10 素質

「お初にお目にかかります、ゼファ様」



 僕は少女の前で頭を垂れたまま挨拶をする。反応がないが、勝手に顔を上げる訳にはいかない。


 ムウさん以外に会ったのは初めてだ。不敬がないようにしなくては。そう思うと、額や脇や背中に汗が染み出す。


 大きく時間をおいて、声がする。



「……顔を上げろ。誰だ。何の用だ」



 先程までとは打って変わって、地の底から響くような低く深い男性の声。その声色の変わりように驚くが、もたつく訳にはいかないので、すぐに視線をキッと上げる。


 そこにはもう柔和な笑顔の少女の姿はなく、代わりに巨木のように佇む壮年の男性がいた。大柄で色黒の肌、烏羽からすば色の髪に浮かぶ、椿の花のように鮮やかな赤の瞳。普通に立っているだけなのだろうが、戸口のてっぺんほどの位置から見下ろされれば、圧倒されて身震いしてしまう。


「せ、セドと申します。地の神・ムウ様より、ゼファ様にお会いするよう命じられましたため、ここへ参りました」

「そうか。ならばこれで用は済んだな。帰れ」

「……ええ!?」


 確かに会うとしか目的は伝えていないものの、あまりにも短絡的すぎないか。もう少しこちらの意図や目的を深掘りしてくれても良いはずだ。あれ? そういえば、ムウさんから本来の目的を聞いていない気がする。


 ゼファ様が玄関の引き戸を閉めようとしたので、慌てて胸に当てていた手をほどき、戸を抑えた。


「お、待ちっ……ください。無礼をお許しいただければっ、と……」

「お前もムウとやらも知らぬ。相手にする時間なぞない」


 一層強い力で戸を閉めようとするので、両手を使いなんとか戸を開いた状態に保つ。まるでこんなの、子どもの喧嘩だ。


「ぐっ……コフ村の村長より、『しょうもないことをするな』……と聞いて、おりますが……」

「チッ、あの小僧と知り合いか。入れ知恵しおったな」


 戸を閉めようとする力が突然緩められ、僕は大きく体勢を崩す。地面に倒れ込んだ状態から、せめて顔だけはゼファ様へ向けた。

 ゼファ様は変わらず僕を見下ろしたまま、こう訊いた。


「ひとつだけ答えよ。ムウとは誰だ? 今の地の神はマグノリアだろう」

「マグノリア……?」

「200年ほど前に代替わりした筈だ。エルフの娘よ」

「深緑の長い髪の、紫の眼の女の子ですか」

「うむ」

「じゃあ多分、その方が、ムウさんです。……知らない、名前ですが」


 自分の胸の中がかっと熱くなる。


 マグノリアって?


 僕の知らないムウさんが、居る? 僕を拾う前に別の名前があったとか? なぜ? しかもそれを僕に教えてくれなかった?

 吐き気がする。黙って急に居なくなったり、何をしているかはぐらかされたり。しかも僕の知らない名前を持っている。僕が今まで呼んでいた名前は、もしかして偽名なのか?


「何をぼんやりしておる」


 呆然としていた僕の顔を、ゼファ様は屈んで覗き込む。


「おい、顔色が悪いぞ。どうした――」


 僕の目とゼファ様の目が至近距離で合う。

 その紅い瞳が、今にも吸い込まれそうなほど、深く、深くに光を湛えているようで――


「――っ!?」


 その瞬間、ゼファ様が目を見開き、たじろぐ。ひどく間を置いて、逡巡するように、額に手を当て、改めて深呼吸をしている。


「あの、ゼファ様」

「マグノリアは、我に会うて何をしろと言った?」

「ムウさんは……ゼファ様と会え、としか」

「……言葉足らずな奴よ」


 ゼファ様は立ち上がり、大きくゆっくりため息をついてから、僕にこう言った。


「セドと言うたか。立て、マグノリアがお前をどうしたいのか分かった」


 大きくはないが、深く、威厳のある声で命じられる。よく知る感覚が、身体を抜けていく。


 神力だ。


 しかし、ムウさんの使う神力とは全く違う。もっと威圧的だった記憶があるが、ゼファ様のそれはあまりにも――すっきりとして――心地が良い。



「我の後を継がせたいのだろう。風の神の素質がある、お前には」



 ――耳を疑った。

 僕が、神の?



「……えっと」

「安心せい。マグノリアがどういうつもりか知らぬが、神の力は渡すつもりはない。まだ人でおれる」

「でも、あの」

「だから早う帰れ」


 ゼファ様の目元から、少し力が抜けたような気がした。


 どうしようか、聞きたいことはいっぱいある。マグノリアとは何の名だ? 素質があるとはどういう意味? 地の神にはなれないのに、風の神にはなれるのか? なぜ僕に素質がありながら、僕を追い返そうとする?

 どれから訊けばいいかわからなくて、とりあえず思い浮かんだことを訊く。


「あの……僕、帰る手段もお金もなくて。宿もなくて……どうすればいいでしょうか」


 一応、あと3日くらいは野宿で生きていける程度にお金はある。とはいえ、急行車に乗れるほどのお金はないし、帰る手段はまったく目処が立っていない。適当に日銭を稼げる仕事を紹介してもらうか、野草を食べながら徒歩で帰るかして、なんとか生き延びねばならないのが現状だった。

 困り果てた顔をしている僕を見て、ゼファ様はまた大きなため息をついた。


「……暫く泊まってゆくがよい」

「え?」

「食わすのと、帰りの手段くらいの用意はできる。我の――他人の家に厄介になりたくないと申すなら、別に良い」


 なんと、願ってもない話だ。とはいえゼファ様は人嫌いではなかったのか? それともアイドレールで生きていくのがそこまで過酷なのか。


「家事とか、得意なので」


 動揺しすぎて変な事を言ってしまった。お礼より先に自慢をする奴が他にいるだろうか。

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