第2話 アルカナフォージャー

 全国大会の熱狂から約8ヶ月が過ぎ、今は2040年3月上旬。


 ここは全国大会の会場である東京からは遠く離れた、四方を山と田んぼに囲まれた田舎町。全国大会の喧騒も全く画面越しでしか届かないような場所だ。


 放課後の教室には、まだ数人の生徒が残っていた。窓の外から差し込む夕日が教室全体を淡く染め、机の上に長い影を落としている。


 そんな中、教室の隅の席に座る一人の少年がいた。


 銀髪に銀色の瞳を持つ、端正な顔立ちの少年——雪倉冬貴(ゆきくらふゆき)。


 彼は机の上にスマホを置き、その画面をじっと見つめていた。


 そこに映っているのは、全国大会の名場面を集めたハイライト映像。


 圧倒的なスピードで展開される戦闘、歓声と興奮に包まれるスタジアム。燃え上がる実況と観客のどよめきが、一戦ごとに映像を熱く彩っていた。


「……やっぱり、全国大会はすごいな……」


 冬貴はそう呟き、わずかに息を吐く。憧れとも羨望ともつかない感情が胸に広がっていく。


 やがて画面は、昨年話題になった一戦へと切り替わる。


 鋼月学園対學楽高校。昨年王者、鋼月学園が初戦敗退を喫した波乱の試合だ。


「あの試合……」


 冬貴は覚えていた。


 あの時も驚いた。鋼月学園が、一回戦で姿を消したことに。


 映像の中で、ひと際目を引く少女が映る。


 燕泉凛(つばめいずり)。1年生にして名門校でスタメンに抜擢された逸材。単騎で敵陣を切り裂く、攻撃特化型の剣士。


 しかし――彼女の独断専行が、敗北の一因となった。


「……強豪校でも、ああいうタイプがいるんだな」


 静かに呟くが、胸の奥で微かな衝撃が蘇る。


 彼女が敵を斬り伏せ、疾駆していく姿。


 鬼神のようなその闘いぶりに、理屈ではなく心を揺さぶられた。あれが、"本物の強者"の戦いだと。


「俺も……いつか、あんな舞台に立ってみたい」


 ふと、自分でも驚くほど真剣にそう思っていた。


 気づけば、ハイライト動画は終了し、全国の強豪校の部室紹介に切り替わっていた。


 高性能ゲーミングベッドがズラリと並ぶ専用ルーム、最先端の機材に囲まれた選手たち。


 部室を紹介している映像の中で、その高校の監督が自信ありげに「やはり、設備は部の命ですよね」と語る。


 ——冬貴の脳裏に、自分たちの環境がふとよぎる。


「比べるだけ無駄だな……」


 そう呟き、スマホを置いた。


 確かに、ここには最新設備も名コーチもいない。けれど、環境を嘆いていても始まらない。変えられないなら、今あるもので全力を尽くすしかない。


 冬貴は静かに拳を握った。


「俺は、俺のやり方で強くなるんだ」


 冬貴は静かに自分の席を立ち、机に置かれたノートをカバンにしまった。


 表紙の角は擦り切れ、無数のページにびっしりと書き込まれた文字。そこには、ゲームの戦略や素材の効果など、冬貴が長年積み上げてきた知識が詰め込まれていた。


 彼が扉へ向かおうとしたとき、一人の生徒が声をかけた。


「お、冬貴、帰るのか? また明日な」


「いや、俺は部活だ」


「部活? お前、部活なんてやってたっけ?」


「ああ、アルカナフォージャー部だ」


 一瞬、沈黙が生まれる。


「……あぁ、そういえば。……まあ、頑張れよ」


 乾いた笑いとともに交わされた言葉に、冬貴はほんのわずかに表情を動かしたが、すぐに「頑張るよ」と短く返し、教室を後にした。


 校舎の廊下を抜け、部室棟へと向かう。


 文化部が集まるエリアの一角、その扉は年季が入りすぎていて、開けるたびにギシギシと悲鳴を上げた。


 冬貴が扉を押し開けると、そこには六畳ほどの狭い空間が広がっていた。


 室内には、長年使われてきたゲーミングベッドが六台並び、壁際には空っぽの棚。その他は何もない。


 この部屋には派手な装飾も、最新の設備もない。だが、ここは冬貴にとって、かけがえのない場所だった。


 そして、その中央に鎮座するのは、最先端のVRゲーム機——「メタスフィア」。


「さて。今日は1人だ」


 本来なら、部員たちと共に部室でプレイするのだが、今日は他の部員がそれぞれの事情で不在だった。


 しかし、彼の心はすでに別世界へ向かっていた。


 中古で買ったボロいゲーミングベッドに寝転び、メタスフィアの電源を入れる。


「ログイン開始」


 暗転する視界。


 意識が一瞬だけ浮遊する感覚の後、鮮やかな光が広がる。


 ——そこに広がっていたのは、広大な都市フィールドだった。


 中小規模のビルが立ち並び、控えめなネオンが街を照らす。地方都市特有の静けさと活気が混じり合う光景。


 夜風が頬を撫で、遠くから微かに聞こえる車の走行音や人々の話し声が、ここがゲームの中であることを忘れさせる。


 彼がプレイするゲーム【アルカナフォージャー】は、VRMMOが台頭し始めた2000年にリリースされて以来、VRMMOの金字塔として君臨している。


 "刻め、己の名をフィールドに"をコンセプトに掲げるこのゲームは、広大なオープンワールドを舞台に、ファンタジー、SF、和風、洋風、さらには現代風など、多彩な街並みが広がるフィールドを有している。


 そこには、種族や生態が異なる無数のモンスターが生息し、プレイヤーたちを待ち受けている。


 プレイヤーは、自らの戦闘スタイルを自由に構築し、戦略を駆使しながらモンスター討伐を楽しむことができる。


 さらに、PvPシステムも搭載されており、他のプレイヤーとの一対一のデュエルや、仲間と連携して挑むチーム戦など、多様な対戦形式で腕を競うことができる。


 このゲームの人気は留まることを知らず、リリースから40年が経った今でも、幾度もの大型アップデートを重ねて進化を続けている。


 最先端のVR技術と最新ハードに適応し続けることで、時代の変遷を経てなお、多くのプレイヤーを魅了し続けていた。


 そして、その熱狂はプロリーグや高校対抗の全国大会へと発展し、今や競技としての地位を確立するほどの規模にまで成長している。


 このゲームの最大の魅力は、自ら【アルカナ】と呼ばれる特殊能力を創り上げ、それを要かなめとして戦闘することだ。


 プレイヤーはフィールド内に生息するモンスターを倒すと、モンスターの特性に応じたアルカナの素材を収集できる。


 そして、その素材を【アルカナ製造所】という場所に持っていき、素材同士を組み合わせることで、自分が欲しいアルカナを作ることができる。


 たとえば、『火を発生させる素材』と『攻撃を射出させる素材』を組み合わせることで、『火を放つアルカナ』を作成することができる。


 アルカナの素材の種類は膨大であり、事実上、頭で想像できる能力は、このゲームでアルカナとして作成できると言われている。


 アルカナは基本的に1人5個まで所有でき、プレイヤーは所持しているアルカナを、状況に応じて活用することが求められる。


 プレイヤーの戦略性や創造力が問われるこのシステムは、多くのプレイヤーを虜にしている。


「【緋雨(ひさめ)市】か……そういえば、しばらくここで素材集めしていたな」


 冬貴はビル群の間を歩きながら、1人呟いた。


 このゲームでは、5つのまったく異なる世界観を持つフィールドが存在することも魅力の一つだ。冬貴が今いる【緋雨市】もその1つ。


 プレイヤーはゲーム開始時、5つのフィールドのいずれかを初期スポーン地、【故郷】として選択する。


 どのフィールドを故郷に選ぶのかで、選択できる職業や、アルカナ作成の特性が異なり、それが戦闘スタイルを大きく左右する。


 【緋雨市】――この場所こそが冬貴のこのゲームにおける故郷だ。


 このフィールドのコンセプトは『異能力者が暗躍する現代日本の地方都市』。闇と陰謀が交錯し、戦いの舞台となるこの街では、力を持つ者が生き残る。


 そして、冬貴の職業は【異能力者】。その特性は、アルカナ素材の組み合わせ自由度が極めて高いということ。


 他の職業では再現不可能なほど複雑かつ多彩なアルカナを生み出せるのが、この職業の最大の特権だった。


 冬貴は手元のインターフェースを呼び出し、自身のアルカナの素材ポーチを開いた。


 アルカナフォージャーでは、素材はデータ化された"実体のないアイテム"として扱われる。そのため、どれだけ収集しても重量がかさばることはなく、プレイヤーの負担になることもない。


 冬貴はポーチ内をざっと見渡し、必要な素材を頭の中で整理する。そして、ひとつの決断を下した。


「よし、【修羅戦域】でアルカナ素材を集めるか」


 目的が定まると同時に、冬貴はメニューを操作し、テレポートのボタンをタップする。


(俺も全国に行くんだ。そして――)


 強く心に誓う。


 次の瞬間、彼の体は光に包まれ、目的のフィールドへと転送されていった。

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