12 手

 ゼファ様の家は全体的に簡素で、質素だ。古いのか、いくらか建て付けも悪い。玄関を入って長い廊下から分かれるように、応接室、いくつかの個室、台所にリビングと、一通りの部屋が揃っている。そして、最奥にはゼファ様の自室である書斎。


 しばらくの寝床として、空いている個室をひとつ貸していただけた。ベッドを出し、布団を敷けば何刻も経ってしまった。外はもう暗い。


 僕の荷物と、ベッド以外、何もない。がらんとした空間。

 水浴びを終えたあと、ベッドのへりを背もたれにしてだらりと過ごしていると、天井付近を横へ走る柱に釘の跡があるのが見えた。

 その後も部屋を観察していると、窓枠には花瓶を置いていたような跡があったり、板張りの床には棚や机が置かれていたと思われる凹みがあったりした。けれどゼファ様は普段書斎で過ごしておられるはずだ。……ここには別の人が暮らしていたのだろうか。どんな人だろう。どんな生活をしていたのだろう。


 最後に視線が落ちたのは、僕の手だ。


 自分は神になりたかった。ムウさんが僕を認めてくれれば、その力を継げると思っていた。そして、ムウさんは肉体を取り戻して、僕は永遠の命を得て、ムウさんが死ぬまでずっとそばに居られる――そう信じていた。

 でも、とゼファ様の語ったことを思い返す。神はただマナを巡らせるだけの世界の機構でしかなくて、偉大な存在ではない。つまり、ムウさんに認められるとか認められないとかそんな話ではなくて、偶然生まれ持った魂のつくり次第で、神に成れれば成れるし、成れなければ成れない、そういうもの。


 僕は神の――永遠の寿命が、ムウさんのもつ力が欲しかったのか? 単純に、ムウさんに認められたかっただけ?


 神になったところで、僕は何者かになれるのだろうか?



 ・ ・ ・



 窓から柔らかい光が差す。活力のある日差しではなく、薄曇りの天気らしい穏やかな日差し。まだ見慣れないがらんとした部屋の景色が、僕の寝惚けた頭を起こす。

 顔を洗い、寝癖を直し、新しい服を着る。そういえば洗濯が全くできていない。急行車の一件で血を浴びた服は捨てるとして、それ以外の着替えの手持ちが少ない。取り急ぎゼファ様に洗濯道具を借りるとして、また買いに行きたいところだが、手持ちの金が少ないのを思い出す。面倒だがこまめに洗濯するほかないな、と肩を落とした。



「あの、ゼファ様。洗濯道具をお借りしたいのですが」

「表の納屋にある。替えの服は持っておるのか」

「上下一着ずつなら……」

「左様か。干し終われば声を掛けよ」


 戸越しに書斎へ声をかけると、向こう側から淡々と返事がした。玄関を抜けて見える小さい納屋を覗けば、すぐ目につく手前のほうに洗濯道具が置いてあった。

 庭にある井戸から水を汲んで服を洗い、干し終えて書斎へと戻ると、いつ入ってもいいようにと戸が開け放たれていた。


「戻ったか」


 机に向かっていたゼファ様がペンを置き、椅子からゆらりと立ち上がる。机上には畳まれた布が山のように積まれていた。


「仕舞ってあった衣を出した。意匠は古いが、部屋着くらいにはなるであろう」

「これ、着ていいんですか」

「ああ。我には合わぬから、気に入るものが有ればそのまま持って帰ると良い」


 寝床だけでなく服まで頂けるなんて、と驚く。だけど、僕とゼファ様とでは背丈が頭ひとつ分以上違うし、肩幅や身体の厚みも圧倒的に敵わない。僕でも着られるサイズの服はあるだろうかと恐る恐る広げていくと、意外と普通の丈のものばかりだった。この首元を覆うような袖の短いジャケットなど、一昔前の意匠とはいえ都会的なデザインだ。


「この服――首元の刺繍に虹糸草こうしそうの糸が混じってる」

「当時の街一番の針子が縫うたものだ。刺繍もまた。自信作と言うておった、質は良い筈よ」


 軽く羽織ってみれば、あつらえたようにぴったりの丈だった。窓ガラスにうっすら反射する姿を見て、自分でもよく似合っていると思う。ゼファ様はそんな僕をまじまじと見たあと、ひとつだけ頷き、目をふっと逸らされた。大きな浅黒い手で、ゆったりと丁寧に不要な服を畳んで仕舞っていく。


 これで衣食住、生き延びるためのすべての課題がクリアできてしまった。ここまでしてもらって申し訳ない気持ちすらあり、必ず十分な御礼をしようと心に誓う。

 そして今日から、空を飛ぶための第一歩として、マナを扱う訓練が始まるのだった。



 書斎の中で、僕は立った状態、ゼファ様は椅子にかけた状態で相対する。


「宜しくお願いします」

「うむ。……手を前へ」


 促されるまま、手のひらを上にしてゼファ様へ差し出す。ゼファ様はその大きな手を僕の手に被せるように、すっぽりと包み込んで握る。マナ構成体らしい、体温を感じさせない冷たい手だ。


「爪、黒いんですね。染められているのですか」

「いいや。我は馬の獣混人セリアン、蹄の名残りよ」

西方人リュエンじゃなかったのですか? 全然、判りませんでした」

「仕方なし、我は祝福が薄いからな。爪と、服に隠れた尾だけが目に見える特徴だ」


 言われてみれば、まつ毛も人より長く見えるし、恐らくこの大きな身体も獣の特徴なのだろう。伏し目がちだったゼファ様の紅い目が、僕を真っ直ぐに捉えなおす。


「この手を介して、我がマナを送る。日頃では到底流れ得ぬ多量のマナが、お主の体を抜けていくこととなる。苦痛が伴えば直ぐに知らせよ」


 頷けば、ゼファ様の目がすっと閉じられる。外はすっかり明るくて、もう鳥や人の声がするはずなのに、今は僕の呼吸の音しか聞こえない。


 ゼファ様が体の周りに神力が纏わせる。うっすらとした輝きがゼファ様のみぞおちから、胸へ、腕へ、手のひらへと伝う。


 そして、そのまま僕の手へと光が渡っていく。



 (――来た)

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