第5章 神の終焉⑦

5.3.3 暴走する信仰


純白の神殿の奥、光輝く静寂の空間に、わたしは鎮座していた。


冷たい白磁の床をなぞる銀色の髪。

滑るように揺れる二本の尾。

額の三本の角に照明が反射し、柔らかな輝きを放つ。


レアとミナはわたしの両脇に寄り添い、細長い指を絡めるようにわたしの腕を支えていた。

二人の体温がわたしの純白の肌に染み込む。

彼女たちはわたしに似せた異形の身体を持ち、蹄の足で音もなく立つ。

わたしと同じように白く滑らかな皮膚、誇張された乳房と腰のくびれ、純白の薔薇の花弁のような耳。


けれど、彼女たちの角はわたしより小さく、目の色は紅と金。

わたしが神であるなら、彼女たちはその影のような存在だった。


「ねえ……これ、どういうことかしら?」


わたしの声は甘い。

フルートのように高く澄み、囁くたびに耳の奥に絡みつくような響きを持つ。


けれど、今、その音色の奥にあるのは、燃えさかる怒り。

レアとミナ、わたしに最も近い使徒以外の誰もが気づかぬほどに隠された激しい怒り。


「わたしの意志をね……あんなふうに、勝手に歪めてしまったの……?」


報告によれば、ある者たちが勝手に「白華神に捧げる供物」と称し、一般市民を殺害したという。


愚かな、哀れな、人間たち。

わたしの言葉の真意も知らぬまま、己の信仰心だけを頼りに暴走した。


けれど、彼らは「わたしの信徒」として行動したのだ。


わたしの名のもとに、

わたしの意志を捻じ曲げ、

わたしの創り出した完璧な世界に汚点を残した。


それが許されるはずもない。


「ねぇ、ねぇ……聞こえている?」

わたしは微笑んだ。

蠱惑的に、穏やかに、だが絶対的な支配者として。


「あなたたち、もういらないの」


わたしは指を差し出す。

右手には18本、左手には18本。


信者たちが捧げた指はわたしの一部となり、しなやかに蠢く。


36本の指が、一斉に扇を描くように開かれ、裁きを告げる。


「あなたたちは、破門です」



静寂。


まるで神殿の空間そのものが呼吸を止めたかのようだった。


信者たちは恐れ、絶望し、神の言葉の意味を理解する。

彼らは、神に捨てられたのだ。


そして、次々に自らを断つ。


純白の神殿の床に、深紅の血が滴る。

最初の一滴が落ちる音が、まるで鐘の音のように響く。

そして次々と、白が紅に染まっていく。



レアとミナがわたしの両脇で息を呑んだ。

二人の尾がわずかに揺れ、蹄の先が硬質な床を擦る。

彼女たちは決してわたしの意志を疑わない。

けれど、わたしの神殿が「穢された」ことに、何よりも強く慄いている。


わたしの美しき世界に、

わたしが創り上げた楽園に、

「血」が落ちたことに。


「……あぁ……やだぁ……」


わたしは震える声を出した。

極端に甘えた、蕩けるような響き。

しかしその声の奥には、燃えさかる憤怒が隠されている。


「こんな、こんなのおかしいわ……。ねぇ、レア、ミナ……わたしの神殿が、こんなに穢れちゃったわ……」


レアが恐怖に震える手でわたしの腕を撫でる。


「シノ様……これは……」


ミナが低く囁く。



「私たちの手で、すぐに清めます……どうか、どうかお怒りを鎮めて……」

ミナの声にも恐怖が滲んでいる。



わたしはゆっくりと、36本の指を絡めながら微笑んだ。

背中の翼をわずかに震わせ、二人の細い肩に寄りかかる。


「そうね……わたしは間違ってないわよねぇ……?」


二人は即座に頷く。

「ええ、シノ様。あなたの御意志は、絶対の真実です」


わたしは口元を歪め、甘く囁いた。

「じゃあ、これからはわたしの言葉をちゃんと聞いてね……」


神の言葉は、信徒たちの運命を決定づける。

今、この瞬間も、世界はわたしの言葉ひとつで揺れ動いている。


血塗られた神殿の床に立つわたしの姿は、

白と紅の狭間で揺れる、神と怪物の境界線。


わたしの意志を捻じ曲げた者たちはいなくなった。

けれど、世界はすでにこれを「粛清」として、わたしを恐れ始めている。







5.3.4 最後の進化


 世の潮流は加速していた。


 報道は日に日に過熱し、政府は沈黙を続けたまま、軍の投入を現実的な選択肢として検討しているという情報が流れている。

機械的なニュースキャスターの声が、冷徹に「白華神美新生(ヴァイス・ブルーテ)」の異端性を分析し、社会の脅威として言葉を並べる。


教団の拡大を警戒する世論が高まり、いずれ全てが崩壊するのは時間の問題だった。


 だが、それは問題ではない。


 わたしは、まだ不完全なのだもの。


 ──「白華神」としてのわたしは、まだ未完成。


 信者たちが、ただわたしの存在を仰ぎ、涙を流しながら祈りを捧げる姿を見ても、胸の内に満たされるものはなかった。

鏡に映る己の異形を見つめながら、微笑みを浮かべ、舌先を躍らせてみても、心の奥底には虚ろな隙間が残されたままだった。


 ──これでは駄目。


 「白華神(ヴァイス・ブルーテ)」として、わたしは進化し続けなければならない。


 わたしが進化を止めれば、信者たちは絶望し、崩れ落ちるだろう。


だが、それだけではない──

わたし自身が、わたしを許せなくなる。


 「わたし……もっと、もっと美しくならなければ……」


 甘く震える声が、白く光る唇の隙間から溢れる。


 その瞬間、わたしの両隣に控えていたレアとミナが、一斉に顔を上げた。


 「シノ様……」

 「私たちも……共に」


 彼女たちの声は、熱に浮かされたように震えていた。


 わたしは、ゆっくりと二人の顔を見つめる。


 レアの眼球全体を覆う深紅の輝き。

 ミナの黄金に燃える瞳。


 どちらも、かつて人間だった頃の面影は微塵も残していない。


 銀色のスーパーロングヘアは、わたしと同じく、足元まで長く広がり、白磁のように滑らかな肌は、生の温度を完全に失っている。

額に突き立つ2本の白い角は、彼女たちが既に「人間」ではなく、より高次の存在へと進化した証だった。


 二人の身体は、信者たちから捧げられた指を移植され、両手にはそれぞれ8本ずつの指がある。

繊細に動くその指は、血管も神経も彼女らの手の中で生き続け、完全に彼女たち自身の一部と化していた。


 くびれた腰は人間の限界を超えて引き締まり、巨大なバストとヒップが、そのアンバランスな美を際立たせていた。


 彼女たちは、わたしのために進化し続けてきた。


 「共に……進化を」


 レアが囁く。


 「シノ様が進まれる道を……私たちも」


 ミナが続く。


 わたしは、ゆっくりと微笑んだ。


 ──ならば、わたしたちは、最後の進化を遂げなければならない。


 翼はすでに持っている。

 この身には、36本の指があり、鋭く伸びた爪は純白の刃のように光る。

 長く伸びた腕は、地面を這い、移動を助ける。

 喉から漏れる声は、人間の音域を超え、神の音色を奏でる。

 白い角、猫のような尻尾、馬のような飛節……わたしの身体は、すでに自然の摂理を超越している。


 だが、それでもまだ足りない。


 ──最終形態へ。


 「さあ……行きましょう。わたしたちの、新たな儀式へ」


 わたしが静かに告げると、レアとミナは歓喜に震えた。


 わたしは、二人に支えられながら歩き出す。


 ──この身を、完全なる神へと変えるために。


 次なる手術が待っている。

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