など白々しい嘘をついたあととは思えない、どこかやりきったような顔をしている。
「……どうして使用人の姿をとるのですか?」
「不必要に人と関わりとうないのだ」
「じゃあ何故、僕を拾って神力を教えているのですか」
「捨て置けば良かったと後悔しておる」
「それは困ります」
ゼファ様は手に持った本をパラパラとめくって、本の順番を入れ替えて、背表紙が見えるようにして机に平置きに積み直す。
「この本は?」
「千年程前の古代書だ。現代世語への翻訳を請け負う事で、最低限の稼ぎとしておる。もっとも、我が当時話していた言葉をそのまま置き換えるのみの、簡単な作業よ」
ということは、ゼファ様は千年くらい生きている、ということになる。ムウさんよりもずっと長く生きているだろうとは思ったが、まさかここまでとは。自分の知識の浅さでは、千年前の生活や文化など到底想像できない。
「じゃあこの本って、貴重な文献なのですか」
「今の人間からしたらそうであろうな。大した内容なぞ書かれておらぬというに」
「娯楽とか、日記とかですか」
「近いかもしれぬ。これは農耕の指南書、それから記憶封印の禁術の解説書、あとは恋占いの手引き。農耕のそれ以外役に立たん。全て眉唾物だ」
ゼファ様がふと、書斎の中の本棚を見渡す。そこに収められた本の半数以上は知らない言語で書かれており、残りは言語学や考古学の書籍でいっぱいだ。読めない字で書かれた本が気になって、ひとつ取り出して開こうとする。
「触るな」
強めの語気で制止され、驚いて手を引っ込めた。当たり前だ、人のものを勝手に触るべきではない。すみません、と反射的に謝る。
「最下段の棚は我の手記だ。それ以外なら良い」
会釈して、僕は上から二番目の棚から選びなおした。
・ ・ ・
次の日はマナに触れながら、風を起こす訓練。
その次の日は、触れずに目の前のマナを操作する訓練。
さらに次の日は、一部屋ぶんの範囲のマナを操作する訓練。
それから、起こした風の精度を高める訓練。視界の外のマナを扱う訓練。そして――
「ふっ、ふっ、……」
僕は庭の真ん中でリズムよくジャンプし続ける。タイミングを見つけられるまで、マナの帯を身体の周りに纏わせる。足裏が宙に浮いたその瞬間、マナを足と地面の間に勢いよく入れ込む。
「――のわっ!」
足が空へと大きく持ち上がり、ぐるんと転倒してそのまま背中を打ち付けてしまう。……これで5回目だ。
「いてて……これ、本当に出来るようになるのですか」
「なに、今までその日に課したものをその日に覚えよって。それがおかしいのだ、少しはゆっくり習得せよ」
呆れた様子でゼファ様がつぶやいた。そんなことを言われても、ともどかしい気持ちになる。確かに、ずっとマナを高度に扱えるようになったし、マナに対する意識の切り替えもほぼ自然に行えるようになった。だけど悔しいので、背伸びして、もう一度、とまた立ち上がる。
今日はいよいよ、宙に浮く訓練だ。
マナの帯を二層、足の裏に通すことで、足周りの風を穏やかに保ちながらも強い上昇気流を受けられるようにする。僕が試しては転倒するのを見かねて、ゼファ様がわずかに宙に浮いてみせる。足元を中心に芝が外側へとなびき、土や砂が追いやられる。重そうな身体がいとも簡単に、それもうんと静かに舞い上がるのを見ると、自分とは体のつくりが違うとはいえど尊敬してしまう。
ゼファ様は眠るように閉じていた目をそっと開けば、何か思い出したように小首をかしげた。
「おお、そういえば。風のマナの特性について話してなかったな」
「え? 風のマナって、風を起こすためのものではないのですか」
「結果的にそうなるだけで、厳密には異なる」
ゼファ様はゆっくりと地面に降り、腰に手を当ててゆったり立ち、説明し始めた。
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