曇り空のきみ
音羽 紗凪
きみのセーター
真冬の冷たい風が頬を撫で、前髪がさらりとなびく。所在なく色のない世界を眺めていると、ふと視線を感じた。振り向くと、いつもの指定席からくりっとした瞳がこちらを見つめていることに気づく。その眼差しに触れただけで、モノトーンの冬景色に暖かな陽が差したような気さえする。思わず頬を緩ませて声をかけると、きみは嬉しそうにふわりと席を立ってこちらへと駆け出した。
顔に出るタイプではないきみの感情は最初こそ分かりづらかったけれど、長い付き合いになるとよく分かる。きみはなにか、嬉しかったり楽しかったりすると、いつも“ふわふわ”としか言いようのない空気を纏う。きみのまわりにある万物がふくふくと柔らかくなるような、無機物さえも幸せそうに見えてしまうような、世界中のどんな人も顔がほころぶような、そんな癒しの魔法とでも言いたくなる空気だ。
すたっと軽やかに目の前へやってきたきみは、今日も白シャツの上にお気に入りのセーターを重ねている。雪が降りだす少し前の曇り空のようなチャコールグレーのセーターは、ともすればどんよりとした印象に映るのに、色白なきみをよく引き立てている。ずっと触れていたくなる手触りのいい素材を使って透かし編みで仕立てられているところも、きみのためだけに作られたのではないかと思うほど似合っていた。
いじらしく小首を傾げ、こちらを見つめているきみに手を伸ばす。表情に出なくても、ずっと変わることなく、全力の大好きをこれでもかとぶつけてくるきみを、いつものようによしよしと撫でたくて。
不意にまぶしい光が降り注いで、きゅっと瞼を閉じた。光が消えて、代わりに薄明りが瞼の裏に差す。分かっている。目を開けた世界に、きみがいないことは。
もう二度と、きみから全力の大好きをぶつけられることも、よしよしときみを撫でることも、あのチャコールグレーのセーターをふたりでもふもふすることも叶わない。
きみがいなくなって、11年が経とうとしている。曇り空にチャコールグレーを見るたび、鮮やかにきみを思い出す。
今でも時折、きみはこうして夢のなかに現れる。忘れてないよね、と確認でもしに来ているのだろうか。忘れるわけがないのに。
その愛らしい顔には
きみはどうして、私を大好きでいてくれたのだろうか。
きみは、幸せでしたか?
曇り空のきみ 音羽 紗凪 @mameco
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