後編
番町皿屋敷は、ラストシーン、元使用人の声に恐れおののいた主君が、僧に度胸を頼む。
八つ、九つ……。
そう聞こえた時に、僧がすかさず「十枚」と井戸に向かって話す。
そうすると、お菊さんは「あら嬉しや」と話し、それ以降、皿を数える声は聞こえなくなったそうだ。
「ってわけで、でも、思うんだよね」
あの話をきっかけに番町皿屋敷に興味を持ったらしいマミは、目の前の机に両掌をつけて言った。
「何を?」
「そんな、それだけで、お菊さん、成仏すると思う?」
「……思えない」
「でしょ? だから、絶対、それこそ主君がもっと荒れだした時とかに、そっと近寄って、復讐すると思うのよ」
「えぇ……どうかな?」
「それこそ、右手の中指を、お菊さんの子供と同じようにちょん切ったりしてさ」
「お、おおー、こわーっ」
まんざらでもなかった。
今日、この連鎖を断ち切ろうとしているというのに。
「なに、ビビってる?」
「ええ、いや、そんなわ……ビビってるよ」
「なんそれ」
マミは、視界の全てが綺麗に反転した目を、可笑しげに細める。
オレは、別れを切り出せない。
……や、切り出したくも、ないのか。
1枚……ガシャン
脳裏に、真っ白い手元が映った。
2枚……パリン
オレの名前が、真っ二つに割れて、底の見えない真っ暗に落ちてゆく。微かに、粉々になった音もした。
3枚……バリン! 4枚ぃぃ……バキッ、5まぁい……グシャ
未練だらだらな声は、だんだん重なり、だんだん大きさを増してゆく。
薄明りが照らす範囲は、口元までかかった。
6まーい、……ビシャン!
その白い口元は、奇妙に口角が下がっていて、泣いているようにも、嘲笑っているようにも見えた。
7枚っ、パッキーン!
今度は、正真正銘、口角が上がっている。
声の方は、テンションが高そうな声になって、それが、幾重にも重なっている。
8枚、ガシャ
今度は、やけに落ち着き払った声。
こんな声のやつ、大学二年の二カ月付き合ったがり勉女に、いた気がする。
9まあーい、ガシャ、ガシャガシャン!
今だ。
「10枚」
刹那。
どぉのクチがどぉのタチで言ってるワケェ?
ぼわわん、と水槽の中のように、音が脳内で何度も何度も反響する。
アンタが悪いの、アンタが悪い、アンタが、アンタガ、アンタガ、アンタガ……
色々な種類の女の声が、テレビの砂嵐みたいに入り乱れる。
女の口元を照らす光は強くなり、その影は、何重にも重なっている……。
「うわあああっ!」
毛布を跳ね除けて、オレはベッドから飛び出した。
パジャマが汗で肌とくっついて、首筋もべっとりだ。
が、そんなことにいちいち対応する余裕もない。
ひとまず、やかんの茶を一気に口に入れる。途端に、服の裾が、ビシャビシャに濡れた。
と、スマホがガタガタガタ、と机を揺らす。
ゆーちゃんからだった。
「はい、ももしもし?」
「はーい。あれあっくん、あっくん、なんかおかしいよ?」
「え、いや……」
バクバクと大砲を出す勢いで拍動する心臓に、オレはとにかく祈る。
「ひょっとして、浮気バレちゃったとかぁ?」
「いや、そんなわけないだろ……」
「そっかぁ、バレちゃったのかぁ、へえ、えへへへへ」
電話の向こうの声が、一瞬、シリアスなニュースの時に使われる街の雑踏のような感じになった。
「……え?」
「そっか、そうだよねぇ、うぅん、学生時代からねぇ、自分がプレーボーイだってカッコよさ履き違えて、何人の女の子を泣かせたかなぁ、えへ、えへへへへ、エヘヘ」
「……ゆーちゃん?」
「ホント、たまったもんじゃないよ。おもちゃとして扱われるの。他がいる、使い捨て、気取ってそういうクズ発言するやつサイコーにダサいよぉ? んん?」
「ちょ、どうした」
「そうやってすぐにするから今こうしてああだぶふジバブイらぶヴぇじゃウラソぅぐばばヴぁじゃらかヴぇ……!」
呂律が滅茶苦茶、胸の中を真っ白に冷ましていくような謎の言葉を残して、電話が切れた。
コン、コンコン
「……え?」
ココン、ココンコン
リズミカルに聞こえる、ドアのノックの音。
……アクサツアァキアチアアンは、いますかぁ?
あっくん、あつき、あっちゃん、あつ、あー。
「や、なに、や……」
オレを呼ぶ、女の声が、不自然に積み重なって、今。
ウフフフフフ
耳障りの悪い金属音を立てて、ドアが開いた。
(終)
10枚目の皿 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555
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