幕間 気に入らない悪い虫
「うわぁ〜ん! 最悪だぁ〜!!」
紫亜が自分の席でパンッと叩いては騒いで叩くを繰り返している。どうやら、蚊にロックオンされたみたいで何ヶ所か血を吸われていた様だった。
紫亜は何ヶ所も血を吸った蚊を殺そうと懸命に両手で叩いてるが、蚊の方が早くてただ追い払ってるだけになっている。
「紫亜、蚊にモテモテの様だね?」
にこやかに紫亜に話し掛けると紫亜はそれどころじゃない模様。
「こんなのにモテてもしょうがないよぉ〜!! せっかく夏服に衣替えしたのに、刺されまくってるよぉ〜」
ふむ、と少し考える。そういえば、おばあちゃんに虫除けスプレーを買ってもらったのだったと思い出し、鞄から出す。
「紫亜、殺してしまっては蚊も可哀想だ。……ほら、虫除けスプレーだよ」
私がそう言って渡すと、紫亜はパァーっと救世主が現れたかのような顔をして喜ぶ。
「ありがとう! エルちゃん!!」
早速スプレーを振りまいて、紫亜は一安心と言いたげに机の上でぐったりしている。
その首筋は何ヶ所か赤くなっていて、紫亜は肌が白いから余計に目立つ。
「紫亜」
「なに〜」
「ここ、蚊にやられてるよ」
首筋を指先で撫でると、紫亜はピクっと反応して、咄嗟に首筋を押さえる。
今の紫亜の反応はまるで、そういう行為をされた時に近くて、なんというか劣情を覚えてしまった。
「え、えぇ〜。急に触られるとびっくりしちゃうよエルちゃん」
「すまない。……けど、首を蚊に吸われてるみたいだ。塗り薬も持ってるから、塗ってあげよう」
「エルちゃん、何でも持ってて凄い〜。……首は分かんないから、お願い」
紫亜からの許可を貰い、鞄から塗り薬を取り出し、立った方が塗りやすいかと席から立ち上がって、首筋に塗り薬を塗る。三箇所くらい蚊にやられていて、ぷっくりと膨らんでいる。
そこを塗ってあげると紫亜はくすぐったそうにしていた。
……ほう。
声には出さないが、紫亜の制服の隙間から覗く首から下の白い肌に赤い跡がくっきり付いている。それも執拗に何ヶ所も。
背中の方だからか、紫亜は全く気付いていないようだ。……というか気付いてたら、多分私に塗り薬を塗らせては貰えなかっただろう。
「塗り終わったよ」
「エルちゃん、ありがとう」
にっこりと人懐っこい笑顔。その笑顔が可愛くて、紫亜が普段からクラスメイトや先輩に可愛がられていたり、お菓子を貰っていたりと甘やかされているのがよく分かる。
普段の紫亜は綺麗で何処かミステリアスさも有る血統書付きの高級猫っぽい、人と関わらなさそうなのに、人懐っこいとそういうギャップが良いと同級生達は言っていた。
確かに、紫亜は私も初めて見た時は綺麗な子だけど、何を考えているか分からないミステリアスな雰囲気の子だと思っていた。
だが、実際にはそんな事は無く、人懐っこく笑いかけ、困っていたら話し掛けたりと笑顔の可愛い子だった。
クラスメイトの言葉を借りるなら紫亜は人慣れした可愛らしい猫、という所だろうか。
「どういたしまして。紫亜」
そんな所でチャイムが鳴り、席に戻る。
ホームルームを聞いているフリをしながら、私は紫亜に悪い虫が付いてるな、とその悪い虫をどうしようかと思案した。
「エル、こんな喫茶店に呼び出して何か用?」
アイスコーヒーのストローをクルクルと、退屈そうにかき回す優真。
「紫亜に悪い虫が付いてるから、虫除けに、ね」
にこやかに優真に笑いかける。でも、この笑みは普段、他人に振り撒く物と同じではなく棘だらけだろう。
「は、……虫除け、ねぇ」
私が何に気付いたか察した様で鼻で笑って、アイスコーヒーを飲んでいた。
紫亜がそういう関係になっても良く、心も身体も許す相手なんて目の前の彼女しか居ない。というか以前、軽く口論した時に売り言葉に買い言葉で優真がポロッと零してしまったから、知っている。優真と紫亜のセフレ関係を。
好きな人が居る癖に、紫亜にマーキングをするこんな女が好きだなんてどうかしている。
だが、紫亜の気持ちも尊重したいので、本人に優真は辞めた方がいいと釘を刺すのは違うので言わない。
私と優真は本当に相性が悪い。喋っているだけ、同じ空間に居るだけで嫌悪してしまう関係だと断言出来るだろう。
「はぁ。君は玲奈が好きじゃなかったのかい?」
直球。優真に投げ込んでみる。
「好きよ。でも振られた」
即答。迷いのない答え。確かに彼女は玲奈に振られて、屋上から飛び降りるくらいだったので、それはそうかと納得する。
「そうだね。じゃあ、なんで紫亜にマーキングでもするような真似、したのかな?」
笑っているが笑っていない。今の私はそんな顔になっているだろう。
全く笑えない。紫亜の事が大切で好きだからこそ、許せない。
「紫亜の事が知りたい……無意識にそう思ってたの」
いつもの優真らしくない自信満々の声ではなく弱々しい声。
「は、自分の気持ちもよく分からないのに、そんな真似したのか。滑稽だね」
腹ただしい。紫亜の事が好きだと明確に分からないのに、キスマークを付けたのか。ふざけるな。
声を荒げたい気持ちはあったが、ここは喫茶店。公共の場 そんな事をするのは愚かだ。なのでここは怒りを抑える。
「……っ」
流石の優真も返す言葉は無いようで、飲み終わったアイスコーヒーの氷がカラン、と溶けた音がする。
私は視線を自分が頼んだ抹茶のチーズケーキに固定して、フォークを入れ、一口食べる。
うん。抹茶の味もチーズも濃厚で良い抹茶のチーズケーキだ。またここに紫亜と来るのもいいのかもしれない。
……どうせ彼女の事だ。長い片想いをしていた玲奈に振られて飛び降りるくらい好きだったのに、振られて優しくしてくれた紫亜の事を直ぐに好きになってしまうチョロい女じゃないと思いたくなくて、プライドが邪魔をしているんだろう。
くだらない。ちっぽけなプライド。そのプライドが紫亜を傷付けている。
……本当に彼女は紫亜の悪い虫。
チーズケーキを食べ終え、彼女を見据える。
「自分の気持ちもよく分からない人間に紫亜の事は任せられないな。だいたい、君は玲奈が好きなんだから、振られたとしてもまたアタックすれば良いじゃないか」
「は?」
「……紫亜を惑わす悪い虫さんには私の言葉が難しかったかな?」
私の言葉にイラついたみたいで優真は即座に舌打ちをする。
「玲奈の事をいつでも待てるって言ったんだがら、玲奈の心の準備ができるまで待てる……わよ。また、告白する……のは、その時だって」
自信の無い語尾、さっきの好きと言う言葉は即答は出来たのに、今の言葉は即答出来ていない。やっぱり彼女は迷っている様子だった。
「ほう。じゃあ、紫亜の事を解放してくれないか?」
「は、」
「だって君は玲奈が好きなんだろう? 待てるのだろう? ならば、玲奈の代用品にされてる紫亜が可哀想じゃないか」
「代わりじゃない!」
大きな声を出す優真。その声で喫茶店の周りの客はザワザワと騒ぎ出す。
「……声を抑えてくれないか?」
「……ごめん」
「話を戻そう。君が玲奈の事が好きなら、出来るだろう?」
私は普段、他人には親切にせよと心に決めている。だから言葉は選ぶし、相手が不快な気持ちにならないように、と気を付けるが、優真だけは別だ。私の大切な友達であり、好きな人を傷付ける優真だけは許せない。
……本当は紫亜が幸せならばと首を突っ込むつもりも無かった。
でも、優真と関わる度に紫亜は傷付いている。その事実は本当だ。
だが、紫亜も自分で解決したいからか、私に何も話して貰えない。その事は寂しくも思う。
「……紫亜の事を知りたいのに、関係を辞める……なんて、でも、私は玲奈が……」
彼女は玲奈に長い片想いをしていたから、まだ好きだと信じたいのに、紫亜に惹かれている自分の気持ちがごちゃ混ぜになって、よく分からなくなっているだけだ。
だが、私は優真にだけは優しくないから、そんな敵に塩を送る様な真似はしない。教えてあげない。
「……本当にちっぽけなプライド、だな。知りたいだけなら、ただの友達として接してあげてくれ。君と紫亜の関係は不毛だ」
「……っ」
優真はテーブルの空になったコップに視線を落としたまま、返答はない。
答えが自分で出ないのならば、私がもうここに居る意味は無い。
「君とは今の所、話にならないから、もうこれでお暇するよ。お代はここに置いておこう」
誘い出したのは私の方だから、優真の分の代金も置いて私は喫茶店を出た。
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