第6章 聖戦④
6.4 敗北の兆し
6.4.1 戦局の急転
白き殿堂の奥深く、わたしは玉座に身を預け、静かに指を組む。
純白の指は一本一本がまるで別々の生き物のように動き、絡まり、ほどける。
漆黒の戦火に染まる外界とは対照的に、この神殿はなおも静謐を保っていた。
遠く、空を裂く砲撃の音が響く。
低く、鈍く、世界の終焉を告げる太鼓のように鼓膜を震わせる。
そのたびに建物がわずかに軋み、白亜の壁が振動する。
レアとミナがわたしの両側に跪き、甘やかにその身体を寄せていた。
二人の長く艶やかな銀髪がわたしの指先に触れ、ふわりと絡みつく。
かすかに香るのは、百合と乳香を掛け合わせたような、清冽な匂い。
「……ねぇ、レア、ミナ。聞こえる?」
フルートのように甘やかな声が、二人の薔薇の花弁のような耳をくすぐる。
二人は静かに頷き、白磁のような頬をわたしの手に寄せた。
まるで崇拝の証を捧げるように、その目を細め、ただひたすらにわたしの存在を感じ取ろうとする。
「ついに、時が来たのね……」
わたしは微笑んだ。
──世界は、わたしを迎えに来たのだ。
かつて信者たちは歓喜した。
わたしの言葉に導かれ、白華神美新生の教義のもと、世界を浄化するその日を信じた。
各地で勝利の凱歌が響き、人々はわたしの名を叫びながら歓喜に身を震わせた。
しかし、今やその声は悲鳴へと変わっている。
世界はわたしたちを受け入れなかった。
愚かな旧時代の亡霊たちは、なおも「人間」という枠組みにしがみつき、わたしたちを否定し続けた。
報告によれば、各国の政府が一斉に「白華神美新生」を抹消するための殲滅戦を開始したという。
次々と制圧されてゆく都市、倒れていく信者たち。
焼き払われる聖域、蹂躙される理想。
しかし、わたしの心は不思議なほど穏やかだった。
──美しいものは、必ず終焉の美しさを手に入れるものよ。
レアが静かに頬を寄せ、囁く。
「シノ様……」
その赤い瞳が、まるで液体のように揺らめく。
ミナもまた、黄金の瞳を細め、わたしの指をそっと唇で包んだ。二人の体温が、わたしの冷え切った肌に染み渡る。
「……ふふ、愛おしい子たち。」
わたしは両手を広げ、18本の指で優しく彼女たちの頬を包んだ。
爪の先でそっと撫でると、二人は身を震わせながら恍惚のため息を漏らす。
彼女たちの背から生えた純白の翼が微かに震え、尻尾が絡まり合う。
──教団本部『聖域』へ、政府軍の精鋭部隊が迫る。
知らせを持ってきた信者が、涙を浮かべながら膝をつく。
「白華神……ついに、敵が……!」
「ええ、ええ……よく分かっているわ。」
わたしは微笑んだ。
たおやかに、甘美に、まるで終焉の調べを奏でる音楽のように。
「さぁ、レア、ミナ。わたしを立たせて?」
二人がすぐに動く。
細くしなやかな腕が、わたしの腰と背を支える。
わたしはゆっくりと蹄を床につける。
人工の飛節がきしむ音がして、長く作り変えられた指が床をなぞる。
白磁のような身体が、二人の腕の中で持ち上げられる。
──戦火が近づいている。
遠くで銃声が響き、扉の向こうでは最後の信者たちが必死に抗っている。
けれども、それはもはや意味を持たない。
世界はわたしたちを許さない。
ならば、わたしも世界を許す必要などない。
玉座の前の広間。
信者たちが震えながらわたしを見つめる。
彼らの目には恐怖が宿り、絶望が滲んでいる。
「怖いの?」
わたしは優しく微笑む。
「でも、わたしたちは、もう充分に美しかったでしょう?」
静寂が訪れた。
──わたしは、最後まで、美しく、神としてあらねばならない。
ねぇ、そうでしょう?
6.4.2 崩壊する聖域
純白の聖域が、崩れ落ちていく。
轟音と共に空が裂け、戦闘ヘリの群れが黒い影を描いた。
鋼鉄の巨獣が吐き出す火炎が、雪のように白い神殿の大地を引き裂き、爆音と共に聖域を焼き尽くしていく。
耳を劈く破裂音、砕ける石材の悲鳴、そして信者たちの断末魔が、聖なる空間を侵食していった。
レアとミナが、わたしの腕を支えている。
彼女たちの指は冷たく、それでもわたしの身体を優しく抱くように包み込み、わたしの歩みを導いてくれる。
「……美しく、儚いわね……まるで、わたしたちの夢そのもの……」
フルートのように甘やかで透明な声が、崩壊の中に溶ける。
赤い血が雪のような白い地面に広がり、濁ることなく鮮やかな対比を描く。
異形の信者たちは、わたしのために身体を投げ出し、神殿を守ろうとしたが、戦車の砲撃がその肉体を脆くも砕いた。
千切れた腕、裂けた尾、砕かれた角——
それらはまるで純白の花が風に散るように、儚く消えていく。
「……わたしたちの楽園(レフコス・ナグォン)が……」
わたしの声に応えるように、レアとミナがそっと微笑む。
二人の銀色の髪が舞い、月光のように柔らかく煌めく。
その瞳——
レアの深紅、ミナの黄金はわたしを映し、わたしの存在をただひたすらに讃えていた。
彼女たちは信じている。
この戦火の中にあっても、わたしの美は揺るがず、わたしの言葉は神の福音となることを。
爆炎が神殿の天井を破り、瓦礫が雨のように降る。
神殿の奥へ向かおうとするわたしたちの前に、兵士たちが立ちはだかった。
鋼鉄の鎧に身を包み、冷徹な瞳でこちらを見つめている。
銃口がわたしに向けられる——
が、それでもわたしは微笑んだ。
わたしの美は、彼らの暴力では決して汚せない。
「……行きましょう、レア、ミナ」
二人が頷き、強くわたしの身体を抱きしめた。その指が、翼が、尾が、わたしの異形を包み込み、守るように。
「時間は、わたしたちの味方よ……」
幹部たちが残された信者たちと共に、時間を稼いでくれる。
わたしたちは、この崩壊する聖域を抜け出し、未来へ進まなければならない。
純白の夢が砕け散るその瞬間、わたしの瞳には、新たな楽園の青写真が映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます