第2話 嫉妬の炎

 ある日の放課後、英会話部に向かう途中でイロハに麗華が詰め寄る。


「あんた湊先生のこと好きなの?」


「え...そんなことは...」


「私、湊先生のこと狙ってるから。邪魔しないでよね。あんたみたいな地味子に先生が振り向くわけないでしょw」


 と釘をさす。イロハは何も言えなくなる。麗華は、長身でモデル体型、顔立ちも派手な美人なのに対し、彼女は平均的な外見で、クラスでも目立たない存在。負けない!なんてとても言えない。


 その時、教室に湊が入って来る。


「今日は、将来の夢について英語で発表してもらいましょう」


 放課後の英会話部の教室で、湊が穏やかな声で生徒に話しかけた。イロハは緊張で手が震えつつも、ノートの英文を繰り返し目で追っていく。基礎はしっかり理解しているが、話すとなると自信がない。それでも、CAになるための一歩と思い、必死に練習してきていた。


「では、和泉さん、お願いできますか?」


 名前を呼ばれ、イロハはゆっくりと立ち上がる。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。


 そこに、麗華が手を軽く上げてアピールする。


「先生、私から話してもいい?」


「どうぞ」湊が言う。


 「"My dream is to become a flight attendant. I think I'll join JNA because my grandfather is the founder. Actually, I have to join... Also, I'm confident in my English skills because I lived in America."」


(訳)(私の夢はCAよ。祖父が創業者だからJNAに入ると思うわ。というか、入らなきゃいけないのよ…それに、アメリカで暮らしていたから、英語には自信があるの)


 と得意げに話す。祖父が創業者と言っても、直接的なコネはない。それでも麗華は自分を特別だと思い込みたかった。


(おじいちゃん、普段は優しくて可愛い孫だって言ってくれるから、コネで入れてくれるよね…?)


 と麗華は、心の中で自分を納得させる。しかし、その目はどこか現実を見ていないようだった。


 麗華の話が終わると湊は麗華に言う。


 「"Well done. Keep up the good work."」


(訳)(よくできました。頑張ってください)と穏やかに伝え、次にイロハに話すよう促す。


 「"I want to become a flight attendant. It's been my dream since I was little."」


(訳)(客室乗務員になりたいです。それは私が小さい頃からの夢でした)


 イロハの発音は完璧ではないものの、一生懸命に練習を重ねた跡がうかがえる。湊は温かい笑顔で質問した。


 「"That's wonderful! Why did you choose that career?"」


(訳)(それは素晴らしい!なぜその職業を選んだのですか?)


 イロハは少し考え、勇気を出し、空を見つめながら答えた。


 「"I want to connect with people around the world and make their journey comfortable and memorable."」


(訳)(世界中の人々をつなぎ、彼らの旅を快適で思い出深いものにしたいです)


 そこまで言ったイロハは、突然思いついたように、少し言いよどみながら、予想外の言葉を口にした。


 「"If I become a flight attendant… will you date me then?"」


(訳)(もし私が客室乗務員になったら…彼女にしてくれますか?)


 教室が静まり返る。イロハ自身が自分の言葉に驚き、耳まで真っ赤になるのを感じた。『どうして言っちゃったんだろう』と後悔が押し寄せる中、湊の反応に胸が高鳴る。部員たちの視線が集まり、特に後ろの席に座る学年一の美女・麗華が不満げに睨みつけるのが背中に突き刺さる。


 イロハは英語だと妙に大胆になれる自分を知っていた。令和の感覚なのか、つたない発音で気持ちをぶつける方が、なぜか楽なのだ。日本語では絶対に言えないことが、英語だと大胆に発言できてしまう。


 湊は一瞬驚いたように瞳を見開いたが、すぐに落ち着いた表情に戻る。


「そうだなぁ...考えておくよ」


 と日本語で答える。語調は軽やかだが、目は真剣だった。


「す、すみません、冗談です...」


 イロハは慌てて謝ろうとしたが、湊は真剣な表情で言う。


「でも、絶対CAになれよ。君なら必ずなれる。その努力する姿勢が素晴らしいから」


 イロハの手が小さく震える。その言葉は、単なる励ましではなく、本気で彼女の夢を信じているような響きがあった。


 教室を出た後、麗華がイロハに詰め寄る。廊下の窓から差し込む夕日を背に、彼女の美しい顔を冷たい影が包む。


「あんた、湊先生にあんな事言うなんてずうずうしくない?」


 突然の問いにイロハは戸惑う。


「え...そうだよね...」


「本当、笑えるんだけど、あんたみたいな地味子が湊先生を好きになる権利ないしw」


 麗華のあざ笑うような言葉にイロハは言葉を失った。


「それに、CAになる事、夢見てるけど、あんたに向いてないわよw英語も下手だし、その平凡な見た目でよく言えるわ、私みたいな容姿端麗で英語が堪能な人がなるものでしょ?」


 麗華の嫌味に耳が痛むイロハだったが、湊の『努力は必ず実を結ぶ』という言葉が蘇り、小さな勇気が胸に灯る。「負けない」と心の中で呟き、彼女は一歩前に進む決意を固めた。


「私、絶対にCAになってみせるから。そのために人の倍頑張るよ」


 小さな声だったが、その瞳には決して揺るがない意志が宿っている。


 事の一部始終を見ていた湊は、厳しい表情で麗華に言う。


「才能より大切なものがある。それは努力だ。誰もが最初から完璧じゃない。大切なのは、向上しようとする意志だ」


 麗華が不満げな表情を浮かべて去った後、落ち込んだ様子のイロハに湊は話す。


「和泉さん、絶対CAになれるよ。君なら、必ずなれる。自分を信じる事を忘れないで」


 イロハは少し潤んだ瞳で「ありがとうございます...」と少し笑顔を見せた。去っていく湊の背中を目で追う。湊の言葉はイロハの記憶に深く刻まれた。


 ――✲――✲――✲――✲――✲――


 部活動が終わり、生徒がほとんど下校した、人気のない校舎の廊下。イロハは職員室に向かう。湊に今日のことのお礼を言いたかったのだ。


 職員室の前で立ち止まり、深呼吸をする。ドキドキする心臓を落ち着かせようとしていると、中から湊が出てきた。


「あれ、和泉さん?まだ学校にいたの?」


「あの...今日は、ありがとうございました」


 イロハは頭を下げる。


「私、本当にCAになりたいんです。でも、英語も不安だし、自分に自信がなくて...」


 湊はイロハの言葉に、優しく微笑んだ。


「君は一番大切な物を、もう持ってるんだ。努力を惜しまない姿勢。先生も実は昔、パイロットになりたかったんだ。でも視力の問題で、諦めなきゃいけなくて...だから、君には夢を叶えて欲しいんだ」


 その言葉に、イロハの胸は温かさで満たされた。この心の温かさが後に、恋の始まりだと、知る事になる。

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