第3話 ヴァレンタイン
「吉田君!」
図書室に向かう渡り廊下で、吉田君を呼び止めた。
「
吉田君と向かい合い、急に恥ずかしくなってきた。
物理的には、わたしがチョコレートを渡すのだが、実際のところチョコレートを渡すのはわたしでは無いわけで……ややこしいが、とにかく自分が告白するみたいで恥ずかしい。
「どうしたの?」
吉田君は不思議そうな顔で見てきた。
チョコレートを渡せば、わたしの任務は終わり。チョコレートを渡せば……吉田君と朱音が付き合う。
(アカン! わたしは、お姉ちゃんを応援するって決めたんやから)
「吉田君、今日ヴァレンタインだから」
はい、と前に差し出せば、吉田君は非常に驚いた様子だった。
「え、僕に?」
「うん。吉田君に」
「僕、母さん以外の人から初めて貰った」
それはもう嬉しそうだ。
「義理でも嬉しいよ。小鳥遊さん」
「あー、それ。義理じゃないんだけどな」
「え、それはどういう……?」
吉田君の頬は、ほんのりピンクに染まった。
しかし、わたしもそれ以上の事は言えない。流石に、告白は朱音が自分でした方が良いと思うから。匂わす程度にしておこう。
「とにかく、これはあたしからの気持ち」
「え……」
吉田君は、一瞬固まった。そして、言った。
「もしかしてこれは、朱音さんからなん?」
「ん? そうだよ。あたしから」
「そうなんじゃ……」
やや寂しそうな顔をする吉田君。こんなに表情豊かだったのかと、改めて知る。
(って、感心しとる場合ちゃう。なんや、この反応は。まるでフラれた後みたいな顔や)
わたしが彩音だと突っ込んで聞いてこないところからして、成り代わりは成功しているようだが……。
そこであたしはハッと気が付いた。
「吉田君、甘いの嫌いだった?」
「え?」
「嫌いだったらごめんね」
嫌いな物を押し付けられたら、人間複雑な顔になるのは当たり前。しかし、これはあくまでもイベント。チョコレートは、気持ちを伝える為の媒体でしかない。
(非常識な男やな。受け取るくらいしぃや)
好きな男の子のネガティブな一面を見る事で、自分自身に吉田君の恋は諦めろ、と改めて自己暗示をかける。
一人でグルグルと考えていたら、吉田君はニコッと笑った。
「甘いのめっちゃ好きなんよ。ありがたく貰うわ」
吉田君の笑顔、尊い……。
ではなく、やはり吉田君は出来る男だ。
ただ、これが朱音に向けられたものだと知っているから、わたしの胸はズキズキと痛む。
吉田君は近くの時計を見て、焦ったように言った。
「あ、いけん。チャイム鳴るわ。小鳥遊さん、はよ教室戻ろう」
「だね! ん?」
あれ? 今、吉田君は朱音を呼んだ? それともわたし?
「どうしたん?」
「いや、何でも」
気のせいだろうと思って、わたしは吉田君と教室へと急いだ——。
◇◇◇◇
放課後。
今度は藤井君から逆ヴァレンタインを受けている。朱音が。
成り代わりから元に戻るタイミングを失ったわたし達は、そのまま入れ替わったままだ。
「彩音ちゃん!」
緊張した面持ちでわたしの名前を呼ぶ藤井君に、朱音は冷たく言った。
「何?」
(もう、わたし、そんな素っ気なくないやん。明るく元気な彩音ちゃんやってや)
ちなみに、わたしは二人の様子が気になって、教室の掃除用具入れに隠れて盗み聞きをしている。
「えっと、甘い物好きじゃったりせん?」
「別に」
(だから、何でそんな冷たいねん!)
「用があるなら早くしてくれない? 電車乗り遅れたら責任取れるの?」
「あ、そうよね。彩音ちゃんは電車通学なんよね」
藤井君は焦って小さな紙袋を机の上に置いた。
「えっと、バイト代でちょっと良いの買ってみた……じゃなくて……好きじゃけん、俺と付き合ってくれん?」
何事も余裕そうな藤井君がソワソワして顔を真っ赤にしている。新鮮だ。
「い」
朱音が返事をしようとした所で、藤井君はそれを遮るようにして言った。
「返事は今じゃなくて良いけん! ホワイトデー、そう、ホワイトデーで聞かせてや!」
(逃げたな。陽キャでもフラれるんは怖いんやな。その気持ち分かんで)
うんうん、と一人頷いていたら、いつの間にやら藤井君の姿は教室には無かった——。
朱音が掃除用具入れをパッと開ければ、わたしはすぐさま言った。
「お姉ちゃん! あんな塩対応だと、わたしのイメージ悪くなるじゃん!」
「え、彩音。藤井君と付き合いたかったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「ほら、彩音は優柔不断だからさ、あたしがズバッと断ってあげようかなって。逃げられちゃったけど」
残念がる朱音は、チョコレートの包みを豪快に破って中身を取り出した。
「ほら、彩音。あーん」
「え、断ろうとしたのに、普通に食べんの?」
「だってチョコに罪はないから。それにこれ、彩音が食べたいって言ってたブランドのチョコだよ」
「え、マジで?」
わたしは、すぐさまパクッと口の中にチョコレートを入れた。
「うま!」
「でしょ」
「って、これお姉ちゃんが買ったんじゃないでしょ」
藤井君から貰ったチョコレートは美味しくて、二人で全部綺麗に頂いた。
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