飛んで行く星々 ドリームチャイルド【KAC20254】

マキノゆり

飛んで行く星々 ドリームチャイルド


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 あたしはいつも空から落っこちていて(飛んで?)、死ぬかもしれない、でも大丈夫かもと思いながら、両手を両脇に添えて流れ落ちるように飛んでいた。まるで樹の上から滑空するムササビみたいだ。そびえたつ崖の間に草原が広がり、小さな家らしき建物が点々と散らばっているその上を、夢を見るたびに飛んでいる。


 最初の日は落ちるところ。


 次の夢は崖の途中まで落ちて、その次から飛び始めた。


 今日で9回目、次は谷間を超えて、もっと遠くに行けるにちがいない。

 もう9回目だから、飛ぶのだって慣れたものだ。

 そんなあたしの目の前を、ピンクの象がダンボのように大きな耳を羽ばたかせて飛んで行った。目元に水色のラメが光り、耳には青と金色のピアスが可愛い。

 その後ろから何かキイキイと甲高い声をあげながら、執事のような恰好をした白兎がピンクの象を追いかけていく。よく見たら、白兎は飛んで追いかけてるのではなく、ピンクの象のしっぽを片手で握りしめていた。もう片方の手には、頑丈そうな黒い傘を杖のように持っている。

 兎の握力がどれくらいかは知らないが、あのままではどこかで振り落とされてしまうだろう。あたしは、傘をさすメリーポピンズを思い浮かべた。


「手を離せばいいのに」


 思わず呟いたその瞬間、白兎がぴたりと振り向き、ぎょろりとした目で睨みつけてきた。


「何と聞き捨てならない事を! 手を離したら死んでしまうではないか! ひどい娘だ!」

「でも、そのまま飛んでっても死んじゃうよ」


 言われた白兎が眼を剥いて反論してきた。


「落ちても死ぬでしょうが!」

「あーもう、じゃあさ、その手の傘は何の為なの?」


 白兎がハッとした顔で、もう一つの手に握られた傘を見つめる。おお、と何か小さく呟くと、ふふんと得意気にあたしを一瞥し、白兎はピンクの象のしっぽを掴んでいた手をぱっと放した。

 そのまま後方へ飛ばされていく白兎をみてあたしは大笑いだ。誰の知恵だと思ってんのよ。どこまで飛ばされるか判らないけど、傘があるからまあ大丈夫だろう。

 白兎のほうはさて置き、あたしはピンクの象に追いつこうと顎をくいっと上げた。遥か視線の先には、崖の切れ目と白く煙る淡い水色の空が見える。


 大滝だ。


 崖の切れ目の先には、見えないほど真っ白に煙る大滝が、地平線の果てまで絶え間なく轟音を立てながら流れていた。水煙が立ち上り、太陽とも月とも判らない、淡い光のもとで白く輝く。

 空を見上げると、金星が輝いていた。

 あたしはその美しさに、ぼうっとしながら飛び続ける。もうすぐ崖の切れ目だ。飛び越えるともう大滝だが、そこまでいくともう陸は無く、遠く遠く果てない湖が広がっている。パステルカラーの光の湖のうえを、ピンクの象が金粉のような光を撒きながら、小さく踊っていた。


「もうそろそろ、湖ですな」


 突然後ろから声をかけられ、あたしはびっくりし過ぎて落っこちるかと思った。顔を振り上げると、斜め上にあの白兎が黒い傘を開き、あたしと同じスピードで飛んでいたんだ。


「追い付いたんだ!」

「当たり前でしょ。このアンブレラ・オブ・ブラックレインを舐めないでください」

「……あたしが言ったから、思い出したくせに」

「何か言いました?」

「べっつに」


 あたしと白兎は、そろそろ切り立つ崖の切れ目に差し掛かろうとしていた。下を見ると、小さな家の側で遊んでいる子供たちが、こちらに手を振っていた。

 

 ばいばい、とあたしも手を振る。またね、友達。


 白兎が眼を細めながら、もう片方の手を大きく広げた。


「湖に着く前に、この夢は終わりです」

「……残念。ピンクの象さんに乗りたかったのに」

「それはまた次の機会に」


 白兎が素っ気ないので、あたしは寂しくなってしまった。この世界はまだまだ先に広がるのに。


「‥‥湖、見たい」

「次来た時に、案内いたしましょう」

「象さんにも、今、乗りたい。呼んできて」

「それは次の機会にと言いましたでしょう」

「‥‥だって、次っていつなの? もう来れないかも」


 白兎は、ははっと笑った。


「ここまで来て、帰りたく無いと来た! さてさて、まさかと思うが、この」


 あたしを見てウィンクする。


「この白兎めが恋しくなったか」

「そんな訳無いってば!!」


 そうか、これは夢なんだ。もう1回くらい見たかったけど。

 そうしてあたしはゆっくり瞬きをした。


「では、またいつの日か」


 白兎が胸に片手を添えて会釈する。

 目の前に広がっていた光景は薄れ、暗がりの中で微かな揺れを、あたしは確かめるように全身で感じていた。





 総合病院のNICUに朝が来た。

 ここに入院している患者は、全員が新生児だ。宿直の看護師、桃田はコットの中でまどろむ新生児たちの様子を、一人ひとりみて回っていた。

 あまりに早くこの世に出てきた赤ん坊達だ。大きさもそれぞれ違う。とても小さく、コットが大きく見えるほどだ。


 1人の赤ちゃんがむずがっていた。そろそろ退院する子だったはず。

 桃田は側により、そうっと抱き上げた。そのまま抱っこであやしながら、コットの巡回を続ける。明け方のNICUは、授乳に来る母親も少なく、うっすらとした微睡の中で、コットの赤ちゃんに繋がれた計器の小さな光が、ちかちかと蛍のように光っている。

 

 腕の中の赤ん坊が空腹なのか泣き出したので、桃田は急いで母乳保管用の冷蔵庫に向かった。


「えっと、飛田さんちの赤ちゃんね……待ってて、お母さんのおっぱい準備するからね」


 小さく語りかけながら、預けられていた母乳を温め、合間に他の子の記録をつけ、さらに腕の中で盛大に泣く赤ちゃんをあやす。桃田はまだ結婚もしていないが、実際にこどもが出来たら、こんな忙しさなのだろうかとぼんやり考えていた。

 腕の中の赤ん坊は、今生後3ヶ月だが、通常の月齢の赤ちゃん達よりは小さく、片腕で抱けるほどだ。だがこのNICUでは、一番大きなほうに入るだろう。


「明後日には退院だね。やっとおうちに帰れるね」


 母乳を飲み干した赤ん坊は、げっぷをして落ち着いたかと思われたが、すぐにまた泣き出した。だが、どこか痛そうでもない。おむつでもない。


「甘えてんだろうなぁ」

「うわあ、先生。驚くじゃないですか」


 いつの間にか、同じく当直の若い医師が来ていたようだ。ぐいっと桃田の腕の中の赤ん坊に顔を近づけた。


「みんな寝てるから、泣き止みなさい」

「古河先生、赤ちゃんは泣くのが仕事ですよ」

「でも、ほら、泣き止んだじゃないか」

「ドス効かせて驚かすからですよ。他の子見るんで、先生はこの子みててください」


 桃田にどやされながら、古河は赤ん坊を受け取り、NICUの一画にあるデスクであやしながら、記録を見始めた。

 腕の中の赤ん坊は、いつしか静かに古河を見上げている。古河の白衣のポケットには「不思議の国のアリス」に出てくる白兎のバッジがつけられていた。それに気づいた古河は、試しに白兎をちょいちょいと指で動かしてみた。

 赤ん坊がその動きを目で追っている。きらきらと光る、その美しい目。


「あう」


 小さな声に、古河は小さく微笑んだ。




      おわり


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飛んで行く星々 ドリームチャイルド【KAC20254】 マキノゆり @gigingarm

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