歌うアンドロイドのハリー
梅色加那
スクラップの歌
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
ロボットは人間に与えられた使命に服従しなければならない。
ロボットは自己の存在を守らなければならない。
薄暗いホールの中に開演ブザーの騒音が響き渡る。
幕が開き、ライトがパアッとステージを照らし出した。ステージ上にはピアノの前に座る人…ではなくアンドロイド、そしてマイクを持ったアンドロイドが立っていた。
マイクを持つアンドロイドは黒い髪の毛や白い肌は綺麗ではあるが、よれたスーツに身を包んでおり、今にも靴は壊れそうだった。塗装が剥げたマイクが、美しくよく伸びる声を目一杯大きくする。
「ごきげんよう。私は歌うアンドロイドのハリー。アンドロイド初の音楽グループ "スクラップ"の演奏を聴きに来てくださったお客様に感謝を申し上げます」
アンドロイドは明るい笑顔で手を振る。
まばらな拍手を空調の音がかき消した。それほどまでにホール内には客がいなかった。数百人が座れるほどの客席には1列ごとに人がいるかいないかほどである。
「我々は皆さまにかつての名曲を伝えることを目的としています。本日も皆さまに素敵な曲をご用意致しました。この曲は人類史上初めてコンピュータが歌った曲です。それではお聞きください“Daisy bell”」
ハリーの合図でピアノのアンドロイドが動き出した。ピアノ線の振動がホール内をゆったりと、そして明るく包み込んだ。
ハリーはマイクに口を近づけて、美しい男声で歌い始めた。
There is a flower within my heart, Daisy, Daisy!
- 僕の心には花が咲いているんだ。デイジー、デイジー!
Planted one day by a glancing dart, planted by Daisy Bell!
- ある日、君の流し目によって植え付けられたんだ。植え付けられたんだ、デイジーベルに!
Whether she loves me or loves me not, sometimes it's hard to tell;
- 彼女が僕を愛してるか、そうじゃないかはわからないけど、
Yet, I am longing to share the lot of beautiful Daisy Bell!
- それでも僕はデイジー・ベルと運命を共にしたいと願っているんだ!
美しい歌声の後にピアノのアンドロイドがサラサラの金髪を揺らしてコーラスを上げる。しかし滑らかに動く指をよそに、コーラスの中には若干の電子ノイズが走っていた。
ハリーはノリノリになって、少しステップを踏む。そして来る山場を美しい声で彩った。
Daisy, Daisy, give me your answer do!
- デイジー、デイジー、答えておくれよ!
ハリーがそう歌った瞬間、ピアノが不協和音を立てて音楽が停止した。歌声もとまってしまい、観客席からは冷たいため息が漏れ出した。
"エラー、エラー、エラー"
鍵盤に項垂れるアンドロイドは首元から電気と火花を散らして、エラーを吐き出している。
観客席の人間たちは2体のボロボロなアンドロイドを見限って、席を立ち上がった。
ハリーは客たちの背中に向かって語りかける。
「お客様。まだ我々の演奏は終わっていませんよ。もっと古き良き音楽をお聴きになっていきませんか?」
「うるせえっ!!チケット代無駄にしやがって!!」
男の怒鳴り声と共に、ハリーの頭に蓋つきのカップが投げつけられた。蓋が外れ、中に入ったジュースが彼の黒髪にかかってしまう。
ホールからは人っ子ひとりいなくなってしまう。
「ジョージ。またエラーを起こしたんですか?」
ハリーは慣れた手つきでジョージの背中を叩いた。何度か叩くと、何かがバチっと繋がる音が聞こえ、ジョージの身体が起き上がる。再びピアノが演奏される。彼はノイズ混じりのハモりで気持ちよさそうに歌った。
「デイジー、デイジー♪♪」
「ジョージ。もうお客様は全員、お帰りになられましたよ」
ピアノを弾いていた指が止まり、膝の上に置かれた。
「なんだって?せっかく久しぶりの演奏だったってのに…」
「あなたがエラーを吐いてしまったからですよ」
「俺、また止まったのか?」
「はい」
「うおおお!!なんてことだー!!」
ジョージは鍵盤に頭を打ちつけた。酷い音が空気をつん裂くが、幸いこれを聞いている客は存在しなかった。
「すまねぇ。また俺がハリーの楽しみを奪っちまった」
「ジョージのせいではありませんよ。それに、今日は5人ものお客様がいらっしゃいましたから、とても嬉しいです」
ハリーは貼り付けられた笑みを浮かべると、椅子に座ったままのジョージに肩を貸した。そのままゆっくりと立ち上がると、同じくヨレヨレのスーツを着た彼の脚が露わになる。人間のように見せる外皮は太もも辺りから剥げ、中身が完全に見えていた。しかも若干錆びついている。
「もう満足に歩けねえ。俺もそろそろ本当の"スクラップ"になる時期か」
「問題ありません。新しいボディに交換すれば、以前と同じように楽しく歌えますよ」
「そうだな。俺はまだまだピアノを弾ける」
蜘蛛の巣の張った廊下を歩き、寂れた楽屋に2人は入った。楽屋の床を歩いていた蜘蛛は驚いて、床の隙間に入っていく。
ハリーはなんとかジョージを椅子に座らせると、壁に貼られた鏡を見つめた。
「お客様からジュースをかけられてしまいました。スタッフさんに洗浄を頼まなくてはいけません」
ここはかつて科学のテーマパーク「サイエンスドリーム」として栄えていた。
2人はそのテーマパーク内にあるアンドロイド館で、美しい声で人々をアッと驚かせたのである。だが今は見る影もない。科学が進歩し、アンドロイドなぞ当たり前になってしまった時代。ハリーやジョージよりも性能の良いモデルは次々と登場していく。
「全くひでえ客だ。ママに機械に水をかけちゃダメでちゅよ〜って教わらなかったのか?」
「ジョージ……お客様のことを酷く言ってはなりません」
「んなこと言われても、俺はバグってるからなぁ……」
2人が話をしていると、楽屋の扉が開いた。キチっと真新しいスーツを着た中年男性が入ってくる。
2人はかしこまって頭を下げた。
「館長。お疲れ様です」
館長と呼ばれた男はハリーのために用意された椅子を乱暴に引いて座り込んだ。
「ここも閉鎖することになった」
「え?」
髪が濡れたままのハリーは予想外の言葉に固まった。
ジョージはピアノを弾く繊細な手で机を叩いた。
「へ、閉鎖ってどういうことだよ館長!!」
「言葉通りだ。このテーマパークももうやっていけんということだ」
「そ、そんな…」
「あと、お前たちを処分する金もないからな」
「なっ…」
館長はそう言って、立ち上がった。呆然としている2人に背を向けて、楽屋の扉を開ける。
「じゃあな時代遅れの"スクラップ"」
「ま、待てよこのクソジジイ!」
ジョージは後を追おうと立ち上がるが、壊れた機械の足は体重を支えられずに地面に転がってしまった。
「ジョージ!」
ハリーが駆け寄ると、扉の外から人が流れ込む。全員顔をマスクで隠した屈強な男たちだ。そのうちの1人がジョージの首にスタンガンを押し当てた。ジョージは変な音を上げながら活動を停止した。
さらに男がハリーに掴みかかる。しかしジョージを攻撃されても、ハリーは抵抗しなかった。
「やめてください。やめてくだ…」
スタンガンを押し当てられたハリーは崩れ落ち、床を揺らした。
動きを停止した2人を館長はゴミを見るかのように見下した。
「"ゴミ山"にでも捨てておけ。こんな古いアンドロイド、雨風に晒されればすぐに壊れるだろう」
その指示で2人の重たい身体は台車に乗せられ、運ばれていった……
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