第9話 魔法の本

※彩音視点に戻ります※


 朱音が複雑そうな顔で帰ってきた。


「藤井君、なんやて?」


「いや、別に」


「別にってことないやろ? めっちゃ話し込んでたやん」


「藤井君がね……」


 言いにくそうにそれだけ言って、朱音は言葉を詰まらせた。


「藤井君が? 何か言われたん?」


「……」


「お姉ちゃん?」


「いや、何でもない。これ、渡してって」


 そう言いながら、小さめの紙袋を渡された。ただ、朱音は目を合わせようとしない。


 怪しい……。怪しすぎる。


 怪訝な顔で朱音を見ながら、お見舞いの品を取り出してみる。


「普通やな」


 スポーツドリンクと栄養補助食品だった。


 いや、別にウケを狙わなくて良いのだが、こういうのはサプライズ感があるので、一風変わった物が入っていると、その場の空気が和んだりする。


 早速スポーツドリンクを開けて、ゴクりと飲んだ。喉が渇いていたようで、あっという間に半分飲み干す。


 その間も、朱音の様子はどこかおかしい。


「お姉ちゃん」


「ん?」


「いや、何でもない」


 双子だからと、全て包み隠さず話す必要はない。わたしだって吉田君への恋心を秘密にしているのだ。言わないということは、何かしらの理由があるから。


 受験も控えているし、心配させないようにしているのかも。うん、きっとそうだ。


「晩御飯は、おうどんが食べたいなぁ……なんてな」


 甘えて言えば、朱音は困ったような顔で笑って応えた。


「ええよ。確か冷蔵庫に油揚げあったから、きつねにしよか」


「わーい。きつね、めっちゃ好きやねん」


「あたしは、彩音がめっちゃ好きやで」


 ギュッと抱きつかれたので、わたしも朱音の背中に手を回す。


「わたしもお姉ちゃんめっちゃ好き」


「ほんまに? 両想いやね」


 朱音は、とても嬉しそうだ。


 そして抱き合うこと30秒。


「お姉ちゃん、もう良いんやない? こんなんギュッとしたら3秒くらいで離れるもんやろ」


「イヤや。もう離さへん」


「イヤや……って、子供みたいやな。やっぱ、お姉ちゃん今日変やで? 熱でもあるんと違う?」


「熱があるんは彩音やろ」


「せやった」


 抱き合ったまま笑っていると、玄関の方から音がした。


「お母さんかな?」


「チッ、帰り遅くなる言うてたのにな」


「わたしのこと心配で、はよ帰ってきたんかな」


 それより朱音、今、舌打ちした? 


 朱音は両親共に好きだし、仲も良好。母が帰ってくれば、わたしの世話をしなくて良くなるし、舌打ちする理由がない。気のせいだろう。


 階段をのぼってくる足音が聞こえてきたので、朱音は名残惜しそうにわたしから離れた。


 そして、やはり藤井君と会ってから朱音の様子が変だ。連絡先は知らないので、受験が終わってから学校で聞いてみよう。


 トントントン。


 返事をする間もなく、扉がガチャリと開いた。


「彩音、熱は?」


 母は、急いで帰ってきてくれたよう。息を切らしている。


「朝より大分マシになったで」


「せやったら、今からお鍋食べよ。材料も買ってきてん」


「けど、みんなで鍋なんて囲んだら、風邪移してしまうよ」


「風邪なんて、人に移してなんぼやで」


 軽いノリの母は、思い出したように言った。


「あ、そうそう、さっき家の前ウロウロしてる子おったよ。あんたらと同じ高校の制服着てたから、同級生ちゃうかな? 小柄な男の子」


「誰やろ?」


 藤井君は小柄なではないし、朱音と話して30分以上は経っている。まだウロウロしていたら、それこそストーカーだ。


「お姉ちゃん……?」


 朱音の表情が曇っていた。


「それで、その子がこれ、彩音に渡してって」


「何これ?」


「本やろ」


「そりゃ、見たら分かるけど」


 そう、一冊の分厚い本。どっからどう見ても本だ。


 母は、誰かのモノマネをし始めた。多分、この本の持ち主。


「『受験勉強が気になって、休めていなかったらいけないので……』やって。どう? 似てるやろ」


「知らんし」


「まぁ、そういうことやから。これ渡しとくな」


「ありがとう」


 ——その日の晩、この分厚い本を開けば、ものの1分で眠りにつくことができた。それから、わたしは、この本を“魔法の本”と呼ぶことにした。

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