パスタ生地髪のマキナ様

夜桜くらは

パスタ生地髪のマキナ様

 信じられないことが起こった場合、人は思考を停止させるといいます。しかし、わたしはいつ如何いかなる状況でも冷静でいることを心がけております。蓮谷はすたにに仕える者として、常に冷静に物事を判断するよう努めております。ですので、私が思考を止めることはあり得ません。

 ……そう、あり得ないのです。


「お嬢様、今なんと?」

「ですから、わたくしの髪がパスタ生地になってしまいましたの!」


 お嬢様はそうおっしゃいました。

 この蓮谷家にお仕えしてはや二十年。私はマキナお嬢様がお生まれになったときから、ずっとおそばでお仕えして参りました。お嬢様は昔から、純粋無垢むく可憐かれんな方でした。そんなお嬢様が、なぜ、こんな……。


「もう! 冗談ではありませんのよ! 本当に髪の毛がパスタ生地になったんですの!」


 ああ、なぜこんなことに……。

 いや、私は冷静に状況を判断しなければなりません。そう、冷静に……。


「ほら、つじ! ご覧あそばせ! こんなにも美しく、小麦の香りのするわたくしの髪を!」


 お嬢様はそう仰ると、そのお美しい髪をひとふさ、手に取って私に見せてくださいました。確かにその髪からは小麦の香りがします。

 ……ああ、私の思考は、休暇を取ってお出掛けになられたようです。奥様の故郷ふるさと、イタリアのシチリア島に。


「つ〜じぃ〜? どうなさいましたの?」


 お嬢様のそのお声で、私はハッと我に返りました。


「いえ、なんでもありませ……」


 私はそう言いかけて、言葉を失いました。

 お嬢様は、そのお美しい髪を、あろう事かフォークに巻き付けておられたのです。


「お、お嬢様? 何をなさっておいでなのですか?」


 私は、なんとか平静をよそおってそううかがいました。しかしお嬢様は、この上なく得意気な表情をなさいました。


「見ての通りですわ! このパスタを美味しくいただこうと思いましてよ!」

「お、お嬢様! お待ち下さい!」


 ああ……なんということでしょう……。私の静止も間に合わず、お嬢様は巻き付けた髪を口へと運んでしまいました。


「ん〜! 美味ですわ〜!」


 私は、もう何も言う気力がございませんでした。しかし、お嬢様はご満悦まんえつのご様子で、次々と髪を巻き付けては召し上がります。


「この、モチッとした食感! それに、小麦の豊かな風味が感じられますわ! ああ、何かソースがあれば、もっと美味しさを引き出せますのに……」

「お、お嬢様……」


 私がおずおずとお声掛け致しますと、お嬢様はフォークを置いて下さいました。ああ、やっとご自重いただけるのでしょうか……。


「ふふっ」


 しかし私の期待とは裏腹に、お嬢様は不敵に笑って立ち上がりました。


「わたくしとしたことが、なんて勿体もったいないことを! ソースがないのなら、作れば良いだけの話でしたのに!」


 お嬢様はそう仰るやいなや、お部屋を飛び出して行ってしまわれました。


「お嬢様! お待ちください!」


 私は慌てて後を追います。ああ、旦那様、奥様……。蓮谷家に仕える者として、常に冷静でいることを心掛けて参りましたが、どうやら私には荷が重かったようです……。



「ふぅ〜……満足ですわ〜!」


 お嬢様はそう仰いながら、お口をハンカチでお拭きになりました。私はというと、ここまでの疲労がどっと押し寄せ、半ば放心状態でございました。

 何せ、お嬢様はお屋敷中を巻き込んで、パスタパーティーを開かれたのですから。


 お部屋を飛び出したお嬢様は、まず厨房へと向かわれました。そして、コック長にこう仰ったのです。


「コック長! 今すぐにパスタソースを作ってくださいまし!」


 コック長も、他の料理人達も、全員呆気あっけに取られておりました。お嬢様が厨房にいらっしゃるのは珍しいことではありませんでしたが、それは前もってご指示を出されるのが常で、このような突然のご命令は初めてだったのです。

 しかし、そこは一流のシェフ。お嬢様の突然のご命令にも、冷静に対処なさいました。

 王道のミートソースに、カルボナーラ、ジェノベーゼ。それらに加えて、和風ソースやクリームソースなど、蓮谷家の料理人総出でソースを作られたのです。


「お嬢様! 出来ましたぞ!」

「まあ! 素晴らしいですわ!」


 お嬢様は大層お喜びになり、そのソースに早速ご自身の髪で作ったパスタを絡められました。

 そこで私は、お嬢様のこだわりを垣間かいま見たのです。……そう。お嬢様が作られたのは、ベーシックなパスタだけではなかったのです。

 髪を螺旋らせん状に巻いて作った“フジッリ”。髪を蝶結びにして作った“ファルファッレ”。そして、髪の毛先を丸めて作った“ニョッキ”などなど……。お嬢様は髪の長さや太さを変えることによって、様々なパスタをお作りになったのです。

 この発想力は、料理人達も舌を巻くものがありました。お嬢様のその豊かな感性は、この蓮谷家において、何にも勝る財産であったのです。


「マキナお嬢様、万歳!」

「マキナお嬢様、万歳!」


 厨房は、そんな歓声に包まれました。しかし私は、その歓声をどこか遠くで聞きながら、ただ呆然ぼうぜんと立ち尽くしておりました。

 すると、この騒ぎを不審に思ったのか、旦那様と奥様がいらっしゃいました。


「どうしたのです、騒がしい」

「お父様! お母様! ご覧あそばせ!」


 お二人はお嬢様がいらっしゃることに驚かれた様子でしたが、厨房からただよう香りにお気付きになりました。


「あらまあ……どうしたの? マキナ」


 奥様が優しくお尋ねになると、お嬢様は嬉々として仰いました。


「わたくし、髪が素晴らしいパスタ生地になりましたの! ですから、その美味しさを引き出すソースを、料理人の皆さんに作っていただきましたわ!」

「まぁ! それは素敵ですね。マキナももう十六歳。立派な淑女ですものね」


 奥様はそう仰ってお嬢様を優しく抱き寄せましたが、私は気が気ではございません。しかし、旦那様はというと……。


「はっはっは! いや〜、これは愉快だな! どれ、ここは一つ……パスタパーティーと洒落しゃれ込むか!」


 と、大層お喜びになられたのです。

 流石は蓮谷家の旦那様と奥様であらせられます。お二人は、お嬢様の突飛な行動も、不可解な現象をも、柔軟に受け入れてしまわれるのですから。


「素晴らしいですわ、お父様! 早速準備をしましょう!」

「うむ! さあ、お前達も準備をしなさい。今日は無礼講だ!」


 旦那様のそのお言葉に、厨房は一気に活気づきました。そして、あれよあれよという間にパスタパーティーの準備が進められていきます。


「辻! あなたも手伝ってくださる? お料理が冷めてしまわない内に、早くお運びしましょう!」


 輝くような金髪をなびかせ、私に笑顔を向けるお嬢様。私はもう、何も言う気力がございませんでした……。



 そして今に至ります。私は、この現実から目をそむけるように、ふと窓の外を眺めました。するとそこには、雲一つない青空が広がっておりました。……ああ、なんて良い天気なのでしょう。


「つ〜じぃ〜? 何をほうけておりますの?」


 お嬢様はそう仰ると、一本の揚げパスタを私に差し出しました。


「ほら、辻もお食べなさいな。これは、ヘアアイロンを使って作ったんですのよ?」

「は、はあ……」


 私はそう返事をして、その揚げパスタを受け取りました。……なぜお嬢様は、ヘアアイロンをパスタ作りに使ってしまわれるのでしょう。そんな疑問を抱きながらも、私はその揚げパスタを口に運びました。


「どう? 美味しいでしょう?」

「……ええ。まあ……」


 私はそう曖昧あいまいな返事をすることしか出来ませんでした。実際、揚げパスタはカリッとした食感と程よい塩気で、大変美味でございました。……しかし、私の心は複雑でした。

 もし、お嬢様の髪の変化が一時的なものであったのなら、私はそれを喜ばしく思ったことでしょう。しかし、これまでのご様子を拝見するに、それは期待出来そうにありません。なぜなら、お嬢様の髪はいくら切ってもすぐに元通りになってしまうのですから……。

 それならば、このようになった原因を突き止めるべきでしょう。


「お嬢様、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「ええ、構いませんわ。遠慮なく仰ってくださいまし」


 お嬢様はそう仰いましたが、私はせき払いをしてから続けました。


「……では、僭越せんえつながら申し上げます。お嬢様の髪がこのようになってしまわれた原因は、一体何なのでしょうか……?」


 私がそうお尋ねしますと、お嬢様は不思議そうに小首を傾げられました。そして……。


「そんなの、わたくしに分かる訳ありませんわ!」


 ああ……やはりそうですか……。私はがっくりと肩を落としました。しかし、お嬢様はにこやかにお笑いになられました。


「理由なんて些細ささいなことですわ。現にわたくしは、今のこの状況を心から楽しんでおりますもの」

「そ、そうですか……」


 私はもう、それしか言えませんでした。しかし、そんな私の様子を見て、お嬢様は何か思い付かれたように手を打たれました。


「そうですわ! これは小麦の妖精の仕業ですのよ!」

「こ、小麦の妖精ですか?」


 私は思わず聞き返してしまいました。しかし、お嬢様は至って真剣に仰います。


「ええ! そうですわ! きっとこのお屋敷にむ小麦の妖精が、わたくしの髪をこんな素敵なパスタ生地にしてしまったんですのよ!」


 ああ……なんということでしょう。お嬢様はすっかりその気になってしまわれました。こうなってしまってはもう、私にはどうすることも出来ません……。


「辻、貴方あなたもそうは思いませんこと?」


 お嬢様が無邪気な笑顔でそう仰います。……私にはもう、この現実を受け入れるしか術がございません。


「ええ、そうでございますね……」


 私はそう答えるのが精一杯でした。……ああ、もし原因がご病気であったならいけませんね……。一度、お医者様に診ていただくべきなのかもしれません……。

 私は、これからの蓮谷家を思い、一人頭を抱えるのでした……。

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