第6話 害虫駆除は任せとき

 勉強も手に付かない。そんな気まずい日が続くのかと思っていた——。


「お姉ちゃん……わたし、もうアカン」


 ピピピ。


 電子音が鳴り、朱音がわたしの脇に挟まった体温計を取り出して言った。


「38.8℃。これは……卒業まで家から出ちゃアカンな」


「お姉ちゃん、なんでそんな嬉しそうなん?」


「そう?」


 朱音は体温計をニヤニヤしながら眺めているのだ。『人の不幸は蜜の味』なんて言葉があるけれど、まさか……ね。


「それより、卒業までは大袈裟やけど……学校は休まなアカンな。今日はお母さんもお父さんもおらんのに」


 風邪のときは何だか心細くなってしまう。不安に思っていると、朱音が頭をポンポンと撫でて来た。


「あたしがそばにおったるから安心し。どうせ行ったとこで自習やし」


「せやな。てか、ほんま、しんどい」


 と、言いながらも起き上がる。


「来週受験や……勉強せな」


 フラフラと勉強机に向かった。


「あれ? あらへん」


 そこにあるはずの勉強道具一式がなくなっている。学校の鞄までなくなっている。


「彩音のことや。熱があっても、勉強するって言い出すと思って隠しといたで」


 そう言って、朱音は薬とペットボトルの水を差し出した。


「ほら、熱が下がるまで勉強禁止や。これ飲んで寝とき」


「お姉ちゃんの鬼、悪魔、人でなし!」


 文句を言いつつも、真面目なわたしは薬をゴクリと飲んだ。


 そして、素直に2段ベッドの下に戻った。


「良い子や」


 朱音のひんやりとした手が頬に当てられ、気持ち良い。目を瞑れば、わたしはすぐに眠りについた——。


◇◇◇◇


 一眠りすれば、すっかり気分は爽快だ。


「ん、良い匂い」


 出汁の良い香りがしたと思えば、腹の虫もグゥと鳴った。時計を見ると、ちょうど昼どき。お腹も空いているはずだ。


 リビングまで行こうか悩んでいると、扉がガチャリと開いた。


「彩音、雑炊食べる?」


「食べる!」


 ガバッと起き上がれば、頭にピリリと痛みが生じた。


「痛ッ」


「大丈夫?」


 わたしの額に朱音の額がピタリとくっ付いた。


「彩音。もう、ほんま放っておけへんわ」


「お姉ちゃん」


 普段、母がしてくれることだが、朱音にされるとやや照れる。


「解熱剤で熱下がっただけなんやから、無茶したらアカンよ」


「はい……」


 素直に返事をすると、朱音の額が離れていった。


「さぁ、彩音座って」


「うん」


 朱音が小さな丸テーブルを広げてくれ、その前にストンと座る。すると、一人用の鍋を朱音が目の前に運んでくれた。


 フタをパカッと開けると熱々の湯気。


 見るだけで涎が出てくる。


「頂きまーす……って、お姉ちゃん?」


 れんげを取られてしまった。


 朱音はそっと雑炊を掬い、フーフーと息を吹きかけた。そして、私の目の前に差し出した。


「はい、彩音。あーん」


「いや、自分で食べれるよ?」


 薬のおかげもあり、そこまでしんどくはないのだが。


 それでも、朱音は笑顔でわたしが食べるのを待っている。


 パクッと食べれば、母と同じ優しい味がした。


「どう?」


「うん、美味しい」


 幸せな気持ちになっていると、何故かわたしよりも幸せそうな朱音がいる。


「お姉ちゃん、何かいい事あったん?」


「うん。このまま彩音の熱が下がらんかったらええなぁ……って」


「え?」


「なんてな。冗談に決まってるやろ」


「はは……お姉ちゃん。冗談に聞こえへんかったわ」


 やはり、『人の不幸は蜜の味』なのだろうか。双子の姉に不幸を喜ばれていると思うと、複雑……なんてもんじゃない。発狂しそうだ。


 朱音は再びレンゲに雑炊を掬いながら言った。


「けど、彩音も学校行ってアレコレ考えるより楽やろ?」


「あー、まぁ、それはあるな」


 学校に行けば、必ず吉田君と藤井君に会う。その度に色んな思いを巡らして、勉強どころではなくなってしまいそうだ。


「それに、ここなら害虫が入って来られへんやろ?」


「害虫……? まぁ、この家G対策は万全やけど、こんな寒いのに出てけーへんよ」


「彩音知らへんの? 最近は寒くても出てくんねんで」


 少量ずつ食べるのが何だかじれったくて、朱音からレンゲを奪い取る。


「へぇ。最近の虫って寒さに強なったんやね」


 豪快に食べ進めていると、朱音は立ち上がって、カーテンの隙間から外を眺めた。

 

「けど、安心し。あたしが全部追っ払ったるよ」


 朱音の背中が、何だか頼もしく見えた。


「ありがとう。お姉ちゃん」

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