第3話 接吻

 眼の前にはコンクリートの大きな塊があった。その前には何枚もの木の板が朽ちて崩れ落ちていた。コンクリートの塊を覆っていた板壁が、時が経って崩れ落ちたようだ。


 そして・・コンクリートの塊の中から二本の骨だけになった手が延びていた。その手がまるで中空を掴むかのように妖しく動いている。


 私は思わず悲鳴を上げた。


 「キャー・・」


 私はコンクリートに背を向けて逃げようとした。しかし、動けなかった。振り向くと・・骸骨になった二本の手が私のブラウスの背中を掴んでいた。


 恐怖が私を襲った。


 私は再び悲鳴を上げた。


 「キャー」


 そのときだ。二本の手が私のブラウスを掴んだままで・・コンクリートの中から声が聞こえた。


 「待って・・お願い・・ここから出して・・」


 「・・・」


 思わず私は動きを止めた。すると、二本の手が私のブラウスを離した。そのことが私の恐怖をやわらげた。私はゆっくりとコンクリートに向き直った。ぎこちない動作だった。まだ身体がうまく動かないのだ。ようやく、悲鳴以外の声が私の口から出た。


 「あなたは・・誰なの?・・」


 再びコンクリートの中から声がした。


 「私はこの屋敷に住んでいた家族の娘、亜希です。この家の使用人に殺されて・・このコンクリートの中に埋められてしまいました。このコンクリートの前に板壁があって、それによってコンクリートは長い間、隠されていたのですが・・建物が古くなって、先日、その板壁が壊れたのです。それで、ようやくコンクリートが廊下に現れて・・私はやっと廊下にいる人と話ができるようになりました。お願いです。私の身体をここから出して・・」


 私は混乱した。この声の主は生きているのか? いや、そんなはずはない。現に、声の主は「殺された」と言った。私はコンクリートの中に聞いた。


 「あなたは、生きているの?」


 声がした。


 「私の身体は朽ち果てて、今は骨だけですが・・私の精神は、まだ生きているのです。お願いです。私をこのコンクリートから出して・・」


 私は首をひねった。


 「出す? どうやって?」


 「そこにツルハシがあります。それで、このコンクリートを壊して・・」


 私が足元を見ると・・いつの間にか、ツルハシが置かれていた。ツルハシなど持ったことはなかったが、私はそれを手に取った。重さがズシリと手に伝わった。


 私はツルハシの尖った部分をコンクリートに当ててみた。コンコンという音とともに、その部分のコンクリートが簡単に壊れて、小片がパラパラと床に落ちていった。コンクリートもなかり劣化が進んでいるようだ。


 私は少しずつ、コンクリートを崩していった・・


 やがて、コンクリートの中から人間の全身の骨格が現れた。骸骨だ。私は廊下の端の壁にもたれて、その骸骨を見つめた。私はフーと息を吐いた。眼の前の出来事は、にわかには信じられなかったが・・人助けをしたという満足感が私の心を満たしていた。


 骸骨の口が動いた。カチカチと歯がぶつかる音が聞こえた。


 「ありがとう。お陰で楽になったわ・・」


 そう言うと、骸骨がゆっくりと歩きだした。コンクリートの前から一歩一歩、私に近づいてくる。歩くたびに、足の骨がガチャッ、ガチャッと乾いた音を立てた。


 私は呆然とそれを見つめた。


 骸骨が私の眼の前に立った。両手を私の方に差し出して、私の肩を強くつかんだ。冷たく重い感触が肩にあった。骸骨が顔を私に近づけた。


 「お礼に・・キスしてあげる」


 キス?・・・

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