KAC20254 夢のつづきは

霧野

星空の下で


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 移動式本屋の店主と真夜中の散歩に出ていたシミは、見覚えのある風景に驚きながら周囲を見渡す。


「どうしました? シミ」

「うん………さっき目が覚めたのって、変な夢みたからなんだけどさぁ」


 薄青いレンズの向こうで、店主の切れ長の涼やかな瞳が続きを促した。


「この景色、その夢で見たのと同じだと思う。いや、絶対同じ」

「そういうことって、よくありますよ。デジャヴってやつでは?」

「違う。だって何度も同じ夢見てるんだ。今日で9回連続」

「同じ夢を9回?! それは只事じゃなさそうですねえ」


 銀縁眼鏡を外し、レンズを拭いてかけ直す。改めて周囲を見回すが、至って普通の住宅街だ。


「さっきは走ってたから気が付かなかったけど、やっぱこの場所だ。そこの道をさ、ちっちゃい人形の行列が横切って……あっ、来た! 隠れろ!!」


 シミの指差す方、5メートル程先の曲がり角から雛人形達が現れ、一列になってゾロゾロと路地を横断して行くではないか。

 電柱の後ろに素早く身を潜めたシミが、店主の腕を引っ張る。店主はシミの背後に隠れると、両手でシミの細い肩をぎゅっと握った。


「なんですか、あれは……」

「ひなまつりの雛人形ってやつだろ。何度も夢に出てくるから、俺、本で調べたんだ」

「なんで……」

「あり得なくはねえだろ、俺だって紙魚なのにいつの間にかこんなになってたんだぜ?」


 振り返った真っ白な髪の少年は、両手を広げて自分自身の姿を強調してみせる。

 彼は元々、店の本に棲みついていた紙魚だった。人類だけが成し得る読書という体験への強い憧れが天に通じたのか、気づいたら少年の姿になって本を積んだトラックの荷台に蹲り、本を読み耽っていたのだ。

 淡いそばかすを散らした真珠の肌と灰色がかった瞳は、絵本の中の妖精じみている。その美しい外見と裏腹に口は悪いが、店主には懐いており、読書の合間に仕事を手伝ったりもしている。



「それにてんちょだって、『人が必要としてる本のタイトルがわかる』なんて不思議な力があるじゃん」

「それはそうですけど」


 シミのことはともかく、不思議な力については生まれつきで、店主にとってはもはや当たり前の日常だった。


「な? 世界には不思議なことがたくさんあるんだよ、きっと」

「いえ、私が不思議なのは、あの行列に右大臣だけがいないってことなんです」

「そっちかーい。って、え? 一人足りなかったの?」


 店主の銀縁メガネがキラリと光り、口角が片方だけ持ち上がった。何やら思いついたらしい。


「尾行、しますか」

「……なんでだよ」

「だって、9回も夢に見ているんでしょう。気になりませんか?」

「まあ、なるっちゃなる」


 本当はシミも同じことを考えていた。けれど、夜のうちに次の街へ移動すると聞いていたから遠慮していたのだ。店主の方から言い出してくれて嬉しかったのだが、シミは肩をすくめてため息をついてみせた。


「しょうがねえな、付き合ってやるよ」



 🌸



 レッドロビンの生垣の隙間に顔を突っ込むようにして、シミがある家の庭先を見つめている。ようやく追いついた店主が、息を切らしながら家をぐるりと見回した。


「なかなか立派なお宅ですね」

「おう。見てみろよ、てんちょ。あいつら掃き出し窓のとこに集合してる。あっ、窓が開いたぞ」


 シミの隣にしゃがみ込むと、店主も顔をくっつけるようにして庭先を覗く。


「本当だ。ああ、開けたのは右大臣ですね。中から開けたみたいだ」

「顔が近え。あ、人形たちが家に入っていく」

「じゃあ、ここが彼らの家なのかな?」

「かもな。右大臣は一人で留守番してたわけか。俺みたいに」


 店主が肘でシミの脇腹を軽く小突いた。


「蒸し返しますね。謝ったじゃないですか」

「許したけど、忘れたわけじゃねーからな」


 今夜、店主は眠っていたシミを車の中に残したまま外に飲みに行ってしまい、夜中に目を覚ましたシミと帰ってきた店主がちょっとした喧嘩をしたばかりだった。喧嘩と言っても、シミが一方的に拗ねていただけなのだが。


「じゃあお詫びに、五月人形か鯉のぼりを買ってあげましょう」

「何それ」

「雛人形は知ってて五月人形は知らない?」

「だってそっちは夢に出てきてねーもん。それに人形なんて要らね」

「私が買ってあげたいんです」


 店主は立ち上がると、膝を軽く払った。シミもつられて立ち上がる。


「男の子が健やかに育つようにって願いを込めて、飾るんですよ。シミにはずっと元気でいて欲しいからね」

「……高いんじゃないのか?」

「小さいのなら買えるでしょう。たぶんね」

「ふーん」


 素っ気ない返事だが、本当は嬉しいのだ。少なくとも5月までは、側にいられるんだ。一緒にいて、いいんだ。こんな、得体の知れない自分でも。



「まぁ、太客の誘いを断れずに、俺を置いて飲みに行っちゃうくらいには儲かってるみたいだからな」

「あっ、また蒸し返す。しかも『太客』なんて言葉、どこで覚えたんだ」


 シミの脇の下にサッと手を差し入れると、ひょいと抱え上げて肩に担ぐ。


「おい、やめろ。降ろせ。肩車に喜ぶほどガキじゃないぞ」

「いいじゃないですか、誰も見てないし」

「……もう帰るのか?」

「お雛様たちも家に帰ったみたいだし、私たちも車に戻りましょう」


 本当はここは彼らの家ではないのだが、二人がそれを知る由はない。結局肩車のまま、商店街の方へ歩き出す。



「あの人形たちも本を読みたがってた?」

「そうですね。ぼんやりとだけど、見えましたね」

「何、何?」


 シミは自分が読書好きなだけあって、大抵の人は本を読むものだと思い込んでいる節がある。そして他人がどんな本を好むのかにも興味津々だ。


「えー、ファッション誌とスイーツグルメの本。それから……うちでは取り扱ってない本です」

「へえ。どんなの?」

「特殊な場所でしか買えないみたいですね」

「ああ、同人誌ってやつか?」

「だからなんでそんなこと知ってるんだ」


 細い月とまばらな星の明かりが、あちこちの家の庭に咲いている桜を愛でながら歩いていく二人を照らし細長い影を形作る。気持ちの良い夜だ。

 店主のサラサラな髪に掴まって、シミは塀の向こうの桜に手を伸ばした。もう少しで花に届きそうなのに、届かない。



「ねえ、シミ。結局、なんで9回も同じ夢を見たんだろうね」

「……わかんね。けどもう、どうでもいいよ。ただの夢だ」

「そう?」


 理由なんてわからなくても、充分だった。雛人形達を追いかけたら、シミの健康を祈って五月人形を買ってくれる約束をもらった。もっと一緒にいられるとわかった。それに本当は、肩車だって嬉しい。

 もしかしたら、このことだけの為に9回も同じ夢を見たのかもしれないとさえ思う。だって、あの景色に気づかなければ人形達を見かけることもなかったのだから。けれど、これは口には出さない。



「なあ、てんちょ。夜の散歩って楽しいな」

「そうですねえ。でも、誰かさんはすぐに走って飛んでいっちゃうから、心配ですねえ」

「だーかーらぁ、さっきも言ったろ。紙魚には翅が無いから、飛んでいったりしねえって。あっ、だから肩車か!」

「ふふ、バレたか」


 なんだか嬉しくって、お腹の中がくすぐったい。シミは照れ隠しに店主の頭をペシと叩いた。


「……もう。しょーがねーなあ。てんちょはさぁ、俺が見張ってないとコーヒーばっか飲んで飯食わないし」

「ハイ、ハイ」

「変な女は寄ってくるし」

「ハハ……」

「全く、世話が焼けるぜキザ眼鏡」

「相変わらず、ひどい言われよう……」


 住宅街を抜け、商店街に差し掛かる。たくさんの本を詰め込んだ空色トラックまで、もう少し。夜の散歩もおしまいだ。

 名残惜しそうなシミのためなのか、店主はさらに歩調を緩めた。




 🌸




「ふふっ」


 自分の笑い声で、シミは目を覚ました。心地よい振動。すっかり日が昇り、窓の外を見知らぬ景色が流れていく。


「楽しい夢でも見てた?」


 前を向いたまま、ハンドルを握る店主が拳で目を擦っているシミに声をかけた。


「うん。なんかね、あの人形達、めっちゃ走ってあの家から出て行った。一列に並んでさ、服の裾掴んでめっちゃ走ってた」

「あはは、それは笑うね」

「そんで、別の家の和室の中で円陣組んでた」

「なぜ円陣……は置いといて。もしかして、そっちが本当の家なのかな?」

「わかんね。でも俺、10回目の夢はもう見ない気がする。なんとなく」

「そっか。じゃあ、人形さん達との縁が切れたのかもしれませんねぇ」


 ふわあ〜、と大きな欠伸をして、シミは再び目を閉じた。昨夜の夜更かし散歩が響いて、まだ眠たい。助手席のシートに深く埋まり、心地よい車の振動に身を任せる。



 目印は、空色トラックに白いパラソル。銀縁眼鏡の痩身店主。

 二人は今日も車を走らせ、どこかの街で店を開ける。その本を必要としている人のために。






おわり

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