第6章 聖戦⑤
6.4.3 神の逃走
白い世界が血に染まる。
「シノ様……急ぎましょう……」
ミナの黄金色の眼が、わたしの顔を見上げた。暗闇の中で不気味なほどに輝くその瞳には、焦燥と、それでも消えぬ信仰の炎が灯っていた。
「ミナ、急いで……」
ミナの赤い瞳が闇の中に燃え上がるように輝く。
白い翼が震え、純白の蹄が鋭く床を打つ音が響く。
わたしを支える二人の腕は、血に濡れ、切り裂かれ、赤く染まっている。
——可哀想に。
「……ごめんなさいね……レア、ミナ……」
囁くように、わたしは言った。
二人は揃って首を振る。
「シノ様のためなら……私たちの血など、惜しくはありません……」
わたしはそっと、震える指を動かす。
36本の純白の指が、崩れ落ちた壁に触れた。硬く、冷たく、脆い。
指先に微かな震えが伝わる。
「まだ……わたしの道は、終わらないわ……」
フルートのように高く、甘く、囁くような声が、暗闇の中で細く響いた。
レアとミナが、わたしを抱くようにして、前へと進む。
純白の尾が、床を撫でるたびに赤い筋が残る。
血まみれの足跡が続いていく。
後ろでは、わずかに残った信者たちが、最後の抵抗を続けている。
銃声。
断末魔。
怒号。
痛みに歪む肉体の悲鳴。
——愚かね。でも、愛おしい。
わたしのために死んでいく彼らの姿が、美しい。
白い肌に赤い血が滴るその一瞬の儚さが、まるで散りゆく花のようで……。
「シノ様、ここを抜ければ……」
ミナの声に導かれ、最後の扉へとたどり着く。
重厚な白の扉。
その向こうには、秘密の脱出路。未来へと続く道。
レアとミナがわたしの身体を支えながら、扉に手をかける。
血に濡れた白き天使たち。
その姿があまりに美しく、わたしは、ふふ、と甘く微笑んだ。
——さあ、行きましょう。わたしたちの未来へ。
6.4.4 神の決断
静寂を引き裂くように、遠くで爆発音が響いた。
「……あら」
わたしの声はひどく甘やかで、まるで夜の帳を撫でる風のように柔らかだった。
揺らめく銀の髪をふわりと翻し、振り返る。
瓦礫に埋もれ、純白の肌を血に染めた信者たちが、崩れ落ちる天井の下で最期の祈りを捧げていた。
「白華神……!」
「どうか、お救いを……」
うわごとのように名前を呼びながら、彼らは細い指をこちらに伸ばす。
だが、すでにその白い瞳に映るものは何もない。
ただ、わたしを求める熱だけがそこに残っている。
「……」
ゆっくりと、静かに微笑む。
そう、わたしたちはこの世界にとって、まだ早すぎた。
「ならば……」
わたしはそっと目を伏せる。
長い白銀のまつ毛が蝶の羽のように揺れ、吐息のような声がこぼれた。
「少しだけ、未来に期待することにしましょうか」
レアとミナが、わたしの身体を優しく支えた。
彼女たちの手はあまりに滑らかで、まるで彫刻のように冷たい。
それでも、そのぬくもりを感じることができるのは、わたしが彼女たちの神だからなのだろう。
ふたりの支えを受けながら、一歩を踏み出す。
ナックルウォークのために作り替えられた腕を床に這わせれば、長くしなやかな指先が、音もなく白い大理石の床を撫でるように滑る。
シノの足元に広がる銀の髪は、月光を溶かした湖のように揺れた。
「白華神――!」
誰かが叫ぶ。
けれど、もう、振り返らない。
天井が軋みを上げ、壁がひび割れていく音がする。
爆炎の赤が、血の色を失った白い空間を焼き尽くそうとしていた。
「――行きましょう」
囁くように言うと、レアとミナが頷いた。
彼女たちの眼――
紅と金の瞳孔のない光が、わたしだけを映している。
わたしたちは神であり、わたしたちはこの世界に愛されなかった。
けれど、それならば、また新たな世界を創ればいい。
ゆっくりと、秘密の扉が開く。
外の喧騒が遠のく。
銀色の髪が揺れ、白銀の翼がかすかに震えた。
「また、新たな時代に、お逢いしましょう――」
わたしは甘く微笑む。
そして、静かに夜の闇へと消えていった。
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