箱庭の[アリス]

東風雨

箱庭の[アリス] 前編

  昼下がり。雨粒が滴る窓の外を眺め、溜息を吐く少女。

「雨は嫌い。じめじめして薄暗いから。」

 少女は近くにいた使用人らしき女性に文句を垂れた。女性は淡々と答える。

「私は好きですけどね…たまにはこういう日があっても。」

 女性の態度か、あるいは窓にぶつかる雨粒たちがよほど気に入らなかったのか。少女はその返答を予想していたかのように、「たまには…でしょ。」と文句を垂れる。


「私だって…ずっと晴れてたら良いなぁ、とは言ってないし。たまに降るぐらいなら構わないのよ…でも、」

 そこで言葉を区切り、窓の外に目を移す。


「ここのところ、ずっと雨じゃない。」


 飽き飽きとして、少し悲しみを含んだ瞳が、どんよりとした空を捉えていた。

 「まあまあ、」と女性がなだめる。


「ワガママを言ったところで、天気は都合よく変わってくれませんよ。」


「それはそうだけど…」


「アリス様。」

 アリス、と呼ばれた少女はなおも不服そうにしていた。そんな彼女を諭すような口調で語りかける。


「どうにもならないことの為に費やす時間ほど、無駄なものはないですよ。貴女が一番分かっているんじゃないですか?」


 アリスは不貞腐れながらも頷いた。女性はその返事に微笑み、少女に問う。



「さあ、今日はどんな『箱庭』を作りますか?」



 いつの間にそこに現れたのだろうか?少女の目の前には、小さなガラスの箱が置かれていた。

 少女は、突然現れたであろうガラスの箱に対して、特に驚く様子もない。まるで日常茶飯事であるかのように。


 「……。」

 「アリス様、」


 自身の問いかけに対して返事が無かったのを気にしてか、女性がアリスに声をかける。

 しかし、続く言葉が女性の口から聞こえることは無かった。

 女性が話しかけた次の瞬間、窓の外が白くなり、直後雷鳴が響いた。電灯が消え、部屋の中は薄暗くなった。雨の降りはいつの間にか激しくなり、大粒の水滴が、窓を打ちつけていた。

 じっとりと重たかった空気に、ピリピリとした緊張が走る。

 女性は一瞬、窓の外の雷鳴に気を取られていたが、すぐにハッとして、アリスの方を振り返る。

 部屋の中には、ぼんやりと光る光の粒子がいくつもあらわれていた。フワフワと浮かび、ホタルのように縦横無尽に飛び回る。まるで、一つ一つに意思があるかのように、不規則で、不自然な飛び方をしていた。

 アリスの顔を見る。暗闇の中、その表情を目視することはできなかった。しかし、ピクリとも動かない彼女は、まるで何かに取り憑かれているかのような、恐ろしく神々しい空気を纏っていた。

 大量の粒子だけが、その場の重圧に気圧されることなく、好き勝手に飛び回っていた。


 唾を飲むことさえ憚られるような、緊迫した空気の中で、永遠にも思える数秒間が過ぎた。


 不意に、粒子が一斉に動きを止める。


 窓を叩く雨音が、その一瞬だけ遠のいたような気がした。


 次の瞬間、すべての粒子が、ガラス箱の方へ飛んでいった。

…あるいは、箱の中に吸い込まれていったのかもしれない。どちらにせよ、光の粒子は一粒残らず箱の中に入り、消えてしまった。

 そして、さっきまで空だった箱の中は緑に溢れて、植物に飲み込まれた小さな家が一軒建っている。いわゆる『箱庭』ができていた。

「ふぅぅ…」

 すっかり脱力したアリスは、息を吐きながら額の汗を拭っていた。先程のような、崇高で高圧的な雰囲気は微塵も感じられない。


「…。」

 その一部始終を間近で見ていた女性は、完成した箱庭を手に取り、呟く。


「…さすが、お見事です、アリス様。」


 「…もう、いつもそればっかり。」と答えたアリスの声は、どこか喜びの色を含んでいた。まるで、大人に褒められて嬉しがる無邪気な子どものようだった。

 

「…さて、疲れたでしょうし、休憩にしましょう。紅茶でも淹れましょうか。」


 雨は静かに降りしきり、まだやみそうにない。

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