4 非日常を
急な〝おつかい〟を告げられた次の日の朝。出発までの今日明日の時間は、支度に費やすこととなった。
「とりあえずこれが注文のリストですので、赤線のものを作ってください。すでに在庫がある分は、僕が明日行きがけに村へ卸してきます。それから歌い草とミツボシトカゲ、ビロード貝は下処理を終えているのでご確認を。あと樹上狼の肝臓を裏で干していますので、今日の昼はそいつの肉にしましょう」
「長く不在にするのは久々だが、たった5日でこれほど仕事が溜まるとは……」
「ちなみに僕は荷造りをするので夕方までは手伝えません。あ、携帯食も作らないと。では」
明らかに不満たらたらな顔をしているムウさんを横目に、早歩きでクローゼットや戸棚やキッチンを回り、一番大きなリュックに物を詰めていく。食べ物と飲み物、財布や小刀、大判のストール。着替えとウエス。
ムウさんはようやく腹を括ったのか、その深緑の髪を怠そうにかき上げながら、ぺたぺたと実験室へ歩いていく。しばらくして、瓶の音や精製水を注ぐ音などが聞こえてきた。
日頃の家事や荷造りに加えて、狼肉を塩漬けにしたり、採った素材を計って容器に詰めたりしていると、あっという間に出発前夜になってしまった。食事と湯浴みは普段のとおりに済ませる。特別な会話をするでもなく、淡々と製薬の進捗を聞いていた。
忙しくしていたので今気づいたが、ムウさんのもとを離れて遠出するのは初めてだ。アイドレールのような都会に行ったこともない。あそこには毎日毎刻のように人や馬車が出入りする、と聞いたことがあるくらいである。
見慣れない街に一人で行けと言われたのだ、流石に少し不安になってきた。僕はムウさんが寝支度をしている合間に、実験室へ行き、精製水を火にかける。沸くのを待つ間に、頭の上の戸棚から乾薬草を取り出し、量りにかけて必要な分だけ水へ入れる。
一番手近な窓を少し開けてみた。明日はよく晴れるみたいだ。サラサラとした夜風が、しっかりと冷えている。
やがてシュウシュウと湯の沸く音がしたので、火を止めてカップに注ぐ。不安はあるが、きっと大丈夫。出来立てのハーブティーを口に含み、爽やかな苦味で思考をゆるめた。――僕がここで泣いたあと、ムウさんが作ってくれたハーブティーと同じものだ。
・ ・ ・
「じゃあ、行ってきます」
「ああ」
リュックの肩掛けを握る手がじんわり汗ばんでいる。耳裏に隠したガラスアンプルもいやに冷たく感じる。思ったより緊張しているようだ。履き慣れた靴を履いて、コツコツと足先で床を叩き、古びたランプの下がる玄関を出ていく。
「きをつけろよー」
僕の心持ちとは裏腹に、間延びした声が後ろで聞こえた。振り返ると、窓からムウさんが手を振って見送っていた。ここ数年は全く見送りなどしなかったのに。僕は手を振り返して、ゆっくり山道を下り始める。途中何度か振り返ると、ずっとムウさんがこちらを見ていて、へんなの、と笑ってしまった。
最近のムウさんは普段と違う行動ばかりしていた。この間の誕生日に僕が突拍子もないことを言ってからだ、全部。あれ、じゃあすべて僕が始めたのか? この非日常を?
村までの道は慣れたものだ。今日もよく晴れている。疑問をかき消すように、ペースを早めていく。近道をするため、木の根や草の根の隙間を抜け、足場の岩を蹴り、踊るように村へ向かった。
僕たちの生活と違って、コフ村は普段と変わらない雰囲気だった。のどかで、時間の経過が遅く感じる。こんにちは、と入口で声を掛けるなり、あらセドちゃんじゃない、おうセド君、おにいちゃんきてくれたの、と表にいた村の皆が歓迎してくれた。中でもひときわ快活な村長の奥さんに、小箱いっぱいの粉薬や丸薬、湿布などを渡した。
「皆さん、ありがとうございます。これ、承っていたものです。後はすみません、また後日お届けしますね」
「いいのいいの。いつもありがとう。あれ? ムウちゃんは今日は?」
「来てないです。ええと……おつかい? を頼まれてて。コフ村から手配される馬車に乗って、話を聞いてこいって……」
「ああ! それは聞いてるわ。アイドレールまで行くんでしょう? 馬車は……2刻ほど経ったらここに来る筈よ。それでも1人で、なのねえ」
追い出されちゃいました、と冗談ぽく笑って見せては、他愛もない話を続ける。最近はリンゴが実をつけ始めたらしい。もうそんな季節か、と思う。以前ここを訪れたのは1ヶ月前のことだ。そういえば、コフ村の村長は数年前に倒れて以来、寝たきりになっていたな。せっかくだし、ご挨拶をしていきたい。
「ところで、村長の具合は最近どうですか」
「もうめっきり食べなくなって寝てばっかり。お医者様がいうにはあと半年もない、らしいわね」
「じゃあ、薬師にできることはもうないですねえ。……もしこのあと、凄く痛んだり苦しんだりされるようであれば、この睡眠薬を」
「ほんと、今日まで助かったわ。うん、あとは任せて」
「ありがとうございます。……よければこの後、馬車の時間まで、村長と少しお話させてくださいませんか」
もしかしたら会うのが今日で最後かもしれないし、いつでもその時が来ても良いように、気持ちを整えておく必要がある。
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