探検
男はペンライトの淡い光で観音開きの扉を照らした。
「まさか―― これが、あの扉なんですか?」
閂のかかった、古い木の扉。
蹴りを喰らわせれば、開いてしまいそうだった。
「違うわよ」
あっさりと少女は言う。
「じゃあ、なんでこんなとこまで来たんです。
私は貴方がタダで苦労するような人間だとは思いませんが」
ほんっと口が減らないわね、と言いながら、少女は閂に手をかけた。
「これは『扉』じゃないけど、『扉』のある祭壇に続いてるんじゃないかと思うの」
「貴方、なんで此処にこんなものがあるってわかったんです?
本家の扉も、この場所にあるんですか?
この屋敷、本家の離れのコピーなんでしょう?」
「あるべき場所にあってくれれば、わかりやすかったんだけどね」
少女は愚痴るように言う。
「あら、やっぱり開かないわ。
何か術がかかってるのかも」
ごめん、やってみて、と男を振り向いた。
男は渾身の力を込めたが、閂は持ち上がりもしない。
「錆びついてんじゃないですか?」
「木製でしょう?
閂じゃないとこ、壊れないかな」
「蹴ってもいいですか」
「扉の入り口なんだけど、それ」
「じゃあ、やらないんですか」
「やってよ」
即答だった。
男はもう何も言う気がしなかった。
昨夜からの苛々をぶつけるように蹴り上げる。
「開かないじゃないですかっ」
開かないわねえ、と言いながら溜息をつくと、少女は扉を見たまま、その場にしゃがみ込んだ。
「濡れますよ、スカート」
よく見ると、きちんとスカートの端をたたんで、膝の上に重ねていた。
男も側に腰を下ろす。
「やっぱり、猿田彦は私たちに味方しないか」
「猿田彦って道祖神の?」
「そう。かつての神々の破片よ」
扉の隙間から吹きつける冷たい風を感じた。
もしかしたら、此処から地下へと降りるようになっているのかもしれないと思った。
「……此処、あれみたいですね。風穴」
「風穴?」
「萩の笠山とかにあるでしょう?
火山に穴が空いてる場所があって、そこの温度は一定だから、夏は涼しくて、冬は暖かいんです。
天然クーラーみたいなもんですよ」
「そういや、萩って確か……」
「うちの父方の祖母の家があるんです」
「そうそう、そうだった」
もう行くこともないでしょうけどね、と男は言った。
「ねえ、お嬢」
「なあに?」
「立花さんと寝たんですか?」
己れの膝に頬杖をついていた少女は、扉を見たまま呟いた。
「そうね。初潮が来たあとで――」
静かだった。
外の喧騒も虫の音も鳥のさえずりも何も、此処には聞こえない。
寒いな、と男は思う。
俺はこの女に、何の理想を抱いていたわけでもない。
だけど、容赦なく手足がかじかむのは、本当に寒いせいなんだろうか。
「諦める?」
ふいに少女が訊いた。
一瞬、なんのことかと思ったが、それは扉のことだった。
「いつまでもこうしてても仕方ないしね」
と少女は立ち上がる。
巻きつけていたスカートがはらりと落ちた。
鮮やかな衣服から覗く白くて長い手足。毅然とした瞳を宿す小さな顔。
立花とのことを聞いても、汚れない処女神のようにしか見えない。
男は勢いをつけ立ち上がると、扉を見て言った。
「じゃあ、鉈ででも、ぶち破りますか」
「……あんたも大概、不信心な男よね」
「何を今更」
男がズボンの裾をはたいて、扉に向き直ろうとしたとき、待って、と少女が制した。
小さな唇に人差し指を押し当て、来た道に視線を向ける。
微かな足音が響いてきた。
ボディガードも形無しだな、と苦笑する。
まどかたちが隠れていたときも、確かに気づいてはいたが、恐らく、少女の方が早かった。
「ぜーったい、声が聞こえたってー」
深雪の声がした。
二人は顔を見合わせ、つい笑い合う。
いつでもどこでも深雪の声は、緊張感を打ち破ってくれた。
まどかを従えた深雪は、現れるや否や、少女を指さし、やっぱり、お嬢さん、と勝ち誇ったように言った。
「なにしてるんですか? こんなところで」
「ん? 探検」
他人にだけ見せる穏やかな笑みで彼女は答える。
後ろの扉に気づいた深雪は声を上げた。
「あれっ? もしかして、これが『扉』なんですか?」
違うけど、と曖昧に少女は言い、もしかして、開けたことある? と訊いた。
確かに、あの深雪が此処へ入り込んだことがないとは思えない。
「開かないですよ、それ。
それで飽きてそれっきり来なかったんですけど」
少女は苦笑した。
薫がわざわざ口止めもせず、塞ぎもしないのはわかる気がした。
まどかは、ずかずか人の領地に入っていくタイプではないし、深雪はこの通り、飽きっぽく忘れやすい。
「そうだ、お嬢さん。薫が捜してましたよ。
今日は最後だから、立花さんが車出して、遠出してもいいって」
遠出ね……と少女は意味深に呟く。
おそらく、立花は少女を少しでも扉から引き離したいのだろう。
まどかさん、と少女は覚悟を決めたように呼びかけた。
「すみませんが、手を貸してくれませんか?」
「私ですか?」
「ええ」
「この扉を開けたいんです」
「で、でも、私より深雪か、あの、」
高林という名を出しかけたらしいまどかは寸前で気づき、とどまった。
彼の方が力がありますよ、と手で示す。
だが、少女は複雑な顔で言った。
「そうじゃなくて、その……貴方でなきゃ駄目なの」
貴方でなきゃ、その言葉に、男は眉をひそめた。
お願い、と少女は手を合わせる。
不審に思いながらも、彼女を慕うまどかが手を貸さないわけがない。
だが、まどかが引っ張っても、閂はびくともしない。
力を出し切ったまどかは額を拭って言った。
「ごめんなさい、駄目です、すみません」
そう言って離れようとしたまどかの手に、少し距離を置いて見ていた少女が触れる。
びくり、とまどかの体が震えた。
その頬が赤らんだが、少女は気にも止めずに、まどかの背に体を寄せた。
「そうよ。そのまま、両の扉に手を置いて、ひとつずつ、そう――」
言われるまま、まどかは左右の扉に手を置いた。
少女はまどかの背に寄り添うようにして、その両の手の上に自らのそれを重ねた。まどかの体が痙攣を起こしたように震えた。
「動かないで!」
少女の声が洞穴に響く。
「……お嬢、何を」
だが、男の言葉は最後まで出なかった。
少女の手が触れたまどかの手の下、手の形に木が蒼白く光りはじめていた。
まどかは自分で驚いたようにそれを見ている。
すごい……と深雪が夢見心地に呟いた。
少女はまどかの後ろ頭に額をぶつけ、小さく呟く。
「ごめんなさい。まどかさん」
ごめんなさい?
男がその言葉に不審を抱くより先に、少女は閂を跳ね上げ、強く扉を引いた。
ぐっと深く石に木がめり込むような音がして、扉が開く。
男は目をしばたたいた。
冷たく澄んだ空気が辺りに流れ出した。
その瞬間、龍笛にも似た音が響き渡った気がしたが、それは一瞬のことだった。
「これは……!」
まどかたちが驚きの声を上げる。
男も息を飲んだ。
目の前になだらかな石段があった。
カーブを描くその階段の下には、思いもかけないほど、大きな洞穴が広がっていた。
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